第339話 ローンドルヌ河 11
<和見幸奈視点(姿はセレスティーヌ)>
激流の中、身体が右に左に引っ張られるように回転していく。
体中に感じたことのない痛みを感じてしまう。
でも、そんなことより息ができない。
「ううっ!」
口から、鼻から水が入って!
もう、もう……。
「セ、レ……様!!」
右手に強い力!
こんな状況でも、ユーフィリアさんの思いが伝わってくる。
けど、わたしの意識は薄れ。
全てが闇に……。
「ゆきなぁぁ!!」
暗闇の中、そんな叫び声が聞こえた気がする。
どこか懐かしいその響きが。
ここは……。
ここはどこ?
わたしはどこに?
何もない空間にふわふわと漂っている?
「……」
奇妙な感覚なのに、なぜか心が落ち着いてしまう。
この感じ。
覚えがあるような……。
頭が上手く働かないぼんやりとした状態で漂っているこれって?
そんなことを考えるともなしに頭に浮かべながら、奇妙な感覚に身を任せ漂い続ける。
……。
……。
……。
どれくらいの時間が経っただろう。
気づけば、目の前に微かな光が!
温かな輝きを放つ光。
これも知っている。
優しく心地いい光だ。
だから、わたしは躊躇することなく。
その光の中へ入って。
ああ……。
「……様!」
「……」
「……ス様! セレス様!」
「……?」
「セレス様!!」
……誰? 何?
わたしを見つめている。
彼女は……。
「ユーフィリア、さん?」
「ああぁ、セレス様……」
目を見開き、手を強く握りしめてくる。
ユーフィリアさんだ。
どうして、そんな表情を?
と、胸が!
「ごっ、ごほぅ! ごほっ、ごほっ!」
うう、苦しい。
「ごほっ、ごほっ!」
次から次へと、水が口から溢れて!
「っ! 水を吐いてください」
そう言って背中をさすってくれるユーフィリアさん。
「はあ、はぁ、はぁ……」
水が止まった。
やっと息ができる。
ゆっくり呼吸が……あっ!
そうだ!
わたしとユーフィリアさんはローンドルヌ大橋から落ちて。
河の中に落ちて。
それで……?
生きてる?
ユーフィリアさんも?
わたしも?
「……」
いったい、どうなったの?
「セレス様、大丈夫ですか? もう呼吸はできますか?」
「……はい」
「身体に痛いところは?」
「……今のところ痛みは感じません」
「よかったぁぁ」
目に見えて、ユーフィリアさんの顔から悲壮感が消えていく。
「ユーフィリアさんは怪我などしてませんか?」
「私は問題ありません」
ユーフィリアさんもわたしも体に支障はない。
嵐のローンドルヌ河に落ちたのに、命が助かっただけでなく怪我ひとつないなんて……。
神様、感謝いたします。
でも。
「わたしたちはどうなったのでしょう?」
「ローンドルヌ河から何とか逃れることができました」
「あの激流からですよね?」
「はい。運よく陸地がありましたので。それに、少し魔法を……」
ユーフィリアさんは魔法使い。
水魔法も得意な魔法使いだ。
その水魔法でわたしを護ってくれたの?
大橋の中央付近から落下したのに?
あの恐ろしい激流の中、岸までわたしを泳ぎ運んで?
「ありがとう、ユーフィリアさん。あなたのおかげで助かりました」
「いえ……」
「ユーフィリアさんは命の恩人です。あなたがいなければ、わたしはローンドルヌ河に沈んでいたと思います」
わたし1人では生き残ることなんてできなかった。
絶対に!
「……私の失態が原因ですから。セレス様を危険な目に遭わせてしまい、本当に申し訳ございませんでした」
「違います。ユーフィリアさんの失態なんかじゃないです。だから謝らないでください」
「セレス様……」
「心から感謝していますから」
「……」
本を正せば、原因は渡河を決断したわたし。
わたしの失態だ。
「そもそも、今回の件はわたしにこそ責任があるんです」
「それこそ、違います」
「でも」
「レザンジュの伏兵を見抜けなかったのは我らの責任。偵察隊を含む騎士の責任に他ありません」
あれは!
