第362話 再編成
<ウィル視点>
朝から降り続いていた雨がやみ、ちょっとした日差しが埃の舞う部屋の中に差し込んでくる。
一条の光が照らし出すのは普段は目立たない僅かな染み跡。床に残る赤黒く変色したそれは、この部屋に滞在を始めた頃に私が汚してしまったものだ。コーキさんと一緒に部屋の中にいた時に、つい不注意で。
「……」
今はオルドウに帰ってしまったコーキさん。
あの時はまだこの宿にいたんだ。
「はぁ……」
オルドウを離れてもう何日が経っただろう。
まさかカーンゴルムに留まることになるなんて、こんなにも長い間オルドウに戻れないなんて。夕連亭を出発した時には想像もしていなかった。
もちろん、今は十分事情を理解している。
面会を求めている相手が普通ではないので、そう簡単に事が運ぶとも思ってはいない。それでもここまで長引くと、ちょっと……。
当初の予定ではキュベルリアでヴァルターとカロリナに話を聞いて、その後はオルドウに戻るつもりだったのに。
あの時、コーキさんを引き止めなくて良かった。
でも、もし引き止めていたら?
私に付き合ってくれたのかな?
どんなに長くなっても?
今、コーキさんが傍にいれば……。
ううん。
それは贅沢よね。
私にはヴァルターとカロリナがいる。
2人がいつも護ってくれている。
だから、そう。
これ以上を望むのは……。
ほんと、分不相応だ。
「けど、長いなぁ」
オルドウは変わりないかな?
夕連亭は大丈夫?
休暇が大幅に延びちゃって、ベリルさん怒ってるかも。
宿のみんなも……。
「早く帰りたい」
でも、もうすぐだ。
面会が済めば全てが終わる。
父には、一度会えれば十分。
他は何も望まないから。
きっと近い内に帰れる。
オルドウに、夕連亭に戻ることができる。
「5日後です。準備しておいてくださいね、お嬢」
5日後なんだ。
面会の日は。
「……」
あと5日。
長いような短いような。
それでも。
ついに父に会うことができる!
ようやく希望が叶う!
「ウィル様、良かったですね」
「ありがと、ヴァルター、カロリナ」
これも全てヴァルターが手を回してくれたおかげ。
私ひとりでカーンゴルムを訪れていたら、父に会うこともできなかったと思うから。
本当に2人のおかげだ。
ありがたい。
嬉しい。
嬉しい……?
ほんと?
私、嬉しいのかな?
「……」
幼い頃からずっと、父はいないと聞かされてきた。
ヨマリ母さんは私にそう言い続けてきた。
だから、父のことなんて気にもしていなかった。
それなのに、あの夜の事件で父の生存を知って。
こうしてカーンゴルムまでやって来て。
それは……。
父のことを知りたかったから。
私と亡くなったユマリ母さんのことを父がどう思っているのか?
事実を知りたかったから。
ただ、父に会うこと自体は……どうなんだろう?
嬉しい?
ちょっと違うような?
「……」
母さんがいない今、私と色濃く血で繋がっているのはこの父だけ。
なのに、全く実感が湧いてこない。
直接会えば、何かが変わるのだろうか?
「でも……」
相手はこの国の王。
父であり、王である人。
普通の感情で会えるとも思えない。
私……。
これで良かったのかな?
「ここまでお嬢を待たせてしまいましたが、謁見の約束を取り付けることができて一安心ですよ」
父と会うだけなのに、謁見。
仕方ないことだけれど、やっぱり普通じゃない。
「ただ、少し気になることがありまして」
「何かあったのかい?」
「ああ、偶然分かったことなんだが……」
「どうしたの?」
ヴァルターが口ごもるなんて珍しい。
「……お嬢の情報が漏れているらしいんですよ」
「私の情報?」
どういう情報が?
私が現王の娘だなんて、知られているはずはないし。
「ええ。レンヌ家が関わっているのかもれません」
「またレンヌ家!」
国境を越える直前に襲ってきたレンヌ家。
私たちコルヌ家が憎いからって、他国にまで情報を渡すの!
「なので、用心は怠らないでください」
「……分かったわ」
「もうひとつ、今度は良い話があります」
「……」
「黒都の一流冒険者パーティーである憂鬱な薔薇が、我々に手を貸してくれることになりました」
一流冒険者パーティーが味方になってくれる!
「あのシャリエルンが! 本当かい?」
「間違いない。お嬢の護衛もしてくれるぞ」
「それは心強いねぇ」
護衛まで?
ヴァルターがいるのに?
まさか、ヴァルターひとりでは足りないってこと?
「あっ、これはあくまでも用心のためですよ。念のためってことです」
そう?
なら、いいんだけど……。
********************
<トゥオヴィ視点>
「まだ捕らえられんのか!」
王軍の本部が置かれている旧トゥレイズ子爵邸。
その一室、会議室として使われているこの部屋に将軍の怒声が響き渡る。
「申し訳ございません」
「その言葉、聞き飽きたわ!」
「はっ」
将軍が立腹するのも当然。
神娘セレスティーヌ捜索のために組織した5部隊のうち4部隊までもが壊滅させられたのだから。
とはいえ、この様子は尋常ではないな。
「陛下と殿下には、10日もあれば十分と伝えてしまったのだぞ」
「……申し訳ございません」
「……」
「……」
「……」
今すぐ退出したくなるほどの重い空気だ。
「閣下、この者に言っても詮無きことです」
「そんなこと、分かっておるわ!」
「でしたら、今は策を講じるのが先かと」
「……分かっている」
将軍の怒りを抑えることができる数少ない将官のうちのひとり。
第一参謀官の言葉で、将軍も少し冷静さを取り戻したように見える。
「では、どうする? 卿の考えは?」
「まずは彼らと交戦経験のある者の考えを聞いてみましょう」
やはり、そうなるか。
「……いいだろう」
「それでは、ノジンキト千人長、閣下の前へ」
「はっ」
「貴君はローンドルヌ河において、彼らと剣を交えたのだな?」
「いえ、直接手を合わせたのは、トゥオヴィ殿になります」
「ふむ、そうか。トゥオヴィ、前へ出るように」
「ははっ」
「ノジンキト千人長の言葉に相違ないか?」
「はっ」
「ならば、どう考える?」
「どう、とは?」
「ふむ、まずは数だな。神娘を捕らえるために必要な人員はいかほどと考える?」
難しい質問だ。
「……500は必要かと」
「やつらの数は50程度と聞いておる。50相手に500が必要なのか?」
「はい。500でも万全とは言いかねますが」
イリアルが言うには、500でも心許ないらしい。
ただ、この場で1000とは言いづらいからな。
「なるほど……。直接剣を交えた貴君の言葉、参考にさせてもらおう」
「はっ」
「閣下?」
「うむ……。もう失敗は許されぬ。であるなら、1000だ。1000の部隊を3部隊編成し、捜索に向かわせろ!」
「……承知しました」





