第599話 離脱
痛い!
痛い!
それに……。
この地に生まれ出て初めての感覚。
今まで感じたことのない感情が込み上げてくる。
「グルゥ……」
エビルズピークと呼ばれ畏怖される霊峰。
自由に気儘に闊歩していた己の庭ともいうべき地で、このようなことになるなんて。
最前までは微塵も想像していなかった。
「ゥゥゥ……」
エビルズピークは己のもの。ここに存在する全ては己のもの。
喰らおうが弄ぼうが意のままにできる。
疑問の余地すらない。
そのはずだった。
なのに……。
今、目の前にいる2人の下等生物が何もかもを台無しにしようとしている。
「ゥゥゥ……」
首に刺さった剣から感じる痛み。
剣身を通して感じる痺れ。
何より、それら全てを凌駕してしまうこの思い。
激情が抑えきれない。
これが……恐怖!?
「……」
初めて分かった。
理解した。
それに喰われたものたちが覚えたであろう感情を。
が、知ったところで、今はどうしようもない。
対処できない。
だから、自由にならぬ体を無理やり動かし餌場を去ろうとしてるんだ。
だというのに。
ズブッ!
ズズッ!
強まり続ける首への衝撃で体が麻痺してしまう。
餌場に縫い留められてしまう。
ズズッ!
まずい!
このままじゃ!
「オオオッ!」
咆哮を上げても、下等生物は止まらない。
ズッ、ズブッ!
勢いは増すばかり。
ズズッ!
痛い!
ズズッ!
「ギャァ!」
痛い!
ズズズッ!
「グゥギャ!」
痛い!
怖い!!
ズブッ、ズズッ!!
ズズズズッッ!!!
「グウゥギャァァァァァ!!!」
とんでもない衝撃を感じたその瞬間。
全てが白で覆われ……。
意識を失って……。
……。
……。
……。
……。
……。
何がどうなったのか?
どれくらい時が経ったのか?
何も分からぬまま……。
意識が戻ったのは、緑が揺れる平原。
眼下には下等生物の群れ。
「グルゥ……」
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<エリシティア視点>
「エリシティア様、この隙に離脱を!」
「……」
騎士たちを置いて、私だけが逃げる。
戦士としては恥ずべき選択。
理解はできるが、選びたくなどない。
が、私は将であり王国の光でもある。
ここで散るわけにはいかぬ。
「……うむ」
「まずは、南の森に」
「分かった」
「リリニュス、サイラスは私と共にエリシティア様を護りながらの撤退になる。戦闘に参加できぬ者もだ」
「「はっ!」」
「他の者はここでバケモノの足止めに専念しろ! ただし、エリシティア様の安全を確認次第、各自脱出を図るように」
「「「「「「「はっ!!」」」」」」」
「「「「「「「了解です」」」」」」」
体は傷だらけだというのに、皆の戦意は衰えてない。
「エリシティア様、どうかご無事!」
「「「「「ご無事で!」」」」」
その一言が終わるころには、私の前に壁のような陣形を作り出している。
我が騎士ながら素晴らしい、誇らしい者たちだよ。
「エリシティア様!」
ウォーライルの合図と共に動き出す私とリリニュスとサイラス。
「最初はバケモノから目をそらさないでください。そのままゆっくり後退し、騎士たちの攻撃開始とともに疾走をお願いします」
「うむ」
指示通り、バケモノから目線を外さず後ろ足で後退。
慎重に数歩進んだところで。
「我らの力を合わせ、エリシティア様を守り抜くぞ! かかれぇ!!」
「「「「「「「おう!!」」」」」」」
騎士たちの突撃が始まった。
「「「ファイヤーボール!」」」
「「「ストーンボール!」」」
魔法攻撃も。
離脱組は攻撃を目にすると同時にバケモノに背を向け、地を蹴る!
全力で平原を駆ける。
「グルルゥゥゥ!!」
ガン、ガン!
ガン、ガリ、ガリッ!
「「「「「「「おおぉぉ!!」」」」」」」
ガン、ガリッ!
バキッ、バリン!
背後から聞こえてくる音を無視し、足だけを前へ。
動かし続けて……。
「はあ、はあ……」
隣を走るリリニュスとサイラスの息が荒い。
私も慣れぬ行動に心臓が悲鳴を上げようとしている。
が、南の森はすぐそこ。
「森に入ったら一度足を止めてください。その後、状況を確認して次の行動に移ります」
私たち3人とは違い、ウォーライルの呼吸は乱れていない。
後ろを守りながら駆けているというのに。
「エリシティア様、もう少しですので」
「……うむ」
森まであと20歩。
15歩。
10歩
頭上に射していた陽が陰る。
ついに木陰に入った。
そう、安堵を感じた瞬間。
ダンッ!
ダッダーーン!!
動きも思考も止まってしまうほどの轟音が響き!
煙まで!
それもただの煙じゃない。
視界を遮るほどの土煙だ。
青々と生い茂っていたはずの木々が土煙で隠れている。
「エリシティア様!」
私たちの目の前に、何かが落ちてきた?
その何かとは、煙の中に見えるのは……。
「なっ!?」
「そんな!」
「バケモノ!」
蒼鱗の魔物!
「グルゥゥ……」
あのバケモノが退路を遮るように立ち塞がっていた。





