第569話 変貌
「ねっ、アリマさん」
この事態を読んでいただけでなく、俺の名まで。
それもアリマの名を知っている!
「……」
記憶には全く残っていないが、やはり彼女とは面識があるのか?
だとすると、俺はこの存在感を忘れていた?
いや、彼女だけが俺のことを知っている可能性も考えられる。
つまり、どこかで俺のことを知って、調べて……。
公爵令嬢がそんなことを?
わざわざ?
おかしい。
どちらにしても普通じゃないぞ。
「……」
そもそも、俺のことをアリマとして認識している者はほとんどいないんだ。
アリマの名を使ったのは、前回のキュベルリア訪問時。
冒険者ギルドでヴァルターさんと手合わせした際に名乗ったくらい。
それ以外に使った覚えはない。
「どうしました?」
「……」
「とっても難しい顔をされてますけど」
「あなたが教えてくだされば、解決しますよ」
「ふふ、そうですね。時間もありませんし、では」
そう言ったまま口を噤む彼女。
どこからか取り出したブレスレットを触っている。
この状況で何をするつもりだ?
「話すより、これが早いですからね」
微かな笑みをたたえながら、ブレスレットを左手に装着。
「……」
意味が分からない。
と?
風が?
窓も開いていない部屋に風が吹いて?
風は……公爵令嬢から?
「サヴィアリーナ様?」
「少しお待ちください」
風の中、変わらぬ穏やかさで答えるサヴィアリーナ嬢。
彼女の絹糸のように美しい髪が風に舞っている。
ふわりと広がった朱色の長髪が渦を巻いている。
「……」
その髪色に異状が?
渦の中心、一部の朱が紺へと変わり、そして。
強く波打つ朱髪が濃紺に転化!
全てが鮮烈な濃紺に変化した!
「なっ!?」
いまだ揺れなびく濃紺の髪の下。
容貌も変化して。
朱色の眼が蒼に、輪郭も変わって……。
風が止んだ。
「……」
濃紺の髪に蒼眼。
泰然とした微笑みに、この気配。
「久しいな、アリマ」
間違いない。
見間違えるわけがない。
「……イリサヴィアさん」
剣姫イリサヴィアだ。
公爵令嬢が剣姫に変貌した!
「うむ」
「こ、これは、いったい?」
「偽って悪かったな。全ては宝具の力だ」
宝具?
姿を変える宝具?
だったら。
「イリサヴィアさんは公爵令嬢だったのですか?」
「……うむ」
剣姫が公爵令嬢?
公爵令嬢が剣姫?
「……」
どっちでもいい。
とにかく、この人はただの冒険者じゃないってことだ。
「ここだけの秘密にしてくれよ」
「それは、まあ」
剣姫が公爵令嬢で。
風根衆の館に、仕事の報告を受けにやって来た?
オルセーにレイリュークを調査させていた?
俺が囚われていたことも知っている?
「……」
駄目だ。
情報が多すぎる。
わけが分からない。
「イリサヴィアさん、何がどうなってるのでしょう?」
「聞きたいことは多いだろうが、時間がない。まずは、ここを出よう」
再びブレスレットを装着し、公爵令嬢の姿へと戻る剣姫。
「イリサヴィアさん? サヴィアリーナ様?」
どう呼べば?
「この姿の時は、サヴィアリーナと呼んでくれ」
「……そうですよね」
駄目だな。
まだ混乱している。
少し冷静にならないといけない。
「アリマ、この部屋を出るぞ」
「……」
「オルセーとバシモスが目覚めると面倒だ」
「良いのですか?」
剣姫は俺とは立場が違う。
彼らと敵対しているどころか、仕事を依頼する関係じゃないか。
「うむ。やり様はいくらでもある」
剣姫の腕と公爵令嬢、王太子秘書官の権力があれば何とでもなると?
そうかもしれないが……。
「約束しただろ」
「……」
「借りは返すとな」
そういえば、そんな話も。
「ふふ。君が遠慮することはない」
「……分かりました。ここは甘えさせてもらいますよ、イリサヴィアさん」
「うむ」
彼女の力を借りることができるなら、脱出も容易いはず。
ギリオンを探すことも。
「……」
この状況。
まだ何も解決していないというのに、少し力が抜けてしまう。
だから、こんなことも口に。
「その姿に、その口調は何というか……微笑ましいですね」
当然、今の彼女は公爵令嬢に相応しい服装を身につけている。
それでいて、いつもながらの凛々しい剣姫の口調。
そのアンバランスさが、どうにも。
「アリマ……」
「あっ、申し訳ありません」
「……よいのですよ、アリマさん」
「……」
「どうかしましたか?」
そう言って満開の花のような笑みを。
「アリマさん?」
「いえ、その……」
「何もないのでしたら、急ぎましょ」
ごめん、俺が悪かった。
「すみません、失言でした」
「問題ありませんよ。ささ、急いで」
「本当に申し訳ありませんでした。いつもの口調でお願いします」
「……今は時間を潰している場合ではないな」
「……」
俺が悪いのは分かってる。
けど、剣姫はこんな人だったか。
「急ぐぞ」
扉へと足を進める剣姫。
「待ってください。バシモスも縛っておきますので」
オルセーは拘束済みだが、バシモスは意識を失っているだけ。
縄と猿ぐつわを使った方がいい。
「うむ」
急いで奥のソファーへ。
と……。
嘘だろ!?
「……」
バシモスが立ち上がって!
もう意識が戻ったのか?
「きさま!」
早すぎる。
さすがにこれは。
「よくも騙してくれたな!」





