第402話 ベニワスレ
<和見幸奈視点>
紅梅?
どうして?
この木はベニワスレの大木。
テポレン山で初めて知った美しい木。
なのに、紅梅という言葉が浮かんでくる。
その言葉が浮かんで離れない。
そんなわたしの頭の上を。
……。
ひとひら、ふたひら……。
揺れる、揺れる、花弁が揺れる。
はらはらと零れるように。
薄紅が、わたしの前を舞い落ちていく。
……。
風の音が消え。
時が止まり……。
乾いた空を紅が舞う。
紅が舞う……。
……。
……。
ここに存在するのは、わたしとベニワスレ。
薄紅とわたしだけ。
言葉は何も出てこない。
消え去ったものもまだ……。
ただ、頬を伝う温かな思いは絶えることを知らず。
わたしを優しく誘ってくれる。
その先に見えるのは、たったひとつの情景。
……。
……。
若木に老樹、あたり一面に鮮やかに咲き誇る薄紅。
たゆたう胡蝶のように舞う淡紅の中。
若いふたりが歩いている。
制服を着た少年と少女。
少し距離を置いて歩く、ぎこちないふたり。
少年が若木の枝を折り、少女に手渡す。
怒ったような顔の少女。
拗ねたような顔をする少年。
一言、二言
溢れる思いが少女の口からこぼれ出る。
戸惑う少年。
少女は……。
嬉しい。
楽しい。
嬉しい……。
幸せな思いで満たされていく。
わたしも……。
この胸に膨れ上がる思い。
心が身体が、ふわふわと浮かんでいく。
幸せに抱かれて、どこまでも高く、高く……。
……。
……。
これは夢?
白昼夢?
分からない。
でも、夢なら夢でもいい。
ただ、夢ならば醒めないで!
この思いを感じていたい。
もう少しだけでも。
……。
……。
少女の言葉に、少年が言葉を返している。
その言葉!?
聞こえる。
声が聞こえる!
『………………一緒に来ようね』
音を取り戻した情景。
『……時間があったらな』
『約束だよ』
『だから、暇だったらな』
あぁ……。
なんて温かい。
わたしを優しく抱きしめてくれる。
何度も……。
何度も聞いた声。
『そろそろ帰るか、幸奈』
『うん』
そうだった!
わたしは、いつもこの声に救われてきたんだ。
寂しい時も、悲しい時も、辛い時も!
楽しい時も、嬉しい時も、いつも聞いた声。
聞きたかったのは、この声だけ。
他の声じゃ駄目だった。
この声じゃなきゃ。
わたしは……。
わたしは……。
この声がいい。
あなたがいい!
一緒に歩くのも、話をするのも。
傍に座るのも、手を繋ぐのも、頭を撫でてもらうのも、あなたがいい。
笑うのも、泣くのも全部。
あなたと一緒が!
あなたの隣がいい!
梅を観るのも……。
梅を観て綺麗と伝えたいのは、あなただけ。
あなたひとりだけ。
……。
あなたがいい。
わたしは、あなたがいい!
……。
……。
あぁ。
止まらない。
頬が熱い!
あなたを想う気持ちが止まらない。
流れる涙を抑えられない。
こんなにも、こんなにも……。
なのに、忘れていた。
わたしは……。
ずっと呼んでいたのに、あなたの名前を。
何度も何度もあなたのことを。
うぅ。
どうして!
……。
……。
でも……。
あなたは、こんなわたしを見つけてくれた。
助けに来てくれた。
守ってくれた。
ずっとずっと傍にいてくれた。
今だけじゃない。
昔からずっと……。
あなたのおかげで、わたしは自分でいられた。
……。
……。
わたしの嫌いなわたし。
何もかも、嫌なところばかりのわたし。
消したい記憶だらけのわたし。
そんなわたしを、あなたは優しく受け止めてくれた。
汚れたわたしを見捨てることなく。
駄目なわたしの手を取ってくれた。
……。
優しさを教えてくれたのは、あなた。
喜びを与えてくれたのは、あなた。
辛さは、あなたが消してくれた。
あなたさえいれば、わたしはどこにいても自分でいられた。
あなたがいなきゃ、わたしは……。
……。
だからね。
わたしの心はあなたのもの。
全てあなたのもの。
あなただけのもの。
なのに……。
なのに、忘れて……。
……。
……。
ああ、涙が溢れて……。
……。
……。
……ごめんなさい。
ごめんなさい、功己。
※ 紅梅の話については第4話、第176話の中頃を読んでいただくことで、より楽しんでいただけるかもしれません。





