第35話 姉弟
「っつ!?」
窓から差し込む陽光の眩しさと暑さに覚醒を促される。
「うぅ……」
全く気分の良くない朝……いや、時計を見るともう昼だった。
「……」
久々に酒が残った昼を迎えてしまったようだ。
こんなに飲んだのはいつ以来だろう。
記憶にないな。
40歳の頃の俺は病的にストイックな生活をしていたし、20歳に戻ってからも大酒なんか飲むどころではなかった。
しかし昨夜は……。
「大変だった」
途中までは、酒がとても進むほど楽しく過ごせていたのだが……。
まあ、あんな夜もあっていいか。
頭は重いし、身体もだるいが、どこかさっぱりした気持ちがする。
久々に何も考えずに楽しんだあの時間が、精神的な重りを癒してくれたのかもしれない。
たまに飲むのもいいもんだな。
乗り気じゃなかった武上との飲み会にも、参加しても良い気がしてくる。
……。
さてと。
まだ身体は重いが、もう昼だしな。
出かけるとしよう。
昨夜宿泊した宿屋を出て大通りを歩いていると、お腹の虫が騒ぎ出してきた。
やはり、この身体は若い。
あんなに飲んで気持ちも悪かったのに胃はしっかり活動しているなんてな。
ここ最近、些細なことで若さを実感する機会が増えてきた。
当然といえば当然なのだが、俺のこの身体は見た目だけじゃなく、本当に若返ったんだと実感できる。
そんな若い身体にもそれなりに慣れてきた。
身体の動きや性能だけじゃない。
というのも、俺の頭の中まで若さに引っ張られて変化しているように思えるんだよな。
まあ、それも、慣れれば悪くない。
今の俺は20歳。
それ相応の精神、感情、思考を持っていればいい。
などと考えている間に、かなり空腹を感じてきた。
さっさと昼食にしよう。
今日の昼は夕連亭に立ち寄るつもりだ。
やっぱり、ウィルさんのことが気になるからな。
昼時の夕連亭の食堂は結構な賑わいを見せていたが、何とか一席確保できたので昼の定食みたいな料理とガンドを注文する。
最初にここでいただいて以来、この煮込んだ肉料理にはまってしまったようで、夕連亭以外の店でも注文してしまうほどだ。あのとろけるような食感と優しい味わいが癖になるんだよ。特に二日酔いのこの身体にはたまらない。
そうそう、ヴィーツ酒もかなり気に入っている。ガンドと共に口にすると素晴らしいとしか言いようがないからな。
ヴィーツ酒も飲みたくなってきたぞ。
……。
昼だから我慢するか。
「お待たせいたしました、って、コーキさん?」
「ウィルさん、お久しぶりです」
テーブルの横には注文の品を持ったウィルさん。
俺の顔を見て目を見開いている。
「……お久しぶりです」
「ええ」
ウィルさんのこの様子……。
「また来てくださったのですね」
俺の来店がそんなに不思議か。
また来ると約束していたよな。
それに、声をひそめて話しかけてくるその様子、元気がないような……。
「こちらの食事は美味しいですからね。それに、ウィルさんにも会いたかったですし」
「ありがとうございます」
やはり元気がない。
まあ、あんな事があったのだから、仕方ないのかもしれないな。
「あれから、問題はありませんか?」
「はい、大丈夫です。おかげさまで、今は特に問題なく過ごしております」
とりあえず、問題はないようなので一安心かな。
「それはよかった。ヨマリさんもお元気ですか?」
「……ええ」
何とも言えない表情。
「何か問題でも?」
「いえ、母も元気です。もう村に帰りましたが」
「そうなのですね」
あれから数日経過しているのだから、ヨマリさんが村に帰っていてもおかしくはない。
「村での仕事があるみたいでして……その、今回の処理だとか」
「ああ、無理して話さなくていいですよ」
俺は部外者ということでいい。
「……すみません」
「いえ、おふたりが元気ならそれでいいですから」
「ありがとうございます。あの、これ、ガンドです」
「ああ、いただきます」
「すみません、ゆっくりお話ししたいのですが」
昼時の忙しい最中、無駄話もしていられないよな。
「気になさらず、どうぞ仕事に戻ってください」
「ありがとうございます。では、また後ほど」
頭を下げるや、急ぎ足で厨房に戻って行った。
呼び止めたようで、悪いことしたかな。
でもまあ、今日はウィルさんの姿を見ることができて良かった。
こうして働いている姿を見ると、本当にそう思う。
それでも、完全に安心していいわけじゃないだろう。
