第347話 ヒーロー 3
<セレスティーヌ視点(姿は和見幸奈)>
壬生兄が横柄で傲慢なのは権門である壬生家の長子だからというのが最たる理由だろう。でも、それだけじゃない。もうひとつ大きな要因がある。
それは、彼の使う異能。
妹の壬生女史が使う音の異能憂波に勝るとも劣らない異能を使えるという理由だ。
幸奈さんは、私は彼の異能を知っている。
和見家の地下室で15歳の幸奈さんが身に受けた異能の多くは妹によるものだったけれど、この兄からも異能を受けた経験があるから。
だから、私の頭の中にも彼の異能が刻まれている。
幸奈さんを襲ったおぞましい記憶として。
「災厄の惨重、昏み眩みて闇の中」
記憶通りの詠唱だ。
古野白さん、武上君!
「万物ともに絶望の地に墜ちよ! 万重禍!」
「!?」
「ちっ!?」
重い!
身体が真上から押されているような、押しつぶされるような感覚。
重力を扱う壬生兄の異能。
かなり距離をおいている私ですら感じてしまうのに、ふたりは?
「武上君、大丈夫?」
「ちっと身体が重いが問題ねえ。古野白はどうだ?」
「……少しなら動けるわ」
えっ?
ふたりとも動けるの?
地下室での幸奈さんは全く動けなかったのに。
「アレ、使ってんだろ?」
「使ってるわよ。使っててこれだから。恐ろしい異能よ」
「まっ、少しでも動けりゃ問題ねえって」
「ええ、そうね。でも、やっぱりこのアンチUPは未完成のプロトタイプだわ」
「そりゃ、試作品だかんな。けど、正義のヒーローには充分だぜ」
アンチUP?
「……任せたわよ、ヒーローさん」
「おう、任せとけ!」
凄い!
武上君がしっかりとした足取りで、壬生兄に近づいていく。
「おまえ、動けるのか?」
「当然!」
「くっ、なぜだ?」
「そんなの決まってらぁ。ヒーローだからだよ」
「……」
「あなたの異能調査は済んでるわ。ふふ、あんな詠唱は知らなかったけど」
「調査を……」
「研究所を甘く見ない方がいいって言ったでしょ」
「……」
「しっかしよぉ、いい年してあの詠唱、恥ずかしくねえのか」
「何っ!」
「オレなら、赤面ものだぜ」
「武上君……よく言えるわね」
「何でだ?」
「……」
色々な意味で普通じゃないのね、武上君。
「まっ、とにかく、恥ずかしい野郎だってこった」
「うるさい! その汚い口を閉じろ」
「口は閉じてもいいけどよ、その前にお縄頂戴だな」
「許さん、もう許さんぞ! ……極重禍!!」
えっ?
詠唱がない?
けど、さっき以上の重さ!
こんなの、記憶の中にない!
「っ!?」
古野白さんが膝をついてしまった。
武上君も、動きが止まっている。
「ふふ、ふはは! 私を虚仮にした代償はでかいだろ」
「……」
「武上君!」
「……問題ねえ」
「動けもしないのに、減らず口を」
「減らず口じゃねえぞ。こんなものはなぁ、正義のヒーローにゃ効かねえんだ!」
「……」
「……だぁぁぁぁぁ!!!」
両拳を突き上げて武上君が怒声を上げる。
まるで獣の咆哮のように凄まじい音量。
空気が震えている。
次の瞬間。
「おっらあ!!」
地面を蹴った?
「なっ?」
壬生兄の胸元に飛び込んだ武上君。
そのまま彼を抑え込んでいる。
「おまえ、どうして動ける? やめろ!」
「やめるわけねえ!」
「くっ、はなせ!」
「だから、放さねえって。ん、自力で逃げてみるか? って、無理だわなぁ」
「……」
「おまえ、恥ずかしい詠唱を考える暇があんなら、身体を鍛えた方がいいぜ。あっ、二度目は詠唱してなかったな。やっぱり、恥ずかしかったんじゃねえか」
「だ、黙れ! 私は壬生だぞ」
「それが、どうした」
「壬生家にこんなことをして、どうなるか分かってるのか!」
「壬生、壬生、壬生って、うっせえなぁ。子供かよ。もう、眠っとけ」
呆れたような顔の武上君が一撃を放つ。
「うぅ……」
すると、胸に拳を受けた壬生兄が簡単に意識を手放してしまった。
「壬生さん!」
「若!」
「あなたたちも眠りたい?」
「「……」」
「大人しくしてればいいのよ」
ふたりの異能者が、古野白さんの一睨みで沈黙。
頼もしい。
ふたりとも、本当に。
「古野白、研究所に連絡頼むわ」
「ええ、分かってるわ。……お疲れ様、武上君」
「おう。さすがに、疲れたぜ」
「あら、これくらいでヒーローって疲れるものなの?」
「……」
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「アル、もう終わりか?」
「……まだやれる。もう一本だ!」
「了解」
「いくぞぉ!」
「おう、かかってこい!」
俺たちが滞在しているトゥレイズ子爵の館。
その中庭で剣の手合わせをしているのは、アルとヴァーン。
トゥレイズに到着してからは、毎日のようにここで剣を打ち合わせている。
ディアナや他の騎士が加わることもあるが、ほとんどの時間はこの2人だけ。
ずっと2人で鍛錬しているんだ。
大した向上心だよ。
「コーキさんは参加しないんですか?」
「ええ、まあ」
俺自身の日課である鍛錬は、朝のうちに済ませてある。
それに、今は剣より……。
「伯爵様の容態はいかがです?」
考えなければいけないことが多すぎる。
伯爵の容態と今後のワディンの方針。
それによって変わってくる俺たちの今後。
何より、幸奈とセレス様のことをどう解決するか?
悩ましいことばかりだ。
まあ、こうしてゆっくり悩んでいられるのも、トゥレイズで穏やかな時間を過ごすことができているから。エビルズピークやローンドルヌ河では考えられなかったことだな。
「……寝室から出るのは、まだ難しいようです」
「それは心配ですね」
「はい。でも、疲れているだけだと侍医も言ってますので」
辺境伯のここまでの苦労と心労を考えれば、寝込むのも不思議なことじゃない。
ただ、ここまで長引くと……。
「……母と兄の消息がつかめないことも、ひとつの原因みたいです」
「……」
心を痛めているのはセレス様も同じ。
ここにいるセレス様の中身は幸奈だけれど、今はまるで本物のセレス様のように思考し行動しているのだから。肉親への情もセレス様同様のものがあるはず。
「あの、コーキさんとヴァーンさんは、よろしいのですか?」
「何がでしょう?」
「こうしてトゥレイズに留まっていただいても良いのかと……」
「もちろんです。滞在についてはヴァーンと話をして決めたことですので」
ヴァーンはシアのもとを離れようとは思っていない。
俺も幸奈のもとを離れるつもりはない。
「ありがとうございます」
「いえ……」
問題は、いつまでこの状況が続くか。
いつ幸奈とセレス様が入れ替われるか。
それに尽きる。





