第378話 テポレン山の戦い 1
<和見幸奈視点(姿はセレス)>
コーキさんがレザンジュ兵6人による急襲を切り抜けた戦いから数日。
レザンジュ王軍に大きな動きはない。
ワディン騎士とエンノアの皆さんも遊撃戦を少し控えているので、一日の大半を地下で過ごしている。
そんな中。
わたしの心に生まれた疑念は、消すことができないくらいまでになっている。
……。
わたしはもう神娘ではないのでは?
この懸念はずっと抱いてきたもの。
口に出すとみんなに心配されてしまうから誰に打ち明けることもできないけれど。
今も変わらずわたしの心の中に潜んでいる。
そして、もうひとつ。
簡単には信じられない、でも捨て去ることができない思い。
それは……。
わたしがワディン辺境伯の娘セレスですらない、赤の他人なのではないか?
そんな突拍子もない疑念。
……。
この姿も頭の中に残っている記憶も、間違いなくセレスのもの。
セレスティーヌ・キルメニア・エル・ワディンとして生きてきた経験が確かに存在する。
周りのみんなもわたしのことをセレスだと信じている。
あやしむ素振りなんて少しも見えない。
そもそも、疑念さえ抱いていないのだと思う。
なのに、わたしだけ。
わたしひとりだけ、自分自身に違和感を覚えている。
姿も記憶も、何もかもがわたしをセレスだと肯定してくれているのに、わたしだけ……。
違う。
何かが違う。
そう思ってしまう。
お父様の死、トゥレイズからの脱出、そしてこのテポレン山での日々。
その中で徐々に大きくなっていったこの疑念は、コーキさんとあの6人との戦いを経て、どうしようもないくらい巨大なものに成長し、わたしを苛んでいる。
……。
あの戦いの最中、コーキさんの目の前で動きが止まったレザンジュ兵。
コーキさん本人は何もしていないというけれど、みんなはコーキさんが何かをしたのだと思い込んでいる。
これまでのコーキさんの行動を振り返ると、あれがコーキさんの力だと誤解するのも当然のことだと思う。
でも、あの時、わたしは叫んだ。
止まれ!
コーキさんに剣が届く直前、3人のレザンジュ兵に向かって止まれって叫んだ。
コーキさんを失いたくなくて、もう大事な人を失くしたくなくて。
何があっても、コーキさんだけは助けなくちゃって。
気付けば、必死に叫んでいた。
そんなわたしの言葉の直後に、完全に動きが止まってしまった3人。
……。
あの場では、わたしの言葉の力だなんてまったく思いもしなかったけど……。
あとで思い返してみると、あれはわたしが止めたのではないかと疑ってしまう。
いいえ……違う。
今はもう、あれはわたしの力だったと確信している。
同じ状況になれば、また同じことができると。
疑いなく、そう感じているのだから。
……。
神娘には言葉で人を止める力なんてない。
だけど、わたしは止めることができる。
神娘セレスティーヌに備わっているはずの予知と祝福を使えないわたしが、神娘が持ちえない力を使ったという事実。
これはわたしが神娘セレスティーヌではないことを示しているのでは?
でも、それでも……。
このセレスティーヌの身体と記憶を持つわたしがセレスティーヌではない!
そんなこと起こり得るの?
可能なの?
分からない。
分からないし、信じがたいけど……。
それが今のわたしの身に起こっていることだと考えれば、いろいろと納得できるから。
……。
いつまで経っても消えることのない違和感。
未だにシアさんのことをシアと呼ぼうとすると変な感じがしてしまう。
お父様からはこれまでも多くの愛情を受けていたはずなのに、トゥレイズで感じた喜びは、そういうものじゃなかった。あの喜びはもう……。
わたしの頭の中にある記憶もそうだ。
自分のものだと思い込もうとしていたけど、やっぱりおかしい。
そしてコーキさんとの記憶。
何かが足りない。
わたしが今思い出せるものが全てじゃない。
きっとそう。
何かが欠けているんだと思う。
……。
誰よりも何よりもコーキさんを失いたくない!!
絶対嫌!!
そう思ったあの瞬間、あの僅かな瞬間に頭の中を過った思い。
あれは……神娘セレスティーヌのものじゃない。
あれは、セレスじゃないわたしだけのもの。
……。
……。
コーキさんと話がしたい。
ふたりだけで、わたしの思いを伝えてみたい。
でも、今は……。
……。
落ち着いたら話そう。
怖がってないで、話してみよう。
そうすれば……。
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<イリアル視点>
「1万とはまあ、豪勢なことですねぇ」
テポレン山の麓に布陣した1万の将兵。
今にも山狩りを行いそうな熱を帯びた大軍が目の前に広がる眺めは圧巻だな。
「うむ……」
「王家の意向でしょうか?」
「トゥレイズに駐在する将軍の考えかもしれぬ、が」
「多すぎますか?」
「100程度の相手に1万を派遣。あの将軍が独断で決定したとも思えないな」
そうだよな。
さすがに、多すぎるだろ。
けど、ここまでの援軍を送るということは。
「王家の方々は神娘をどうしても手に入れたいみたいですね」
「……うむ」
1万は多すぎる。
とはいえ、1万の兵がいれば確実に勝利を掴めるとも限らないところが、今回の作戦の難しいところだわ。
この山に1万の兵が同時に行軍できるような道は存在しないからな。
必然的に隊列は縦に長くなる。
となると、実際に接敵する兵数はそう多くない。
その数であいつらの相手をするんだ。
あのバケモンにダブルヘッド、それに凄まじい魔道具。
簡単じゃねえだろ。
もちろん、普通に考えれば数で押し切れる兵数ではあるけどよ。
「イリアル、どう思う?」
「敵の魔道具次第でしょうね」
「魔道具が尽きれば怖くない、か」
「いやぁ、怖ろしいですよ。ただ、あの数での継戦能力を考えると」
「1万の相手ではない?」
「まあ、普通ならそう思いますけど」
「1万でも簡単ではないと。そう考えているのだな?」
「うーん、どうなんでしょうねぇ」
魔道具の数次第。
結局、そういうことなんだろうが。
どうにも、読み切れねえ。
俺としても難しい局面だわ。
今回はエンノアの惨敗という線も考えられるからよ。
困ったもんだぜ。
……。
あのバケモンが亡くなり、エンノアが惨敗する。
そのシナリオだけは避けなきゃいけねえ。
とはいえ、どこまで仕込めばいいものか?
っとに、厄介なことだ。





