第459話 膜?
和見家の邸宅に足を踏み入れて以降、絶えることなく感じていた違和感。
目でも耳でも感知でも、その正体を認識することができなかった不快な感覚。
それは地階に下りても同じだった。
いや、これまで以上に感じてしまう。
今も肌を這いまわり首筋や背筋に纏わりついてくるザラついた陰気のようなもの。
本当に気持ちが悪い。
「……」
地下に隠された和見家の地下室。
打ちっぱなしのコンクリート壁に囲まれた異質の地下空間。
かなりの広さを誇る室内に置かれているのはソファーとテーブルのみ。
片隅に設置されたそれ以外、家具も装飾品も何も存在しない。
ただ……。
床をくり抜くようにして造られた浅い浴槽のようなものだけが目に入ってくる。
この異質な地下室においてさえ異彩を放つそれに意識が向いてしまう。
いったい、ここは何なんだ?
何のために造られた部屋だ?
ここで何が行われて?
どうしても、そんな思考が生まれてくる。
今が緊急時でなければ……。
そう。
今は非常事態。
地下室について考えている時間などない。
ここに何の手掛かりもないのなら、さっさと外に出るべき。
……。
……。
……。
不快な陰気が身体中を撫でまわし、孤独感、現実感の消失さえ覚えてしまうこの地下室。
ただ、ここには?
何かが存在する。
目では認識できない何かが!
俺を地下に留めるその確信めいたモノ。
そいつに突き動かされるように、室内を観察して……。
……。
初見同様、入念に観察しても異状は見つからなかった。
異状どころか、無駄なものなど一切。
やはり、勘違い。
ただの思い違いだったのか。
そう考えた次の瞬間。
「!?」
何かが視界に入って!
直後に消失。
……何だ?
錯覚じゃないぞ。
確かに、この目で見た。
それなのに、なぜ今は見ることができない?
何が違う。
さっきと今で、何が変わった?
「……」
そうか、魔力か!
地下室に突入する際に纏っていた魔力。
それが一時的に眼を強化したんだ。
なら、もう一度強化すればいい。
魔力を眼に集め。
強化した眼で室内を見渡す。
すると。
……。
……。
なるほど。
そういうことだったんだな。
しかし、これは?
俺の目の前には、濁った膜のようなもの。
透明度の低いその膜の向こう。
そこに見えるのは複数の人影。
幸奈、武志、古野白さん、武上のような人影が見える。
対しているのは、和見の父と異能者と思しき5人の男女。
膜の向こうに、確かに存在している。
「……」
この膜が何なのか、どういう仕組みなのか?
まったく理解はできない。
けれど、何が起こっているのかは分かる気がする。
つまり。
今の俺はこの膜を破壊すればいいってことだ。
そう考え、膜に手を当ててみたところ。
腕が膜を通過してしまった。
「……」
そこに何も存在していないように、手も腕も膜を素通りしてしまう。
何度試しても同じ。
抵抗は一切感じない。
この無抵抗感は……。
……。
魔落の両端に存在したトトメリウス様による結界壁のようなもの。
あれには、弾力のような抵抗感があった。
武志の結界には岩のような硬さがあった。
この膜には何も感じない。
実在していないように思えてしまう。
こんな膜を破壊できるのか?
予想通り。
膜を破壊することなんてできなかった。
破壊どころじゃないな。
存在を手のひらで確認することすらできないんだ。
この状態では、物理的にも魔法的にも破壊などできるわけもない。
なら、どうすればいい?
膜の中では、今も壬生家との攻防が行われているというのに。
「……」
膜が濁っているせいで、中の詳しい様子は分からない。
良く見えない。
それを解決すべく、さらなる魔力を眼に集め再強化……。
よし、これなら!
まだ若干濁っているが、ある程度の明瞭さを手に入れることができた。
ただし、音は聞こえない。
無音そのもの。
まあいいだろ。
とりあえず、膜の中の状況確認だ。
……。
……。
もう間違いないな。
幸奈、武志、古野白さん、武上の4人が膜の中の世界で戦っている!
壬生家の異能者たちと異能を交わし合っている。
戦況は……良くない?
いや、違う!
今は武志が展開する結界の中で防御に徹している状態。
被害が出ているようにも見えない。
対する壬生家の異能者たちは、武志の結界を破壊しようと攻撃を仕掛けている。
現時点では結界の堅牢さが勝っているものの、この攻撃が続くと長くもたないかもしれないぞ。
そうなると……。
こちらで攻撃力を持っているのは古野白さんと武上だけ。
相手は和見の父を除く、異能者5人。
おそらくは、腕の立つ異能者たち。
簡単じゃない、な。
「……」
やはり、俺が中に入るしかない。
わけの分らない異質な空間に。
とはいえ……。
侵入の方法が分からない。
皆目見当もつかない状態だ。
「……」
これまでに経験した異質な空間と言えば、魔落、トトメリウス様の神域、そしてエビルズピークの悪意、兇神が創り出した赤の異界。
魔落でも、赤の異界でも脱出手段を探すばかりで、侵入の術を探ることなどなかった。
だからというわけじゃないが、異空間に入り込む手立てなどまったく……。
……。
今俺が必死に考えたところで、すぐにどうにかなるとは思えない。
このままでは、武志が結界を維持している間に侵入するのは難しいだろう。
ただし、それは自力の場合。
ならば、頼ればいい。
使えるものを使えばいい。
そこにいるんだからな。
「出てこいよ」
「……」
「そろそろ姿を現わしたらどうだ、壬生少年」





