第367話 幼馴染
「よお、久しぶりだなぁ、有馬」
「元気だったかしら、有馬君」
セレス様に告げられた店に入ってみると。
古野白さんと武上が俺を待っていた。
もちろん、幸奈の姿をしたセレス様も同じテーブルにいる。
そのセレス様は……日本にもかなり慣れたのか、元気そうに見えるな。
その表情を見ているだけで、少しホッとするよ。
……。
ホント、こうして無事に日本に戻ってきて、またセレス様に会えて良かった。
あっちでは一歩間違えばどうなっていたか分からないような状況ばかりだったから。
思いがけず、そんな感慨が胸に迫ってくる。
……。
そうか。
存外、俺も余裕がなかったんだな。
実際のところ、トゥレイズ城塞での攻防戦、脱出、逃走と、目まぐるしく変化する日常と危機の連続に、こっちに戻ってくる時間の余裕などなかった。
それに加え精神的余裕もなくしていた、ということか……。
今のあちらの世界は、皆が寝静まっている深夜。
エンノアの皆さんのおかげで安全に休めている。
だから、こうして俺もセレス様のもとに戻って来ることができたんだ。
とはいえ、ここでゆっくりしてはいられない。
異世界間移動の時間制限が終わり次第、あっちに戻る必要がある。
セレス様のそばにいることができるのは短い時間だけ。
その間に色々と伝えないと。
そう。
色々と……。
けど今は、このふたりがいる。
ここで話せるわけもないか。
「有馬君、そんな顔して……どうしたの?」
「あっ、すみません。ちょっと疲れているもので」
「なんだぁ、バイト疲れかよ?」
「まあ、そういうことだな」
「コーキさん、大丈夫?」
セレス様にも心配させてしまったか。
申し訳ない。
「ええ、平気です」
と答えても、心配そうにこちらを見ている。
俺の体調よりもワディンのことが気になるはずなのに。
「ごめんなさい、ここに呼ぶべきじゃなかったのに私……」
「ああ、それはオレたちが無理に頼んだんだ。彼女が悪いわけじゃないぞ」
「そうよ。幸奈さんがあなたと電話しているのを横で聞いて、あなたを呼べと言ったのはこの男だから」
「って、オレだけかよ。古野白も同じだろ」
「いいえ。私は何も言ってないわ」
「おまえっ!」
「何かしら?」
「……ちっ!」
そのやり取りは分かっている。
受話器越しに聞こえていたことだ。
しかし、このふたり。
変わらないな。
思わず、笑みが浮かんでくるよ。
セレス様もいい表情だ。
魔落でもオルドウでも見たことのないようなこの雰囲気。
本当にリラックスできているんだな。
日本での生活は大変だと思っていたけど……。
案外、悪くないのかもしれない。
「また、オレが悪いのかよぉ」
「そうね」
まだやってんのか。
「……こっちは大丈夫。少し疲れが残っている程度だから」
「ほら、有馬もこう言ってんだ。オレは悪くねえ」
武上……。
「コーキさん、本当に?」
「はい、問題ありません」
この程度の疲労、何でもない。
というか、問題は肉体的疲労じゃないからな。
「よかった……」
「……」
セレス様の安堵の声。
それは、純粋に俺の体調を気遣ってくれたから?
ありがたいな。
ただ、その安堵も数時間後には……。
「おい、お前ら。ちょっとおかしくないか」
「……何が?」
「有馬と彼女は幼馴染なんだよな。その喋り方はねえだろ」
「……」
「……」
「そうね。おかしいわね」
しまった。
つい、普段通り喋ってしまった。
「幸奈さん、あなたいつも有馬君のことコーキさんて呼んでるの?」
「えっ、それは?」
まずい。
ここは上手くごまかさないと。
露見に繋がる可能性も!
