第46話 エンノア 3
「コーキ殿、どうかされましたか?」
つい考えこんでしまったが、スペリスさんの言葉に我に返る。
「あっ、すみません、大丈夫です。料理が素晴らしくて、少し食べ過ぎてしまったもので」
「それは嬉しいお言葉です。気に入られた料理はございましたか?」
「そうですね、この肉なんかは濃厚な味わいなのに臭みもなく食べやすくて、とても美味しかったです」
「ああ、それはブラッドウルフの背肉ですね」
ブラッドウルフ……。
それって、あのブラッドウルフだよな。
「それは、さきほどの」
「はい、コーキ殿からいただいたブラッドウルフです。コーキ殿の歓迎の宴にコーキ殿からいただいた食材を使うというのも失礼かと思いましたが、ブラッドウルフの肉は非常に珍しく、とても美味なものですから。新鮮なうちに是非味わっていただきたいと思いまして」
「いえ、提供した食材を使っていただいて私も嬉しいです。なにより、とても美味しいですから」
「お気に召されたようで、こちらとしても安心しました。といっても、コーキ殿のおかげなのですが」
そう言って軽く微笑むスペリスさん。
広場で最初に出会ってからずっと冷静沈着な雰囲気で、笑顔ひとつ見せなかったのに。
ちょっと嬉しくなるな。
「ウルフ種の中でもブラッドウルフはこの辺りに現れることは珍しいですし、また討伐自体も難しいので、口に入ることは滅多にないのです。ですので、我々もコーキ殿に感謝していただいております」
「本当にコーキ殿には感謝いたしております」
「ゼミアさん、スペリスさん、感謝はもういいですよ。もちろん、皆さんも」
「はは、そうでしたな」
しかし、このブラッドウルフの肉というのは貴重な食材だったんだな。あのまま放置しないで良かったよ。俺ひとりなら、きっと燃やすか地中に埋めていたと思うから。
「では、これが最後の料理となります。この肉をベオで包んで召し上がってください」
給仕をしてくれている女性の方が、薄切りにして焼いた肉とベオというナンのような薄焼きパンを俺の前のテーブルに置いてくれた。
肉とベオが盛られた皿は陶器のようなものだと思う。
ゼミアさんやスペリスさんの前にあるのも同様の皿。他の皆さんの前には木製の皿がある。
木製の皿は皆さんの手作りに見えるが、この陶器の皿はそうは見えない。
レザンジュやキュベリッツで購入したものなのだろうか。
「どうですかな」
「これも美味しいですね」
さっきの肉料理とは異なり、脂の甘みが感じられる肉だ。
「それはブラッドウルフの腹肉なんですよ」
「なるほど」
脂がのっている腹の肉だから薄切りにしてベオで包んで食べるんだな。
塩で味つけた肉とベオだけのシンプルな料理だが、滴る脂とベオが絶妙に絡んでかなり美味しい。
うん、この組み合わせは間違いない。
しかし、こういう時にも若返ったことを実感してしまうな。
これだけの量を食べた後に、脂ののった肉料理も美味しく感じるなんて。
40歳の俺の胃腸とは大違いだ。
以前なら、きっと胸焼けをしていたと思う
そんな胃腸に感謝しながらも考えるのは、今日の料理の数々。
ほとんと肉料理ばっかりだった。
肉以外といえば、茸類とベオくらい。
かなり偏った食事だよな。
「お飲み物もどうぞ」
給仕の方が、水を差し出してくれる。
エンノアでは酒を製造できないため、酒は滅多に飲まれないらしい。
今はレザンジュやキュベリッツへの買い出しも控えているとのことなので、さらに貴重品になっているとのこと。
そういうわけだから、俺も酒は遠慮しておいた。
「ありがとうございます」
これも文明の香りがする陶器の杯を受け取ろうとしたその時。
「あっ!」
給仕の女性がふらついて、杯をテーブルに落とし。
「す、すみません、あっ」
その場に屈みこんでしまった。
「コーキ殿、すみません。シェリーどうしたんだ?」
給仕のシェリーさん、肩で息をしている。
かなり辛そうだが、どこか悪いのだろうか。