今後、ウィルさんが襲われる危険が絶対にないとは言い切れないからな。
たまに様子を見に来ないと。
「やっぱり、レベル上がらないかぁ」
昼食後は夕方まで常夜の森で色々と試しながら魔物を倒していたのだが、レベルに変化は見られなかった。やはり、簡単に上がるものではないようだ。
レベル2には簡単に上がったように見えたが、魔物との戦闘以外の点で経験値を得ていたのか、それとも1から2には上がりやすいだけか。今は判断がつかない。
いずれにしろ……。
レベルアップによる数値変化を確認したいんだよな。
レベル2になった時は、各種数値はほぼ1割の伸びを見せた。
この1割上昇というのが定率なら、高レベルに上がる前に可能な限り数値を上げておきたいと思っている。
この世界における、ステータスの各数値はレベルアップ以外でも上昇するということは確認済みだ。ならば、さらにレベルが上がりづらいであろう高レベル帯になる前に力や敏捷性などを鍛錬によって上げておくのが得策ではないのか。
鍛錬による上昇数値が僅かなものであったとしても、レベルアップによる定率上昇という仮説が正しければ、先々大きな違いを生み出すことになりそうだから。
そういうわけで、最近は基礎鍛錬を強化することにしている。
短期的に可能な限り各数値を上げておきたいからな。
おかげで、日本にいる時は鍛錬ばかりしているような気がするけどさ。
などと、ひとりで考えながら森の中を移動していると。
「きゃあぁぁ!!」
女性の叫び声。
悲鳴か?
ここ数日で通い慣れた常夜の森。
その中の獣道のような道を少し外れた辺りから聞こえてきた。
魔物にでも襲われたのか?
もちろん、無視するつもりはない。
すぐさま獣道を外れ、道らしき道もない木々の茂みの中に足を踏み入れる。
「うおぉぉ!」
今度は男の絶叫のような声が聞こえてくる。
距離は近いぞ。
視界に入る邪魔な枝を剣で斬り捨てながら駆ける。
「グルルゥゥゥ」
「おぉぉ」
「アル、危ない!!」
茂みを抜けると、小さい公園程度の開けた空間が目に入る。
そこには、冒険者らしき男女2人組と狼のような魔物が3頭。
女性を庇うように男性冒険者が前に出て狼3頭と対峙している。
「姉さん、おれを置いて逃げてくれ!」
「そんなこと、できないわ」
冒険者ギルドの掟として、冒険者が魔物と戦闘している最中に割り込む行為は原則禁止されているらしい。
もちろん、救援を求められた場合はその限りではない。
「手助けは必要ですか?」
「えっ!?」
「おっ!?」
背後の茂みから突然声をかけられ、驚いたようにこちらを振り向く2人。
女性の方は、こげ茶色の髪を肩まで伸ばしている。ぱっちりとした大きな眼は綺麗なグレー。その整った容貌に幾分幼さを残すが、おそらく成人しているのだろう。
対して、男性の方は女性同様のこげ茶色の髪を短く切りそろえている。眼の色は蒼色だ。その容貌は成人というにはやや幼い。女性より身長は高く165センチ程度はあるだろうが、見た目は少年と言っても良いぐらいだ。こちらも整った顔立ちをしている。
しかし、このふたり。
見覚えがあるような……。
「あ、あの、お願いします」
「了解」
少女の声と同時に、茂みから飛び出し少年の横に並び立つ。
「グルゥ」
狼たちは突然の乱入者を少しばかり警戒しているようで、3頭ともにその場に留まり低い声を発しながらこちらを睨んでいる。
「……そっちを頼んでいいか」
この少年……。
よく見ると、何か所も傷を負っているじゃないか。
切り裂かれた服に滲む血が痛々しい。
「ええ、ここは私に任せて、少し休んでいてください」
「なっ、おれもやるぞ」
少年の言葉を聞き終わる前に、俺の魔法が発動していた。
「雷撃!」
バチバチと音を発しながら雷光が鋭進し左端の狼に直撃する。
「ギャワン」
雷撃をその身に食らい、一撃でその場に倒れ伏す。
「もう一発、雷撃」
さらに魔法を放つ。
真ん中の狼は避けようと動くも躱しきれず、こちらも直撃した。
「ギャアン」
残すは1頭。
雷撃を放とうと魔力を込めたところ……。
最後の一頭が逃げていった。
……。
追いかける必要もないか。
「えっ、ええ!?」
「なっ、何だあの魔法?」
倒れている魔物を見つめたまま立ち尽くすふたり。
「ふたりとも大丈夫ですか?」
少年の方は怪我をしているのだから全く平気ということもないだろうが。
「すごい!」
「……」
聞いてないな。