「違いますよ。今は古野白さんと武上の前だから、そう呼んだだけです。だよな、幸奈?」
「はい……え、ええ、そうね」
「何かあやしいぞ。お前らホントに幼馴染なのかよ?」
「何もおかしくない。幸奈のことは子供の頃からよく知ってる。幼馴染だ」
「へえ~。幸奈さん、そうなのか?」
「はい。コー……」
「ん?」
「……こ、うきとは幼馴染です。間違いありません」
セレス様、よく言ってくれた。
「幸奈さん、顔が赤いわよ」
「えっ!?」
古野白さん、やめてくれ。
そこは見逃してくれ。
「やっぱ、おかしいなぁ」
駄目だ。
こんな話しているとボロが出る。
「そういう幼馴染関係なんだよ。で、今はそんなことより話すことがあるだろ」
「そうね。ふたりの関係に口出すより、先に壬生家の話をしましょ」
「……まっ、そうだな」
「セレス様、先程はすみませんでした」
古野白さんと武上とは店を出たところで別れ、今はセレス様とふたり。和見家に向かって歩いている。
「コーキさんが謝ることではないです。私が上手く振る舞えなかっただけで……」
「いえ、事前にしっかりと話をしておくべきでした」
「違います。それについては、病室で十分話していましたから」
「それは……」
セレス様が入院している間に、今回のようなケースについても話した気がする。
ただ、もうかなり前の話だ。
上手く対応できなくて当然。
「やはり、私の責任ですよ」
「……」
「ということで、今後は気をつけたいと思います。セレス様もよろしくお願いします」
「……はい」
「それと、外では私のことは功己と呼んでくださいね」
「……分かりました」
と答えたまま沈黙。
「……」
「……」
ふたりで歩くこの通り。
何度も幸奈と一緒に歩いた帰り道。
今は幸奈の姿をしたセレス様と一緒に……。
懐かしいような切ないような、この感情。
自分でもよく理解できない不思議な感情。
けど、悪いものじゃない。
ああ、悪くない。
「……」
「……」
ただ、今はこの時間に浸ってはいられないな。
「セレス様、ここで少し話をしましょうか」
和見の家で話すわけにもいかない。
それなら、この公園で。
「……はい」
ふたりで公園に入りベンチに腰掛ける。
夏の夕方という時間もあって、公園内には人影もあまり見えない。
「夕方になると暑さも少し和らぎますね」
「ええ……」
ここは古野白さんと出会った場所。
異能者と戦っている彼女を目撃した公園だ。
異能者と出会った公園で、異世界人の魂を宿した幸奈……セレス様とふたりきり。
……。
俺の前世。
異世界に戻るためにあがいた30年。
全く何の手掛かりも掴めなかった。
なのに、今の俺の周りには異能者やセレス様がいる。
前世の俺が知ったら卒倒しそうだ。
ホント……。
こんな時間を過ごすことになるなんて、夢にも思っていなかったよ。
「……コーキさん?」
そうだな。
現実逃避はこれくらいにして、あちらの世界でのことを……。
「……」
「……」
本当に話していいのか?
日本の生活に慣れてきたセレス様。
こうして良い表情を見せてくれるようになったのに……。
そんな彼女に告げても?
トゥレイズ陥落と辺境伯の最期を?
ここで話をしても、セレス様はあちらに戻ることはできない。
何もできない。
この日本でただ苦しむだけ。
ひとり苦しむだけ。
俺がそばにいることもできない。
そんな彼女に過酷な事実を?
……。
彼女があちらの世界に戻れるようになるまで伝えるべきじゃないのでは?
真実を知ることだけが正しいことではない?
そうじゃないのか?
俺は……。
ここまで苦労してきたセレス様に……。
……。
今だけは、日本での時間を笑顔で過ごしてもらいたい。
そう思うのは、自分勝手な逃避だろうか?
そうかもしれないな。
いや、きっとそうなんだろう。
でも、今のセレス様を見ていたら……。
「……コーキさん、あちらで問題が起きたのですか?」
「いえ……」
責められればいい、か。
嘘つきと非難されればいい。
嫌われてもいい。
だから、今は……。
「あれ、こんなところで何してるんです?」
「あなたは!」
「久しぶりですね、和見のお姉さん」
「……」
俺の思索を断ち切ったのは……ベースボールキャップを被った少年。
見間違えようもない。
「君がなぜここにいる!」
壬生伊織。
どういうつもりだ!?





