第526話 戸惑い
<和見幸奈視点>
テポレン山での大勝利に沸いたあの夜。
わたしが体を借りていたセレスさんの身に何かが起こった夜。
こっちの世界に戻って来たわたしは、セレスさんのことが心配でならなかった。
少しでも早く功己からセレスさんの状況を聞きたかった。
けれど、その日も次の日も功己は帰って来ることはなく。
私は待ち続けるだけ。
「……」
これだけ待たされるということは、セレスさんが無事ではないということ。
その思いに心が乱されてしまう。
黒都からトゥレイズ城塞、テポレン山に至るまでの長期間、セレスさんとして暮らしていたわたしにとって、彼女はとても大切な存在だから。
ううん、大切どころじゃない。
友達や家族以上。
わたしの分身とさえ今は感じている。
だから、彼女の無事を。
せめて、生きていてくれることを。
祈りながら、わたしは日本で暮らしている。
でも……。
功己が数日も戻らないということは、セレスさんが生きていることを意味しているのかな?
セレスさんを助けるために奮闘しているから、こっちに戻れないんじゃないかな?
功己が彼女のために、信じられないほど力を尽くしていたことをわたしは知っているから。それを近くで見てきたから。わたし自身がセレスさんだったから。
誰よりもそのことを知っているから!
そういう風に思ってしまう。
セレスさんは生きている。
そう考え、安心させることで、日々をやり過ごしていた。
「……」
あちらとは比べ物にならないくらい穏やかな日々。
この世界にも異能や異形は存在するけれど。
日本は平和なんだ。
毎日が平和なんだ。
と、そう思っていたのに。
わたしは、また違う世界に連れ去られてしまった。
武志と古野白さんと武上君と一緒に、何もない空間に。
そこで繰り広げられた戦い。
生き残るための時間は……。
想像を超えていたと思う。
異世界の戦いにも見劣りしないほど、濃密な時間だったと思う。
もちろん、エビルズピークの魔物やローンドルヌ河の戦い、トゥレイズ攻防戦、テポレン山の戦いなどを経験しているわたしにとっては、耐えられないほどじゃない。
その経験があったから、わたしなりに冷静に動けたと思う。
それでも、いつ誰が命を落としてもおかしくない危険な状況だったことに変わりはない。
そんな危機的状況から救い出してくれたのは。
やっぱり功己。
テポレン山から戻って来てくれた私の大切な想い人だった。
喜びと安心と、心配と恐怖。
色々な感情が入り混じって自分でも良く分からない心を持て余している間に戦いは終わり、気付けばわたしたちはあの地下室に。
そう。
あの地下室に帰還してしまったのだ。
おぞましい浴槽を備えた和見家の地下室。
他の誰に見られても気にならないけれど、功己にだけは見られたくなかった地下室。
知られたくなかった浴槽。
功己がそれを目にしてしまった。
「……」
絶望。
その瞬間のわたしにあったのは絶望だけ。
功己に知られてしまう。
私の汚れた過去が。
命を落としても知られたくなかった汚点が。
どうしよう?
どうしよう、どうしよう?
絶望の中、その言葉がずっと頭の中を走り回っていた。
「……」
幸い、みんなは疲労と安堵でいっぱいで、わたしのことなど気にしていなかったから気付かれることはなかったけれど。
その時のわたしは……。
その後。
屋敷にやって来た能力開発研究所職員の皆さんが後処理を行ってくれたおかげで、わたしは特にすることもなく、その時間に心と体を落ち着かせることができた。
功己は、気付いていないと思う。
わたしの様子がおかしいとは感じたかもしれないけれど、アレには気づいていないはず。
そもそも、気付けるはずがないんだわ。
地下室に不似合いな浴槽が存在しているからといって、汚れたわたしに気付けるはずが……。
想像していなかった事態に動揺したわたしの一人相撲。
その考えがわたしを冷静にしてくれた。
心を落ち着けることで、功己と普通に話をすることができたんだと思う。
一人暮らしの話も、そしてセレスさんの話も。
そう、セレスさんは無事だった。
本当に良かった。
ここまでは……。
「どうして地下室に浴槽があるんだ?」
功己のその言葉で、状況が一変。
真っ白になる頭に、戸惑うわたし。
何をどう答えたか覚えていない。
功己が納得したかも分からない。
「いつまで話してんだぁ。もう行くぞ」
「有馬君、申し訳ないんだけど、先に研究所に向かってもいいかしら」
この呼び声がなければ、どうなっていただろう?
古野白さんと武上君が功己を呼んでくれたから、助かったようなもの。
ふたりの言葉に力を借りた私は。
「功己、行った方がいいわ」
「……」
「早く」
「……そうだな」
ひとまずの時間を作ることができた。
その事実に、また少し心を静めることができた。
だから。
「……功己」
「ん?」
「今日はありがと。一人暮らしのことも、嬉しいよ」
感謝の言葉を口に出すこともできる。
「……」
「わたし、頑張るから」
「功己は気にせず、あっちの世界に行っていいんだからね」
「……」
「セレスさんの力になってあげて」
少しだけ背伸びすることだって。
「……ああ」
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<ヴァーンベック視点>
「ホントに出発すんのか?」
「うん、わたしは平気。だから早く行きましょ」
「そうは言ってもよぉ」
「ヴァーンが一緒にいてくれるんだから、何も問題ないよ」
シアの素振りに強がっている様子は見えない。
「目が見えなくたって問題ないの」
エンノアからオルドウに戻ったシアは、これまでと何も変わりなく過ごしている。
それどころか、力に満ち溢れているようにさえ感じられる。
視力を失ったというのに。
こんな元気な姿を……。
「問題あんだろ」
とはいえ、王都キュベルリアまでは長旅になる。
この生活にもう少し慣れてから出発するべきでは。
「ヴァーンに助けてもらうから心配なんて全くない、でしょ?」
「……」
「それとも、ヴァーンは離れちゃう?」
「んなわけねえだろ。ずっと傍にいるに決まってらぁ」
「ほんと?」
「ああ」
「……ヴァーンには夢があるのに?」
うっ!
それは……。
「夢を諦めるの?」
「……諦めねえよ」
「だったら」
さっきまであった張りがなくなっている。
「わたしなんか……」
消え入るようなか細い声だ。
「邪魔、かな」





