第443話 大切なモノ
<シア視点>
「水桶を外に運んでもらえるか?」
ディアナさんの言葉に先生が頷き、水浴び用の水桶を持って寝室の外に出て行く。
ヴァーン、アル、ユーフィリアさんと一緒に。
あの水桶はわたしが両手を広げてやっと持てるくらいの大きさ。
非力な女性が運ぶのは大変なので、先生がいる時はいつも運び出してもらっている。
だから、おかしなことなんてない。
何もない。
それなのに、この胸騒ぎは?
この不安は?
分からないけど……。
こういう時は自分の感覚を信じるべき。
そう、感覚を信じよう。
人の感覚は時として知識や思考を越えていくと。
常識では測れないほどの情報量を感覚が捉えることがあると。
先生に教えてもらったから。
教え通りに気を緩めず、周囲に意識を!
「……セレスティーヌ様、彼を信じているのですね」
「先ほども言ったように、信じています。信頼に値することをコーキさんはしてくれましたので」
「実績でしょうか?」
「ええ」
「それだけではありませんよね?」
「……」
ディアナさん?
どうしたのだろう?
いつもと違う。
ディアナさんがセレス様にこんな表情で話しかけるなんて。
「そんなに大事なのですか?」
「……大切な人です」
「ワディンよりも?」
「それは……比べるものではありません」
「では、ユーナス様よりも?」
どうして、その名前を?
「っ!?」
セレス様が驚いている。
わたしもだ。
だって……。
幼い日のセレス様があにさまと呼び、誰よりも慕っていた人。
誰よりも信頼していた人。
そして……。
セレス様から笑顔を奪ったあの事件で命を落とした騎士。
セレス様の元側仕え兼護衛騎士、ユーナス様の名前なのだから。
「ユーナス様よりも大切なのですか!」
「……」
「大切なのですね」
「……そう、かもしれません」
「ユーナス様よりも…………あぁぁ!!」
えっ?
いきなり何?
「ああぁぁ……」
喉を締めつけられたように漏れ出す悲痛の声。
ディアナさん!?
「ディアナ、どうしたのです? ディアナ!」
「ぁぁ……」
嗚咽を漏らしながら、頭をかきむしっている!
今にも胸が張り裂け潰れそうな様子に、ディアナさんに向けていたわたしの足が止まってしまう。
「……」
「……」
時間が止まってしまう。
「……聞きたくなかった」
「ディアナ?」
「あなたの口から、それを聞きたくなかった」
「ディアナさん?」
本当に何があったの?
「セレスティーヌ様……あなたのことが大切だった。本当に大切だと思っていました」
「……」
「……」
「その思いに、私の心に、偽りなどなかった」
分かっています。
ディアナさんがセレス様を大切に思っていることは。
「……だけど、それより大切なのはユーナス兄様。私の最愛の人!」
ユーナス様がディアナさんの兄!
違う家門なのに?
「何より大切なお兄様を、あなたが殺した……」
「……」
「大切なあなたが、かけ替えのないものを私から奪ってしまった」
ディアナさん、それは違う。
「あれは事故なんですよ!」
「シア、いいの。私の責任だから」
「セレス様……」
「……それでも、あなたのことが大切だった。お兄様にあなたのことを頼まれてもいた」
「……」
「何より、あなたがお兄様のことを想っていると知っていたから! だから私はこれまで……」
「ごめんなさい、ディアナ。今さらだけど、ごめんなさい」
「謝罪なんていりません」
「ディアナ……」
「ただ、そのままでいてくれたら……」
「……」
「けど、あなたは変わってしまった!」
「セレス様は変わってません! ずっと優しいセレス様のままです」
「……」
セレス様とユーナス様、ディアナさんの間にはわたしが知らない事情がある。
それは間違いない。
でも、ちゃんと話せば誤解も解けるはず。
「だから、少し落ち着いてください。ねっ、ディアナさん」
「セレスティーヌ様……。あなたが選んだのはお兄様ではなく、あの冒険者。知り合って間もない冒険者だ!」
駄目!
わたしの声が届いていない。
「……ユーナスあにさまは私にとって大切なひとです。これまでも、これからもずっと」
「それなら、どうして彼を! 彼を選ぶのです!」
「……」
「もう駄目です。もう、私には無理ですよ」
「……」
「無理です、お兄様……」
「ディアナさん、お願い、落ち着いて!」
「あっちで謝罪してください!」
えっ!?
ディアナさんが剣を抜いた!
「!?」
まさか、そんなこと!
っ!
セレス様が固まっている!
わたしも、強張って……。
強張ってるけど、動ける!
備えていたから!
「お覚悟!!」
「セレス様、危ない!!」
ディアナさんの突き出した剣の前に飛び出し……。
ザン!
鈍い音。
重い衝撃。
「……」
……よかった。
やっと護衛の仕事ができた。
セレス様を、私の大切なひとを護ることができた。
でも……。
これは?
「シアぁぁ!!」
ちょっと、これは……。
「ディアナ!!」
「……」
治癒魔法でも無理かな。
「ディアナ、何てことを!!」
不思議と痛くないけど……。
すごい出血だし……。
胸から剣も生えてるから。
「シア、シア!!」
ユーナスは「第129話セレスティーヌ 8」に登場しています。





