第37話 珈紅茶館 2
「それで、そっちはどうなの?」
「どうとは?」
「もう~、前に話したでしょ」
「……」
前に話をした……何のことだ?
この時代に戻ってからは、以前とは比べものにならないくらい幸奈と会っている。まだ遠出などはしていないが、結構な時間を共に過ごしているはずだ。
おかげで、こうして話していても20歳に戻った当初とは違い、ぎこちなさなどほとんど感じない。
むしろ居心地の良さを感じてしまう。
それは本当にありがたいことなのだが、ただひとつ問題がある。
それはリセット。
当然のことながら、リセットを使っている俺とそうではない幸奈の間には記憶に齟齬が生じてしまうんだよ。
先日も会話に食い違いが出てしまい焦ってしまった。
さっきもこの時間の流れでは起きていないことを話してしまいそうになった。
こういうことが頻繁に起こりそうなんだよなぁ。
ということで、ここも慎重に考えて話をしないと。
「……武上のこと?」
「武上君? まあ、そう言われればそうなんだけどさ。飲み会のことだよ」
武上に誘われた飲み会に幸奈も来るかもしれない、そういう話だったか。
どの場面で聞いたか覚えていないが、確かに聞いたような気がする。
「だから、武上の話だろ」
「こっちは武上君に誘われたわけじゃないからね」
幸奈は武上ではない、別の友人に誘われたんだったか。
それが偶然同じ飲み会だったと。
そう、そういうことだ。
「で、その飲み会がどうした」
「功己は行くの?」
「武上がうるさいから、多分出席する」
当初参加する気はなかったけど、武上の誘いもあるし神様の助言もある。
少しくらい付き合ってもいいだろう。
「そう……。だったら、わたしも行きたいなぁ」
「行けばいいんじゃないの」
「うーん、その日は夜に用事が入るかもしれないのよ」
「なら、仕方ないな」
「でも、功己とお酒を飲む機会なんて滅多にないからさ」
確かに、幸奈と一緒に酒を飲んだ記憶なんて俺にはほとんど残っていない。
特にふたりだけで飲んだことなど……。
この世界だと、俺も幸奈も20歳になったばかりなのでおかしいことではないが、俺が40歳まで生きた時間世界でも幸奈とふたりきりで飲んだことはなかったと思う。
もっぱら俺の責任なんだけど、あの時間の流れの中では幸奈とふたりで飲むとか、そういう雰囲気になることはなかったんだ。
でも、今のこの世界なら……。
「じゃあ、今度飲みに行くか」
そんな言葉が、つい口から出てしまった。
「えっ?」
「嫌ならいいけど」
「嫌じゃないよ! って、功己とわたしが飲みに行くの?」
「ああ」
「ふたりで?」
「そう」
「ふたりきりで?」
そんな言い方するなよ。
意識すると恥ずかしくなってくるぞ。
「……そうだけど」
「ホントに?」
頷く俺に目を見張る幸奈。
そこまで驚かなくてもいいんじゃないか。
まっ、俺のせいなんだけどさ。
「やめとくか」
「行くよ、行く、行く!」
立ち上がって叫ばなくていいから。
頼む、座ってくれ。
「分かったから、落ち着けって」
「……ごめん」
「うん、まあ今日は他に客がいないからいいけどな」
「マスター、ゴメンね」
「気にしなくていいよ。幸奈ちゃんが喜ぶ姿を見るのは悪いことじゃないしね」
白髪まじりの頭髪をきっちりとオールバックに整えた50代後半のマスター。
珈紅茶館のコーヒーの味と雰囲気に加えて、俺がこの店を気に入っている理由のひとつだ。
そんなマスターも、40歳の俺が生きていた時代では既に鬼籍に入っていた。
この時代に戻って来てマスターと再会できたこと、それにこうして会話できることは、本当に懐かしいし、何より嬉しいことだ。
「ありがと」
「マスター、幸奈を甘やかさないでくださいよ」
「そんなこと言って、功己君も喜ぶ幸奈ちゃんを見て嬉しいんでしょ」
「……」
おい!
何を言いだすんだ、マスター。
「えっ、えっ、そうなの~」
「そんなこと、はない」
「嬉しいんだ~~」
「だから、違う」
「へぇ~、そうなんだ~」
こいつ。
「調子に乗るな」
ニヤニヤ笑いながら俺の顔を下から覗きこんでくる幸奈の額を軽く押してやる。
「いたい~。マスター、功己が暴力をふるうよ~」
「触れただけだ、痛くないだろ」
「触れたんじゃないよ、叩いたよ~」
叩いてないだろ。
それに、幸奈、笑ってんぞ。
「はいはい、おふたりさん。イチャイチャしないで。もう一杯どうだい?」
「……いただきます」
「……お願いします」
「じゃあ、来週の土曜ね」
「分かった」
今週末、俺は武上の飲み会がある、幸奈も用事がある。来週末ならお互い空いているということで、幸奈との飲み会は来週土曜に決定した。
「よかったね、幸奈ちゃん」
「はい!」
「功己君も」
「……まあ」
恥ずかしがることもなく、マスターに屈託のない笑顔を見せることができる幸奈。
俺には到底同じことなどできるわけもない。
「まあって何よ」
「まあは、まあだ」
「何それ? 功己は楽しみじゃないの?」
「……」
だから、そんなこと聞くなよ。
恥ずかしいだろ。
それに、さっきから浮かれ過ぎだぞ。
マスターも、そこにいるのに。
ホント、幸奈のやつ、どんだけ心臓強いんだよ。
いや、ただの鈍感か。
「幸奈ちゃん、功己君をあまり責めちゃいけないよ」
ありがとう、マスター。
「功己君も内心楽しみにしているんだから」
マスター……。
「そうなんですね。ねえ、功己、そうなの?」
「……」
「だから、そんなこと聞いちゃだめだよ」
……もう何も言わないでくれ。
「……」
そこの2人。
こっちを見てにやつくのは止めろ。
「功己君も楽しみにしているのは間違いないんだから」
「……」
あの渋かったマスターはどこに行ってしまったんだ。
俺の好きだったマスターは……。
「そうですね」
そうですねじゃねえわ。





