第574話 禁具
「ぐああぁぁぁ!!」
階段の真横に仁王立ちしたオルセー。
とんでもない大声で、獣のような咆哮を上げている。
「ああぁぁぁ!!」
細身だった体が嘘のように強靭な筋肉で覆われ、2倍近い厚みを持った体に変貌を遂げて。
「ぁぁぁ……」
咆哮が止み。
こちらにゆっくりと顔を向けてきた。
真っ赤に染まった両眼をぎょろりと見開いたその様は、理性を失った野獣のよう。
纏う雰囲気も人間離れしている。
同一人物とは思えないほどの変貌ぶりだ。
「オルセー殿?」
「……」
話しかける公爵令嬢姿の剣姫に対して、オルセーは無言で目を向けるだけ。
「どうしました? 何をされたのです?」
縄で拘束していた事実などなかったかのように、剣姫が心配そうな目で見つめている。
「……」
が、オルセーは何も喋らない。
「魔道具でしょうか?」
「……」
剣姫に向ける目には何も映っていない。
「話してくださらないと、分かりません」
オルセーに話しながら、こちらに目配せをする剣姫。
気にせず意識を奪えってことか?
「んん? んんん!」
ここで、床からくぐもった声?
横たわっていたバシモスが意識を取り戻したようだ。
猿ぐつわの下で、何かを叫んでいる。
「……」
床に目を向けるオルセーの表情には、やはり色が見えない。
「んん!! んん!!」
バシモスは相当興奮しているようだが。
「オルセー殿?」
さらに視線で訴えてくる剣姫。
……了解。
何が起こっているのか理解できないが、今は眠ってもらった方がいいな。
「……」
いまだ無言で立ち尽くすオルセーの背後から。
「雷撃!」
「うっ……」
ビクンと体がはね、僅かに息を漏らす。
が、反応はそれだけ。
崩れ落ちない。
意識を保ったまま立っている。
相変わらず無言で、振り向こうともしない。
「……」
変貌を遂げた体は、見た目に相応しい頑丈さも備えているのだろう。
なら、もう一発。
「雷撃!」
「……」
今度は声すら漏らさない。
ただ、上半身を捻りながら、こちらに目線を送ってきた。
とはいえ、その充血した目には……。
やはり、何も映っていない。
こいつ、どうなってしまったんだ?
「アリマ、人が集まってくるぞ」
今は俺に対峙しているオルセーの背後から剣姫の声。
「……」
確かに、人の気配がする。
オルセーの叫び声を耳にして集まってきたのか?
面倒だな……。
「人が来る前に」
早く意識を奪えと。
分かってるさ。
今度は容赦も手加減もしない。
「雷撃!」
から、懐に入って掌底を胸に!
ドッ!
避けようともしないオルセーの胸に直撃。
手のひらに伝わる鋼のような感触は、決して気持ちいいものじゃないが。
それでも、もう意識を保つことはできないだろう。
「……」
なっ!
これでも倒れない?
「あぁ、ああぁ……」
倒れないどころか、オルセーの口から奇妙な声が漏れ出して!
「んん、んんん!!!」
バシモスも焦ったように叫んでいる。
「イリサヴィ……サヴィアリーナ様?」
「……バシモス殿が何か知っているようです。聞いてみましょう」
床に横たわるバシモスに駆け寄り、猿ぐつわを外すやいなや。
「縄を解け、今すぐ!」
「その前に、オルセー殿の状態を教えてください」
「……あいつ、禁具を使ったんだ」
きんぐ?
初めて聞く単語だぞ
「禁具だったのですね」
「ああ。こうなったら手の打ちようがない。本格的な覚醒の前に殺すしか術はない!」
仲間を殺す他に手段がない。
それほどの状態?
「……分かりました」
剣姫も納得している。
つまり……。
「ああぁ、あががが……」
「早く縄を解け!」
「あがが、ああぁぁぁ……」
「もう覚醒する! 早く解くんだ!」
喚くバシモスを無視して俺の傍らに歩み寄る剣姫。
「仕方ありません。お願いできますか?」
公爵令嬢姿の剣姫が実力を見せるわけにはいかない。
かといって、バシモスを解放するのも避けたいところ。
必然、選択肢は限られてくる。
「無論です」
俺が倒すだけだ。
「ががっ、がガガ、アアァァァ!!!」
俺の返答に呼応するように、断末魔のごとき咆哮を轟かせるオルセー。
その姿は、さらなる変貌を遂げ……。
「覚醒してしまった……」
「……」
バシモスからは、焦りの滲んだ声。
剣姫は若干当惑の表情。
階下からは、多くの足音。
俺は剣を抜き放ち……。
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<ヴァーンベック視点>
「うぅ、んんっ……」
これは、俺の背中にいるギリオンの声。
ギリオンが目覚めようとしている?
「ヴァルターさん、ちょっと止まってください。こいつ目覚めますよ」
「……そのようだな」
床に下したギリオン。
「うぅ……」
今にも目を開きそうだ。
「魔道具か薬か分かりませんが、効果が切れたようですね」
「……」
ここまで長かった。
けど、やっとギリオンと話ができる。
そう思えるだけで、安心しちまう。
「……ん? んん?」
「目が覚めたか」
「……ヴァーン?」
「ああ、俺だ。迎えに来てやったぜ」
「何でおめえが? ん? ここは、どこだ?」





