第524話 部屋
「んじゃ、外で待ってるぜ。早くしろよ」
「ああ」
幸奈と話をしたいという俺の言葉を受け、古野白さんと武上が屋敷の外へ。
武志にも席を外してもらった。
「功己、どうかした?」
幸奈が首をかしげ、こちらを見上げてくる。
疲労が溜まっているはずのその瞳には期待と不安が入り交じったような色が。
「……これからのことを、な」
「これから?」
「そうだ」
「……」
「和見家や壬生家については、今後研究所がより一層目を光らせてくれるだろうから、幸奈と武志は安心していいとは思っている」
「うん」
「そう思ってはいるが……」
「……」
「和見家を出ないか?」
「えっ?」
これは、ずっと考えていたこと。
「幸奈が良ければ、和見家を出て暮らさないか?」
「それって、えっ?」
いきなりの提案に戸惑うのも当然か。
「わたしが家を出ても?」
成人なのだから、問題はない。
「わたしが……」
「……」
「外で暮らしていいの?」
「ああ」
「功己の部屋で一緒に?」
ちょっと待て。
どうして、そうなる!
「ふたりで暮らすの?」
「いや、違う。そうじゃない」
「……違うんだ」
いくら幼馴染でも20歳の男女がワンルームで一緒に暮らすのは、さすがにちょっと。
それに、俺にはまだ……。
「あの部屋は、ふたりで暮らすには狭すぎる。一緒にというのは難しいな」
「あっちの世界では、ずっと一緒にいたのに?」
「他のみんなもいただろ」
「そうだけど」
もちろん、セレス様の姿をした幸奈と二人きりになることもあったが、それは例外的なことだ。
「だから、一人暮らしはどうかと思ってな」
「ひとり、かぁ……」
「そう、一人暮らしだ。ただ、今の状況では不安もある」
「うん」
「それで、俺の隣の部屋なんかどうだろう?」
隣だったら、不測の事態にも対応しやすい。
「功己の隣?」
「ちょうど空いているんだ、隣の部屋がさ」
「功己の隣で、一人暮らし……」
「ああ。悪くないと思わないか」
「うん、悪くないかも。でも、わたし……」
何か問題が?
「ごめん、功己。自由にできるお金がないの」
和見の家は裕福な家だが、20歳の幸奈までそうとは限らない。
むしろ制限が多かったため、アルバイトもできない状況だったらしい。
「だから……」
「生活費については俺が何とかする」
「えっ? だめだよ、そんなの!」
「どうしてだ?」
「だって、わたしたち、その……そんな関係じゃないし」
「大切な幼馴染って関係だろ」
「大切……」
「俺に任せてくれ、なっ!」
「でも……功己もお金はギリギリなんでしょ」
「幸奈も知ってるように、俺はあっちで結構稼いでる。それを巧く使えば、こっちの世界でも問題ない」
2つの世界間で商売みたいなことをするつもりなんてなかったが、今はそんなこと言ってる場合じゃない。
「……」
「どうだ?」
「ちょっと考えさせて。それと、わたし一人暮らしするならアルバイトするから。だから、最初だけ助けてくれれば……」
「分かった。ゆっくり考えてくれ」
「……うん」
この様子。
後ろ向きではないようだ。
なら、何とかなるはず。
「それは考えるから……」
「ん?」
何だ?
「功己、あっちの世界はどうなったの?」
っ!
「セレスさんは大丈夫だったの?」
「……」
「ずっと聞きたかったけど、みんなが傍にいたから」
こっちを見上げる幸奈のまつげが揺れている。
そんな幸奈に俺が伝えられるのは……。
「功己?」
「……セレス様は無事だ」
ニレキリの毒を回避することには成功したよ。
ただ……。
「ほんとに?」
「ああ」
「よかったぁ」
「……」
「シアさんもアル君も、ヴァーンさんもディアナさんもユーフィリアさんも元気かな?」
「……そう、だな」
ごめん、幸奈。
今は、そうとしか言えない。
もうあちらを訪れることがないだろう幸奈に、残酷な事実を告げることなんて俺には……。
「うん、うん」
「……」
「これで一安心ね」
ほっと吐息を漏らす幸奈の瞳は、心に残っていた重しが取れたように軽やかに見える。
俺は……。
「でも、セレスさんたち領都ワディナート奪還を目指すんでしょ」
「……ああ」
「これからが大変ね」
「……」
「大変な時に、わたしだけ抜け出しちゃって」
それは違う。
「幸奈も大変な目に遭ったじゃないか」
「そうだけど……」
あちらの世界での幸奈は、黒都からエビルズピークを越え、領都ワディナート、ローンドルヌ河、トゥレイズ城塞、そしてテポレン山での戦いと、とんでもない経験を積んできたんだ。
日本に戻ってからも、今回の壬生家や吾妻の襲撃。
これで楽をしているだなんて、いったい誰が思うだろう。
「幸奈は充分頑張った」
「……かな?」
「ああ。だから、少し休んだ方がいい」
「……うん」
それだけじゃない。
今までも……。
過去世界で俺が見た幸奈。
あの蛮行が、この世界でも行われていたとしたら。
睡眠薬大量摂取の原因だとしたら。
「……」
今ここで俺が聞いても幸奈は否定するだろう。
実際、これまでもそうだった。
ただ、それでも。
「幸奈……ひとつ聞いてもいいか?」
「何? どうしたの?」
「地下室のあの浴槽」
「……」
「あれは、あれは何に使ってるんだ?」





