第469話 離脱
<壬生伊織視点>
瘴気漂う和見家の地下室を離れ玄関に向かう足は軽い。
「……」
今回も悪くなかった。
いや、むしろ想定以上。
こんな場所で有馬に貸しを作ることができたし、その能力の一端を垣間見ることもできたのだから。
「……」
有馬功己。
異能者ではない超越者……。
橘の瞬間移動や銃撃を一蹴してしまう身体能力に加え、揺魂に耐える精神力。
耐えるだけじゃない、揺魂に近いものを使うことすらできる。
さらには、位相の空間を正確に知覚する能力。
おそらく、まだ見せていない力も……。
いったい、どれだけの力を隠し持っている?
本当に恐ろしい男だよ。
「……」
諦められるわけがないな。
あんな才能の塊、見逃すことなどできるわけがない。
ならば、手に入れるだけ。
有馬功己もその力も!
今すぐは無理でも、いつか必ず!
「……」
幸いなことに、時間は私の味方だ。
ゆっくり、その時を待てばいい。
今はそう。
有馬があの空間にどう対処するのか?
「……」
位相侵入など普通はできるものではない。
もちろん、私にも不可能なこと。
有馬といえども、さすがに侵入は……。
いや、相手はあの有馬だ。
やってしまうかもしれない。
やりそうな気がする。
ふふ……。
興味深いじゃないか!
「しかし……」
今位相に入れば、吾妻と遭遇するだろう。
となると、衝突は避けられないはず。
ここで、ぶつかるのか……。
この段階での衝突は想定外。
とはいえ、予定が早まるのは決して悪いことじゃない。
「吾妻と有馬の対決……」
どうしても心が惹かれてしまう。
地下室に戻りたくなるというもの。
「……」
今は無理だな。
彼女との約束があるのだから。
それに、私の力ではあの位相空間に入れない。
中の様子を見ることもできない。
中に入るには、空間異能者の能力が必要になる。
面倒なことだ。
が、場合によっては力を借りればいい。
それだけのことだよ。
有馬功己。
有馬さん……。
ふふ、ふふふ……。
ぼくは期待してますよ。
いろいろとね。
そんなことを考えながら廊下を抜け、玄関を出たところで。
「あら、屋敷の中に入っていたのね?」
「……ええ」
玄関先に立っていたのは壬生の姉と、配下の異能者数人。
「姉さんは、いつこちらに?」
「少し前に到着したのだけれど、和見の家にはあまり足を踏み入れたくないのよ」
「……」
「伊織君は平気だったのかしら?」
「まあ、何とか」
確かに、和見の家に漂う空気は気持ちいいものじゃない。
ただ、この暑さの中を外で待つのも……。
「暑くはありませんか?」
いつも通り黒衣で全身を覆っている姉の姿を見ていると、こちらが暑くなってくる。
後ろに並ぶ異能者連中も暑そうだぞ。
「ふふ、心配してくれるの? 今日は優しいわね、伊織君」
「……」
「でも、大丈夫よ。お兄様と吾妻さんも、すぐに出てくるでしょうし。そうすれば、車に戻れるのだから」
「状況次第では、中に入ることになりますよ」
「状況? 伊織君は、てこずると思っているのかしら?」
「可能性の話です」
「あの吾妻さんがいるのに、問題などないわ」
「……」
その通り。
吾妻が研究所の異能者に後れを取るとは思えない。
だが、有馬さんが中に入っているとしたら?
可能性は低いものの、無い話じゃない。
「ほうら、もう出てくるわよ」
姉の言葉に目を向けると、玄関横の空間が僅かに歪んでいる。
その歪みが大きくなり。
「……」
吾妻と空間異能者が現れた。
後ろに続くのは、壬生の兄と2人の異能者。
「皆様、お疲れ様ですわ」
「ああ……」
「あら、あら、お兄様、その様子はどうしたのかしら?」
「……何でもない」
「そうですの?」
「問題ないと言っている。信じないのか!」
「ふふ、もちろん信じますわよ」
「……」
「それで、幸奈さんはどうしたのでしょう? おに……吾妻さん?」
「中にいる」
相変わらずの無表情。
それていて、あの異能。
何とも気味の悪い男だ。
「空間の中に捕らえていますの?」
「そうだ! 幸奈も研究所の馬鹿どもも捕えている。問題はない」
「……」
「何も問題などない!」
「ええ、問題などありませんわ、お兄様」
「我々の勝利だ!」
「ええ、ええ、その通りですわね」
「お前、分かっているのか!」
「もちろん、お兄様のお力によるものだと重々承知しております。ですが、かなりお疲れの御様子。少し車で休まれてはいかがでしょう?」
「……そうしよう。もう充分に働いたからな。そうだろ、吾妻さん!」
本当にどうしようもない。
こいつが、この体の兄だとは……。
深く考えたくないものだな。
「……うむ」
「ということだ。事後処理は、お前がやっておけ」
「お任せください。お兄様はごゆるりと」
「……ああ」
2人の異能者を引き連れ、この場を離れていく。
これで、愚かな邪魔者はいなくなったと。
「さて、吾妻さん、説明していただけますかしら?」
「……4人を捕えている」
「それは聞きましたわ」
「空間に戻って、ここに連れてこよう」
「今すぐでしょうか?」
「吾妻さん、壬生さん、ちょっと待ってください」
慌てた様子の空間異能者。
「何ですの?」
「少し休まないと、上手く力を使えませんよ」
「ならば、少し休むとしよう。空間に戻るのは、そのあとだ」





