第591話 白亜宮
「さあ、着いたぞ」
「ここ、ですか?」
「うむ」
「……」
剣姫が公爵令嬢サヴィアリーナの姿で案内してくれたのは白都北方に位置する貴族区。
真珠色に輝く白大理石を思わせる石畳を進んだ先。
「何か問題でも?」
「問題というか……」
貴族区というのは、まだ理解できる。
剣姫は冒険士という位を持つ貴族であり、さらに高位の公爵令嬢でもあるのだから。
ただ、この先は普通じゃない。
「ここにリーナとオズがいるのですか?」
「まあ、そういうことだ」
深く頷いている。
「……」
剣姫はつまらない噓をつくような女性ではない。
こんなことで冗談も言わないだろう。
とすると、本当にここに2人が。
いや、しかし……。
俺の目に映るのは、陽光に輝く白壁。
その先に屹立する絶白無垢の巨大建築。
白き乙女とも称される宮城、白亜宮なんだぞ。
「どうした、アリマ?」
どうしたもこうしたもない。
言うまでもないことだが、白亜宮は多くの貴族が勤務し王族が暮らす宮城だ。
そこにリーナとオズがいると聞いて、平静でいられるわけないだろ。
そもそも、俺は権門とは距離を置いている。
剣姫やセレス様といった貴人と付き合いのある今でこそ忌避感は若干和らいできたものの。
オルドウに来た当初は貴族との接触を避けていた俺が、宮城に足を踏み入れるなんて!
想像したこともない!
この一事だけでも厄介極まりないのに、リーナとオズが……。
「サヴィアリーナ様、リーナとオズは白亜宮に出仕しているのでしょうか?」
「勤務……ふふ」
剣姫からは、意味ありげな微笑。
「そうともいえるかな」
「……」
何が言いたい?
「全ては会えば分かること。立ち止まってないで、中に入るぞ」
俺の返答も聞かず歩き出す剣姫。
「っ!」
本音を言うと、貴族が溢れる宮城の中になど入りたくはない。
ただ、ここまで来て引き返すわけにも……。
仕方ない。
剣姫について行くしかないか。
剣姫と2人で歩くのは、白亜宮の名にふさわしい見事な通路。
こうして歩いているだけで、自然と背筋が伸びてくるようだ。
とはいえ、圧迫感などを感じるわけでもない。
むしろ、居心地の良さを感じる。
「サヴィアリーナ様、ごきげんよう」
「サヴィアリーナ様、お久しぶりです」
壮麗でありながらも華美に過ぎず、穏やかで落ち着きのある内観。
無駄のない洗練された気品と厳かさ。
「サヴィアリーナ様、先日は……」
「サヴィアリーナ様、明後日ですが……」
目に映るすべてが、俺なんかには計り知れない価値があるのだろう。
「サヴィアリーナ様……」
宮城の外観同様に白を基調とした装飾が施された床や内壁。
温もりのある光が照らし出す通路、陽気が満ちている空間。
こちらの目を奪ってやまないものが確かに存在する。
ただ……。
「サヴィアリーナ様、近々……」
すれ違う人々から、ここまで声を掛けられると。
どうしても、意識がそちらに向いてしまう。
「サヴィアリーナ様、次のお茶会には……」
「明日の会議で……」
プライベートの誘いも公務も関係ない。
老若男女問わず、多くの者が次から次に剣姫の前で立ち止まっている。
「サヴィアリーナ様、そちらの方は?」
「……私の友人であり、本日の客人でもある」
「おお、そうなのですか! では、私も挨拶せねばなりませんな」
しまいには、俺に興味を抱く者まで出てくる始末。
もちろん剣姫の対応は完璧なので、問題はないのだが……。
「……」
まったく。
今さらながら、彼女には驚かされるよ。
剣姫イリサヴィアとしては誰もがその勇名を知る超一流の冒険者、公爵令嬢サヴィアリーナとしては王太子を補佐し辣腕を振るう筆頭秘書官。
疑いの余地など微塵もないほどの実力を持つだけでなく、人気も凄まじいものがあるなんてな。
「……」
そんな彼女の2つの顔を知る者は、王太子を含めごく僅かしかいない。
若く美しき女傑。
「すまない、アリマ」
「……いえ、私は急いでいませんので」
「そうは言っても、今この時間はアリマを案内するための時間なのだ」
実力、人気があるだけじゃない。
義理堅さまで兼ね備えているんだから、かなわないよな。
「こうして宮城を案内していただけるだけで十分ですよ。本当に光栄なことです」
「……」
だから、顔を曇らせないでほしい。
ところで。
「サヴィアリーナ様?」
「……ん?」
「ここは、どちらに曲がれば良いのでしょう?」
「ああ、右に曲がってくれ」
宮城の奥に進むにつれ、行き交う人の数が減ったのは良いのだが、剣姫は何かを考えているようで心ここにあらずといった表情。
「……」
まさか、リーナとオズに問題でも?
そもそも、こんな奥まった場所に2人がいるのか?
剣姫につられるようにして、つい俺も考え込んでしまう。
と、そこに。
「サヴィアリーナ様!」
通路の先から官吏のような男性が駆け寄ってきた。
「……どうしました?」
「殿下がお呼びです!」
殿下というと、剣姫が仕える王太子のことだよな?
「今向かっているところですが?」
なっ!
今向かっている?
リーナとオズのもとに向かってるんじゃなく、王太子のもとへ?
どういうことだ?
「急ぎ来るようにとのことでして」
「オズヴァルト殿下が直にそうおっしゃったのですね?」
剣姫の問いに頷く官吏。
「……そうですか」
やはり、向かう先は王太子のもと。
なら、そこにリーナとオズがいる?
それとも、剣姫の上司である王太子に挨拶する必要でもあると?
詳しいことは分からないものの、これはどうも……。
厄介事の匂いが……。
「アリマさん、急ぎましょう」
ただ、今は剣姫に従うしかない。
「……はい」
早足で歩を進めること数分。
門衛が護る大扉の前で剣姫が足を止めた。
この中にリーナとオズがいるのか?
30年ぶりの再会となる2人が?
「……」
期待と不安、喜びと疑問。
複雑な感情が絡み合った中、大扉が開かれた。
次の瞬間、俺の目に入ってきたのは複数の人物。
謁見の間ではなく執務室らしき室内に、2人の男性と1人の女性の姿が見える。
この女性がリーナ?
けど、髪色が違う。赤髪じゃないぞ。
彼女も髪色を変えていると?
いや、違う。
容貌も記憶の中のリーナとはかけ離れている。
なら、ここにリーナはいない?
「……」
オズはどうだ?
男性2人のうち、奥の椅子に腰かけているのが王太子だろう。
その傍らに立つ青年の容姿は?
金髪で面差しも、似ているような……。
「秘書官サヴィアリーナが、王国の若き太陽に挨拶いたします」
っと!
今は見定めてる場合じゃないな。
まずは、俺も挨拶を。
剣姫に教わった簡易の礼法通りに頭を下げて……。
「ああ、堅苦しい挨拶は不要だから、2人とも頭を上げてくれるかな」
「……」
これも剣姫に合わせ、ゆっくりと頭を上げる。
「サヴィアリーナ嬢、そちらが?」
「……はい」
「そうか、君がアリマ君か」