10代半ばくらいの線の細い少女だから、貧血ということも考えられる。
「あ、あの、すみません、少し目眩が」
「お前も……なのか」
「……」
食卓についていたのは10名程度だが、みんな一様に黙り込んでいる。
さっきまでの和やかな雰囲気が嘘のように一変してしまった。
シェリーさんが目眩で屈みこんだことに、それほど衝撃を受けるのだろうか。
「ゼミア様!」
宴の間ずっと穏やかだったスペリスさんの悲痛な表情。
「ふむ……。サキュルスよ、シェリーを離れまで連れて行くように」
「承知いたしました」
ゼミアさんの指示に従い、サキュルスさんが席を立つ。
そのままシェリーさんに肩を貸して宴の間から出て行ってしまった。
「……」
「……」
「……」
俺も含め皆さん席に戻ったのだが空気が重い。
まあ、食事会の最中に誰かが倒れたらこうなるのも理解できるが、それにしたって……。
「コーキ殿、歓迎の宴の最中に申し訳ございませぬ」
そこは全く問題ない。
「いえ、体調不良はどうしようもないことです。それより、彼女は大丈夫でしょうか?」
「今すぐどうということはないかと。とりあえず、別室で休ませておきますので」
「今すぐですか」
ということは、先々に問題があるということか。
「長老様!」
「ゼミア様!」
「皆の者、分かっておる」
背筋を伸ばしたゼミアさんが俺の方に向き直る。
「コーキ殿、少しよろしいでしょうか」
「ええ、もちろん」
「実は……聞いていただきたいことが」
深刻な顔つきをしたゼミアさんの言葉が止まる。
ただ事ではないな、これは。
「実は先ほどのシェリーのような症状の者。未知なる病に罹っている者が現在のエンノアには沢山おります」
「……はい」
「数日前に同じ症状だった者がひとり亡くなりました。そして今は集落に暮らす53名の内17名、シェリーを含めて18名が倦怠感や筋肉痛、関節痛で寝込んでいる状況です」
「……」
そんなに。
あまりの惨状に言葉を飲み込んでしまう。
「今のところ、その者たちの命に別状はないです……ですが、その中の5名が痩せ細り、このままではどうなることかと」
「それは……」
本当に大変な状況だ。
そんな状況のエンノアの集落に俺が来たのは迷惑以外の何物でもないよな。
「何と言うか、そんな大変な中で宴を開いていただき、ご迷惑をおかけしました」
「いえ、それは問題ないのです。彼らには我らができること全てをしておりますので。コーキ殿の歓迎とは別物です」
「とは言いましても」
「ゼミア様の言われる通りです。エンノアの大切な命を救っていただいたのですから、歓迎するのは当然です」
「ですが、スペリスさん」
「本当にこの宴に関しましては我らの気持ちですし、病とは関係ないことです。コーキ殿を歓迎しなければ病の者が治るということでもありませんし」
「……」
それは、まあ、その通りなのだが。
宴を開いてもらっている立場からすると、申し訳ない気持ちが先立つ。
だからというわけではないが、俺にできることはないのかと考えてしまう。
力になれることがあるなら何でもするのに、残念ながら俺は医者じゃない。
その上、エストラルの病気についての知識もないし、こちらの人々の身体のことも知らない。
そもそも、臓器を含め身体の構造が同じかということすら分からない状況だ。
もちろん、俺もいつかくる異世界行に備えての準備はしてきた。身体を鍛え、武術を身につけ、魔法を練習し、そして様々な知識を貯えてきた。その中には一般的な家庭医学の知識もある。
とはいえ……。
そんな知識で、どうにかなることなのか?
……。
「コーキ殿?」
大したことはできないかもしれない。
が、それでも、何もしないよりはましだな。
「ああ、すみません」
「どうかいたしましたか?」
「いえ……それより、病気の方について幾つか教えてもらえませんか。もしよければ、直接様子も見てみたいのですが」





