第582話 異形
この異様な空気は?
「ヴァーン?」
「ああ、普通じゃねえな」
肌がひりつくような感覚。
さっきまでは全く感じなかった異様な気配が漂っている。
「どっからだ?」
気配のもとは。
「階上だな」
濃密な気配が頭上から降りかかってくるこの感じ。
気配感知に意識を割くまでもない。
「上に何かいるってか」
「ああ」
尋常じゃない気配を漂わせる存在が確実に階上に。
「こいつぁ、コーキがいるんじゃ?」
「……コーキの気配とは別物だ」
気配を自在に操れるコーキのそれを俺が正確に判別することはできない。
が、この気配がコーキのものじゃないことは明らかだ。
どう考えても異質に過ぎる。
「気配の持ち主のことじゃねえ。そいつとコーキが戦ってるってこった」
「……」
確かに。
その可能性なら考えられる。
「ヴァーン、行くぞ」
「おい!」
また返事も聞かず歩き出しやがった。
「ヴァルターさん?」
「うむ」
頷くのかよ。
「……」
まあなぁ。
こいつはちょっと放置できないか。
とはいえ。
「急ぎ過ぎだ、ギリオン。もっと用心しろ」
俺の言葉に振り向きもせず、早足で先頭を歩くギリオン。
前方に階段が見えるやいなや、駆け出してしまった。そのまま、あっという間に階段を上り始めて……。
「仕方ない」
一言漏らすヴァルターと共に足を速め、俺も階段へ。
「っ!?」
これは!
空気が変質を?
しかも、恐ろしい方向に。
「まずいな」
ヴァルターも異状な気配に眉をひそめている。
当然だ。
こんな気配を前にして、普通でいられるわけがない。
エビルズピークのバケモノほどじゃないが、とんでもない気配なのだから。
それなのに、ギリオンの勢いは変わらず上へ前へと進んでいく。
「ギリオン!」
いくら鈍いあいつでも、この気配を感じ取れないはずないだろ。
分かった上で動いてるのか?
「……」
渋い顔をしたヴァルターも足は止まらない。
「ちっ!」
付き合うしかねえのかよ。
焦りと迷いで、若干ふたりに遅れながらも階段を駆け上がり。
廊下に足を踏み入れた、その時。
「グゥルゥオ&$#@オォォ△#オオォォ!!」
耳に入ってきたのは、言葉にならないような叫声。
「出やがったな!」
「……」
俺の数歩先にいるギリオンとヴァルター。
ふたりが対峙しているのは。
「&◇#@オォォ!!」
二足歩行の怪物だ。
「オオォォ……」
人を二回りほど大きくした巨体に、歪に発達した筋肉。
焦点の合っていない濁った瞳に、涎で汚れた口元。
原型を留めない程に破れた衣類のようなものを身に纏い、廊下に仁王立ちしている。
「……」
人とも魔物ともつかぬ醜悪な姿には、ゾッとする不気味さしかない。
階下で感じた気配から厄介な怪物がいることは分かっていたが、こんな異形は想像もしていなかった。
「コーキはいねえな。で、何なんだ、おまえはぁ?」
理性の見えない怪物がギリオンの問いに答えるはずもなく、ただ瞳をギリオンに向けるのみ。
「ヴァルター、こいつは魔物かよ?」
「分からん。が……あれはバシモス?」
「ん?」
異形にばかり目を取られていたが、よく見れば怪物の後ろに人が倒れている。
「バシモスってのは?」
「そこに倒れているこの屋敷の住人だ」
「こいつにやられたのか?」
「おそらくな」
屋敷の中に怪物が現れて、ヴァルターが知る屋敷の住人を襲い。
そこに俺たちが出くわしたと?
「まっ、倒れてる奴なんざ、どうでもいい。そんなことより、こいつを倒すぜ!」
この状況でも変わらないギリオンの単純な思考。
言葉通り、一歩足を踏み出した瞬間。
「オオォォ!」
怪物が声を上げた。
瞳の焦点も合っている。
ギリオンを敵と認識している目だ。
「くるぞ、ギリオン!」
「おう!」
身を屈める怪物。
筋肉で覆われた右腕を振り回すようにして、ギリオンに襲い掛かってきた。
対するギリオンは後ろに下がることで攻撃を躱し、振るわれた腕に向かって剣を放つ。
「だぁ!」
隙だらけの怪物の右腕に斬りつけるのは難しいことじゃない。
案の定、ギリオンの剣が敵の腕をとらえた、が!
ギン!
腕に斬りつけたとは思えない硬質な音を発してギリオンの剣が弾かれて!
「何だ?」
驚くギリオンに、怪物の左腕。
間を置くことのない連続攻撃。
右腕に続いて左腕の薙ぎ払いがやってくる。
「ちっ!」
後ろに大きく跳躍。
今回は回避のみ。
そこにギリオンと交代するようにヴァルターの剣。
真上から叩き斬るような強烈な勢いで、一振りが怪物の左腕に激突する。
ガン!
しかし、これでも斬り裂けない。
「硬いな」
「ああ、ただの皮膚じゃねえぞ」
剣が通らなかったギリオンとヴァルターが怪物から数歩距離を取っている。
怪物は再び突進の姿勢。
その前に、俺の出番だ。
「ファイヤーボール!」
怪物が足を踏み出したところで、火の玉を放ってやる。
初撃から高威力のファイヤーボール。
硬い皮膚でも炎は効くだろ。
狙い通り胸に炸裂。
「$#@オォォ」
悲鳴を上げる怪物。
ただ、その胸は表面が若干赤くなっているのみ。
効いてないのか?
「オオォォォ!」
怪物の瞳が真っ赤に染まっている。
焦点が合っていなかった最前とはまったく違う。
そこには明白な意志が!
「……」
こうなると、厄介だぞ。





