第593話 急行
「今日はありがとうございました」
早足で歩き続ける剣姫の背中に声を掛ける。
「とんでもない」
足を緩めた剣姫が振り返って一言。
「アリマさんには無駄足を踏ませてしまい、申し訳なく思っておりますので」
その口調は公爵令嬢サヴィアリーナのもの。
既に白亜宮を出たとはいえ、貴族区の中では令嬢の仮面を脱ぐことはできないのだろう。
「いえ、さっきも話しましたように仕方ないことですよ」
「……」
「何と言っても、殿下の依頼による任務ですから」
「ですが……」
剣姫が直属の上司である王太子の命に背くことなどできるわけがない。
なのに、こうして俺を気遣ってくれる。
公爵令嬢が一介の冒険者を。
ありがたいことだよ。
「次の機会をいただけるのなら、こちらに問題はありませんしね」
「アリマ、さん」
「ところで、任務はそのお姿で?」
「それは……」
剣姫の姿に戻っての仕事になるのか?
なら、適当な場所で姿を変えなきゃいけない。
いや、現場で変身するという手もあるな。
そもそも、どんな仕事で、どこまで出向くつもりなんだ?
「差し支えなければ、任務の内容を伺っても?」
「……」
答えられないか。
まあ、そうだよな。
無言のまま歩くこと数分。
「……少しいいですか?」
「えっ、はい?」
突然立ち止まった剣姫に対して反応が遅れてしまう。
「……」
そんな俺の様子を気にすることもなく、大通りを右に曲がる剣姫。
しばらく脇道を進んだ後、左折して狭い路地の中に足を踏み入れた。
「……よし」
周囲を見渡した剣姫が左腕を胸前に掲げた瞬間。
彼女を中心にして大気が渦を巻き、そして……。
大気の奔流が去ったあとには、剣姫イリサヴィアが立っていた。
「ふむ、これでいい」
宝具を使って姿を変えた彼女からは楚々たる淑やかさが消え。
その顔に浮かぶのは剛毅に溢れた不敵な笑み。
「どうした、アリマ?」
「いえ……」
そのギャップに、少しばかり戸惑ってしまう。
「そうか。なら、大通りに戻るとしよう」
とはいえ。
やはり、剣姫には剣姫の姿がしっくりくる。
濃紺の髪をなびかせ、鋭い眼光で魔剣ドゥエリンガーを操る剣姫イリサヴィア。
彼女に相応しい姿だよ。
まっ、今はドゥエリンガーを手にしてはいないけれど。
「ところで、どこまで一緒に来るつもりだ?」
「貴族区を出るまでは、お供します」
「すぐそこだぞ」
「では、もうお別れですね」
「ふむ……」
「……」
何か問題でも?
「……国境だ」
「はい?」
国境がどうした?
「私が向かうのはレザンジュとの国境」
「……」
そこが今回の任務先なんだな。
って、話してもいいのか?
「おそらく、その場には君の友人であるギリオンとヴァルターもいるだろう」
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<ギリオン視点>
「まだ追いつかねえのかよ?」
「そう急くな。もうすぐのはずだからな」
「はっ、急いてんのはおめえの方だろ」
「……」
「心配要らねえよ。エリシティア様と近衛騎士たちがついてんだぜ」
「……ああ」
何だ、その腑抜けた声は。
「分かってる」
まったく分かってねえよな。
「はあ~。分かってんなら、しけた面すんじゃねえ」
「……」
「まっ、ウィルが心配なのは理解できっけどよ」
「ウィル様と呼べ」
「はあ? ウィルはウィルだろ」
「ウィル様だ!」
「おめえにはどうか知んねえけどな、オレにとっちゃあ、ウィルは夕連亭の単なる店員なんだぜ。それによぉ、ウィル自身もそれでいいつってんだ」
「……」
「ってことで、これからもそう呼ぶかんな」
ヴァルターの野郎、仏頂面してやがる。
っとに、ウィルのことになったら、すぐこれだ。
普段の冷静さをあっという間に失くしちまう。
まったく、幻影に夢幻の異名はどこいった。
困ったもんだぜ。
「……」
まあなぁ。
こいつも普段は頼りになる男なんだけどよ。
ウィルって弱点だけはどうしようもねえな。
「……」
「……」
しっかし、この空気は何とかならねえのか?
しばらくは、このまま間道を走り続けなきゃいけねえってのに。
「あと四半刻もせぬうちに、国境に到着する」
おっ、やっと到着か。
「準備を怠るなよ」
「おう」
と言っても、抜剣の準備くらいで他にすることもねえ。
あっちで何が起こってるかも分かんねえしな。
って、おい!
また速度を上げやがった。
「速すぎんぞ、ヴァルター」
「あと少しだからな」
「にしても、これだと到着前にバテちまうぞ」
「大丈夫だ」
大丈夫じゃねえわ!
そもそもだな。
ここまで急ぐ必要があんのかって話だ。
キュベルリアから馬で駆け続け、馬を乗り捨てた後は走り続けるってよ。
どう考えても、やり過ぎだろ?
エリシティア様からの伝言も魔道具によるもんで、内容も「予定の地に急行されたし」ってだけなんだぜ。
オレたちがやってんのは、急行どころじゃねえぞ。
「ギリオン、分かってるよな」
「何が?」
「急ぐことになった理由、いや原因だ」
まだ、それを言うかよ。
「だからな、頑張れ」
「……」
ちっ。
反論できねえじゃねえか。
速度を上げて走ること四半刻。
「はあ、はあ……」
さすがに体力がマズいことになってきた。
これじゃあ、到着しても十分に動けねえ。
「ヴァルター、ちっと速度を……」
「見えてきたぞ!」
着いたのか?
「その先だ」
オレたちが走る間道のかなり前方。
木々の切れ間から僅かに見えたのは……。
「おい!?」
まったくの想定外。
「っ!?」
予想もしていない光景だった。
第11章 完





