第485話 再訪
シャワーを終えた幸奈を連れ、さっそく都内へ出発。
電車とタクシーを使って能力開発研究所の近くに到着したのは、ねっとりとした空気が身体に纏わりつく真夏の午後だった。
「ごめんなさい、今はお金を持ってなくて……あとで、必ず返します」
タクシーを降りるやいなや、頭を下げてくる幸奈。
さっきから、落ち着きがなかったのはそのせいか。
「費用のことは気にしなくていい」
「駄目ですよ。本当は謝礼も支払うべきなのに」
「それは違う。君を助けるのは俺にとって当然のことなんだ。それに、未成年からお金は貰えないな」
「でも、功己さん、今は20歳ですよね? 大学生ですよね?」
「……ああ」
「そのぅ、余裕はあるんですか?」
なるほど、そういうこと。
「まあ、大丈夫だ」
「……」
俺のアイテムボックスには、ある程度の金額が入っている。
この世界で換金可能な物も入っている。
問題はない。
いや、少し問題はあるか。
この時間以降に発行された紙幣の使用は控えるべきだからな。
「出費のことは考えなくていい。君には、これからのことだけを考えてもらいたいと思っている」
お金のことより、自分のことを。
父親との関係を考えてくれれば充分。
「功己さん……ありがとう」
「どういたしまして」
まだ納得してないような顔だが、幸奈の性格からすれば当然か。
「ところで、どうして急にわたしのことを君って呼び出したんです?」
「……」
「功己に……功己さんに、そんな風に呼ばれたくないです。さっきみたいに幸奈って呼んでください」
「……君が敬語をやめたらな」
俺が20歳だと認識して以降、幸奈はずっと敬語で話しかけてくる。
この世界では15歳なのだから、それも理解できるが……。
やっぱり、幸奈に敬語で話されるのはむず痒いんだよ。
できれば普通に話してほしい。
「ええぇ? 20歳の大人相手にそれは難しいです」
「なら、君と呼ばせてもらおう」
「……」
「適度な距離が必要だろ」
「もぉ、分かりましたよ!」
頬を膨らませる幸奈。
懐かしい表情だな。
「少し敬語を控えるので、幸奈って呼んでください」
「敬語が残ってるぞ」
「……名前で呼んで、功己さん」
「了解」
そんな緊張感に欠ける会話をしながらも、足を動かし続けると……。
記憶通りの眺めが目に入ってきた。
「この近くに異能関係の事務所があるんですか?」
「そうだな」
「こんな凄い場所に……」
和見家の自宅から研究所の入っているビルまでは電車とタクシーを使って1時間弱。
東京近郊に暮らす中高生にとって、比較的容易に足を運べる距離だ。
とはいえ、高層、高密度化したオフィスビルが立ち並ぶこの辺りは学生とは無縁の場所。
言うまでもなく、幸奈にとっても未知の空間なのだろう。
「異能の専門家が、都内のオフィス街で仕事をしているなんて驚きです」
「……」
「もっとあやしい場所に事務所があると思ってました。ほんと、不思議な感じがします」
不思議……か。
近代的な建造物で溢れた街に、異能というある種アナログで前時代的なモノを扱うオフィスが存在しているという現実。
確かに、不思議なことかもしれないな。
「それで、どのビルなんです?」
「あの角を曲がれば見えてくる」
「もうすぐ到着かぁ。なんだかドキドキしますね」
「……」
鷹郷さんと話ができるか?
手を貸してもらえるのか?
こっちは不安しかない。
「功己さん、どうしました?」
「……何でもない。さあ、着いたぞ」
幸いなことに、5年後の世界と同じ場所、同じビルに能力開発研究所は存在していた。
その事実にひとまずは胸をなでおろしたものの、それもつかの間のこと。
「アポイントを取っていない方は、お断りしています」
「後日アポイントを取ってから再訪ください」
受付での対応は、まったく取り付く島もないものだった。
とはいえ、ここで簡単に引き下がるという選択肢はない。
「何とかお願いします。大事な話があるんです」
「そう言われましても……」
「少し時間をいただくだけでいいですから」
「……申し訳ありませんが、規定なので取り次ぎはできないのですよ」
「……」
やはり、そう簡単に事が運ぶことはないか。
となると、ここはもう……アレを使うしかない。
収納から取り出したのは1枚のカード。
廃墟ビル事件の後、鷹郷さんにもらった身分証明用のカードだ。
これを見せれば、突破口が開けるはず。
ただし、5年後に発行されるこのカードが問題を引き起こす可能性も充分に考えられる。
「……」
露見の一言が頭を過ってしまう。
それでも、今はこれに頼るしかない。
カードを受付台の上に置いた、その時。
「話くらい聞いてあげればいいじゃない」
奥から現れたのは、ひとりの少女。
少しきつめの口調で受付の女性に声をかけてきた。
「楓季ちゃん……訓練はどうしたの?」
「ちょっと、ちゃんはやめてって言ったでしょ」
楓季?
「ふふ、そうだったわね、楓季ちゃん」
「だから、それはやめてって」
まさか、古野白さんなのか?
俺の知る彼女に比べれば、ひとまわり小さいし顔つきにもあどけなさが残っている。
それでも、この容姿に口調、楓季という名前は……。
「はいはい、古野白さん」
間違いない!
彼女は炎を操る異能者、古野白楓季だ。
「功己さん……。一度、外に出ましょうか?」
俺がころころと表情を変えたからだろう。
幸奈が心配そうに見上げている。
「大丈夫だ。問題ない」
「そう、ですか?」
「ああ、任せてくれ」
「……はい」
5年前の古野白さんの姿に若干戸惑ってしまったが、異能者である彼女が能力開発研究所にいてもおかしいことではないんだ。
動揺することじゃない。
それより今は、鷹郷さんと会うことが何より重要。
まずは受付カウンターの上に置いたカードを見てもらう必要がある。
「すみません、これを見て……」
「古野白ぉ、何してんだぁ?」
受付の女性にカードを手渡そうとしたところ、また奥からひとりの少年が姿を現した。
「普通人の訪問者を見に来ただけよ」
「普通人なんて、どうでもいいだろ」
「でも、珍しいのよ。この人、鷹郷さんを名指ししてたんだから」
「鷹郷さんを?」
「そうなの。普通人なのにおかしいでしょ」
「確かに、普通じゃねえなぁ」
「楓季ちゃんに大志君、要らぬこと喋ってないで訓練に戻りなさい」
少年の名前は大志。
あの武上、武上大志か?
「訓練なら、もう終わったぜ」
「それなら、帰りなさい」
「まだ帰らねえぞ。こっから自主練なんだからよ。ってことで、古野白行くぞ。その普通人も連れてな」
「訓練室に一般人は入れないわ」
「楓季ちゃんの言う通りよ」
「ふたりとも分かってねえなぁ。カウンターの上を見てみろよ」
「……!?」
「……!?」
「カードを持ってんだぜ。一般人じゃねえだろ」
「……そうみたいね」
「ああ、こいつも所有者かもしんねぇな。確かめるためにも、訓練室に行こうぜ」
「分かったわ」
「そこの兄さん、そういうわけだから、オレたちと一緒に来てくれ」