偵察隊が調査しても、渡河直前にまた調べ直しても、レザンジュ兵の姿なんて全く見えなかったのだから仕方ないことだと思う。
「今回はレザンジュが一枚上手だっただけです」
「だとしても、責任は我らにこそあれ、セレス様にはございません」
「……」
そう考えてくれるなら。
今は。
「分かりました。わたしに責任はない。ユーフィリアさんにもない。そういうことでいいですね」
「……」
「責任や失態の話はこれで終わりにして、今後の話をしませんか」
「……はい」
「では、ここはどこなんでしょう?」
河の北岸なのか南岸なのか?
大橋からどれくらい流されたのか?
「大橋の下流にある中洲です」
中洲?
「岸ではないのですね?」
立ち上がって周りを見渡してみると、かなり大きな島のように見える。
地面は砂利と僅かな植物だけの平らかなここは……。
相変わらず激しい雨と風が視界を遮っているけれど、間違いない。
ここはローンドルヌ河下流の中洲なんだ。
「岸まで泳ぐことができませんでした」
嵐のローンドルヌ河、あの激流の中を泳ぐこと自体が不可能に近いと思う。
「河に流された先に、たまたま中州があっただけで。申し訳ありません」
「だから、謝らないでください。中州に辿り着けただけでも、十分ありがたいことですよ。ユーフィリアさんのおかげです」
彼女が魔法で護ってくれなかったら無事に辿り着けなかっただろうから。
それに加え、流された先に中洲があったという幸運も。
「……」
ただ、中洲ということは。
「皆さんに合流するのは難しいですよね?」
「……はい」
暴風雨は相変わらず。
ローンドルヌ河の流れも激流状態。
この河を岸まで泳ぎ渡るなんて、とてもじゃないけど考えられない。
岸に渡れないなら、大橋に戻ることも。
「今も大橋で皆さんが戦っているのに」
シアさん、アル君、ヴァーンさん、ディアナさん、隊長、騎士の皆さん。
「勝利を祈るしか……」
「……」
わたしが戻っても足手まといになるだけ。
むしろ、ここで大人しく待っている方がいい。
頭では理解しているけど。
「セレス様、嵐が収まるまで、ここで待機を」
「……分かりました」
見上げた空は一面が黒で覆われている。
風も激しいまま。
しばらく待機になりそう。
「体は冷えてませんか?」
「平気です」
身体中が濡れてしまっているけど、幸いなことに気温は低くないから。
でも、もうフードは被りたくない。
水をたくさん含んで不快なので。
そう思って、フードを外したところ。
急に目眩が!?
立ってられない。
「セレス様?」
頭が痛い。
「セレス様!」
「大丈夫、いつもの頭痛です」
いつもの頭痛だけど、少し違う?
えっ、これは?
記憶が?
欠けていた記憶が頭の中に戻ってくる。
ユーフィリアさんのことも、他のことも。
記憶の奔流……。
どうして?
激流に流された衝撃で?
理由は分からない。
けど、記憶が流れて来ることだけは確か。
「……」
コーキさんとの記憶。
テポレン山、それにこれは……魔落!!
ああ……。
「あんたら、ワディンだよな」
えっ!?
誰の声?
「何者!」
見知らぬ声とユーフィリアさんの厳しい声色に、なぜか頭痛が消え。
記憶の流入が止まってしまった。
「こっちが聞いてんだろ」
「……」
「まあ、いいか。おまえらがワディンなのは間違いないだろうからな」
視界を遮る激しい風雨の中、こっちに向かって歩いてくるのは1人の男。
肩に男性を担いだ男がゆっくりと近づいて来た。
「止まれ!」
「おう、怖い、怖い」
「……王軍か?」
「そうなるかな」
立ち止まった男は王軍兵。
敵だ。
敵が、わたしたちと同じように中州に流れ着いたんだ。
「こうして生き残ったんだからよ、仲良くしようぜ」
「……」
依然として、真黒な空が横殴りの雨を叩きつけてくる。
わたしたちにも、彼らにも。
変わりなく、容赦なく。





