第404話 あの約束の花は今ここに
抱きしめた腕の中。
幸奈の鼓動が、息遣いが伝わってくる。
幸奈が戻ってきてくれた。
俺のもとに。
……。
……。
幸奈が倒れたという電話に呆然とし、病室で悲しみに暮れ、己の無力さを嘆き。
セレス様として意識を取り戻した姿に、安堵と驚きでいっぱいになり。
そして、この世界に幸奈を迎えにやって来た。
この世界でも色々とあった。
ここまで長かった。
でも、こうしてまた幸奈と会うことが!
ああ……。
こんなに嬉しいことはない。
万感の思い!
込み上げるばかりで、止むことがない。
次から次へと溢れてくる。
そんな俺の感情とは別に。
幸奈……。
よく頑張ったな。
見知らぬ世界で、セレス様としてここまで本当によく頑張ったよ。
こちらでの時間。
ただ平穏に貴族令嬢の日常を過ごしていたんじゃない。
王軍の追手から逃れ、エビルズピーク、ローンドルヌ河、トゥレイズ城塞。
そして、テポレン山での戦い。
日本人どころか、こちらの世界の住人でさえ経験することのないような時間。
常に死と隣り合わせ、落ち着く暇もなかった。
その上、父である辺境伯との死別という哀惜まで。
信じがたいほどに過酷な日々。
それを神娘として耐え抜いて……。
幸奈のことを誇りに思うよ。
心からそう思う。
「コーキ……」
俺の背中に回した幸奈の腕に力が入る。
胸に埋めたままの顔が勢いを増す。
「幸奈……」
温もりが伝わってくる。
背から、胸から、腕から、幸奈の思いが流れてくる。
……。
……。
どれくらい、そうしていただろう。
胸に顔を埋めていた幸奈が、俺を見上げて。
「……ありがと」
まだ頬は濡れているものの、表情はやわらかい。
「本当にありがと」
「どういたしまして。……お帰り、幸奈」
「うん……。うん、ただいま、功己!!」
その笑顔!
ずっと見たったんだ、その笑顔を!
「あっ! わたし、濡らしちゃって……ごめん」
そう言って一歩離れる幸奈。
「服なんか濡れたってかまわない。こうしてまた幸奈と会えたんだからな」
「……ホント、会えたんだね」
「ああ」
「……」
「……」
ベニワスレの花が舞う中、こちらを見上げる幸奈の潤んだ瞳に吸い寄せられてしまう。
また強く抱きしめたいという欲求が湧き上がってくる。
「おーい、もういいかぁ~~」
ヴァーン!?
「……」
ああ、そうだ。
ふたりっきりじゃなかったんだ。
「そろそろ戻らねえといけねえぞ」
「ちょっと、ヴァーンやめて。今いいところなんだから」
「つっても、長過ぎんだろ。ディアナとユーフィリアも迎えに来てんだぜ」
「それは……でも、せっかくセレス様が、その……」
「何だ?」
「とにかく、もう少しだけ待って!」
ずっと見られていたのか?
ヴァーンとシアだけじゃなく、ディアナとユーフィリアにも?
我に返ったように思わず距離をとってしまう俺と幸奈。
「……」
「……」
恥ずかしいところを見られてしまった。
というか、これって、高貴な貴族令嬢を一介の冒険者である俺が抱きしめたという構図だよな。
まずいか?
まずいよな。
シアは微笑んでいるけど、ディアナの眼は……まったく笑っていない。
ユーフィリアはいつも通り無表情か。
……まいったな。
けどまあ、こっちの声は聞こえていないはず。
俺が幸奈の名前を口にした、その音は。
なら、大きな問題はない。
いや、問題はあるけど……。
「幸奈、一度戻ろうか。話はまた夜にでも?」
「うん、そうね。聞きたいこといっぱいあるけど、今は無理そうだし」
そりゃ、そうだ。
記憶が戻った今の幸奈の頭の中は疑問だらけだろうから。
「で、その……セレス様の記憶は?」
「大丈夫。セレスさんの記憶もしっかり残っているわ」
「じゃあ、ここにいる間は……」
「任せて。セレスさんとして振る舞うから」
「助かるよ」
「うん。でも、ちょっといいかな?」
「どうした?」
「見てよ、このベニワスレ」
目を細め、ベニワスレを見つめている。
「……綺麗だな」
大木に咲き乱れる薄紅の花弁。
テポレン山に吹く風に、はらりと散る眺めは本当に美しい。
「綺麗だけど、そうじゃなくて」
「……」
「功己、約束守ってくれたね」
何の約束だ?
「もう、分からないの?」
「……悪い」
「このベニワスレ、梅の木だよ」
「梅、なのか?」
「もちろん、日本の梅とは品種が違うと思うけど、これは梅だよ」
「……」
薄紅の花弁を散らしながら、天に向かって悠然と伸びる大木。
その姿は……。
確かに梅と言われれば、そんな気もする。
植物に縁のない俺には分からないが、紅梅が好きな幸奈がそう言うなら梅なんだろう。
「だから、約束通り。2回目だね」
「……」
幸奈とふたりで梅を観るのは2回目。
中学3年の時、ふたりで出掛けた梅園以来、か。
「この枝……。覚えてる?」
幸奈が持っているのは、昨日俺が斬ったベニワスレの一枝。
それを愛おしそうに手にしている。
「……」
「あの時も、梅の枝を折ってプレゼントしてくれたよね」
「……ああ」
「ふふ、とっても嬉しかったんだ」
あの時……。
そうだったのか……。
「功己……約束を守ってくれてありがと」
「……」
俺の記憶の中では25年前。
あの梅園で、また梅を観に行こうって約束したんだ。
でも俺は……。
前回の人生で、その約束を守れなかった。
すっかり忘れていた。
「嬉しいよ」
「……」
違う。
これは、そういうんじゃない。
約束を守ったんじゃない。
けど……。
幸奈もそれは分かっているはず。
なら……。
これでいいのか。
「……ああ」
幸奈、今はこれで許してくれ。
日本に戻ったら、また一緒に観に行こうな。
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<メルビン視点>
「カーンゴルムで、んなことが起こってんのかよ?」
「ああ、間違いない。確かな筋からの情報だ」
「となると……黒都に戒厳令でも敷かれるんじゃねえか?」
「可能性はあるな」
現在、黒都カーンゴルムは第一王子アイスタージウスに抑えられている。
その状況は極めて彼に有利なものだ。
王軍の大半がワディナート、トゥレイズに駐留し、軍部の主だった者が王都を離れている現状。王子に抵抗できるような大きな軍事勢力など黒都に存在しないのだから。
それでも、戒厳令が出される可能性はあるだろう。
「あの糞王子! 最悪だぜ」
いや、あの王子、大したものだと思うぞ。
この状況で事を起こせるんだ、運もいい。
まっ、それも全てアイスタージウスの計画通り、か。
「……話が違う」
「違うも何も、今初めて話したことだ」
「そうじゃねえ」
「……」
「戒厳令下でどうしろってんだ? 黒都の夜を楽しめねえじゃねえか」
イリアル……。
まあ、お前はそういうやつだよな。





