第338話 ローンドルヌ河 10
嵐の中、完全に濡れてしまった体で駆け続けていると、前方から奇妙な空気が流れてきた。
さらに、風雨に混じって異音も?
強烈な雨風の音が耳朶を叩くばかりで、他の物音などは上手く聞き取れない状態だけれど。
微かに剣戟と魔法の音が聞こえるような……。
まさか、戦闘音?
ローンドルヌ大橋から?
嫌な予感しかしない。
「……」
不吉な予感に、駆ける足を緩めてしまう。
そのまま立ち止まり耳を澄ませるも……。
嵐にかき消されて上手く聞き取れない。
それならばと、気配を探ってみるが、あまりの暴風に感知もままならない。
そんな難しい感知の中、僅かに感じ取れたのは。
かなりの大人数が前方に集まっているという一点のみ。
レザンジュ王軍が駐留しているローンドルヌ大橋。
そこに王軍兵が集まっているということなら、おかしいことじゃないが。
「……」
この暴風雨の状況で、平常時と同様の警備がなされているとは到底思えない。
やはり、異常事態なのか?
だとすると、戦闘が起こっている可能性も十分考えられる。
ローンドルヌ大橋での戦闘……。
っ!
悪い想像しか浮かんでこないぞ。
こうなるともう、一刻も早く確認するしかないな。
止めていた足を再び動かし、速度を上げ、街道を北上。
ローンドルヌ河に向かってひた走る。
しかし、本当に走りづらい。
雨もそうだが、この風が特に厄介だ。
まっすぐ走っていても、右に左に身体が振れてしまう。
逆風の時は進むのも大変なくらい。
俺のステータスでこれなんだからな。
そんな嵐の街道には、人の姿は見えない。
当たり前か。
こんな日に出歩くなんて、余程物好きなやつだけだろ。
ただ、だからこそ、前方に感じる多数の気配を不穏に感じてしまう。
大橋に近づくにつれ、異様な空気がさらに濃く感じられるようになってきた。
暴風雨の中、耳に入ってくるこの音も、多数の人の気配も……。
ほぼ間違いない!
多数の人が争ってる!
この極限の天候下で人が争っているなら。
それは、レザンジュ王軍とワディンの戦闘……。
「……」
くそっ!
どうしてだ?
俺が渡河可能と判断するまでは、待機するはずだったのに?
指示を待たず、橋を渡ったのはなぜなんだ?
しかも、こんな嵐の中を。
いや、嵐だからこそ渡ったのか?
好機と判断して。
俺からの手紙投擲は不可能と考えて。
それで、この戦闘に。
つまり、敵の罠にはまって!
ただでさえ、数で劣っている状況で。
王軍の計略通りに進んでいるとしたら……。
最悪の胸騒ぎを打ち消すように、ひたすらに駆け続ける。
すると。
目の前に、想像が現実として現れてしまった。
「っ!?」
ローンドルヌ大橋の上に広がる乱戦。
ワディン側が前後から挟撃されている。
しかも、敵の兵数は400どころじゃない。
その3倍はいる!
こんな兵数、俺は確認していないぞ。
どこから現れた?
いや、そんなことより、幸奈は無事なのか!?
シア、アル、ヴァーンは?
「……」
けど、これは?
何かがおかしい。
暴風雨の中でも、この距離なら分かる。
気配が違うんだ。
大橋の上に感知できる兵数は……敵味方合わせても500程度。
なのに、今目の前に広がる光景は?
感知と光景が一致しない。
何が起こってる?
幻?
幻術、幻影の類?
そうか。
トゥオヴィの能力だ。
彼女は幻術に近い魔法を使えたんだ。
ワディン騎士たちは幻術にはめられたに違いない!
くそっ!
露見ばかりに思考が傾いて、魔眼に気を取られて、軽視していた。
忘れていた。
俺の失態だ!
「「「「「「おおぉぉ!」」」」」」
「「「「「「うわぁぁ!」」」」」」
「「アイスアロー!!」」
「「ストーンボール!!」」
喊声、叫声、魔法詠唱。
嵐を突き破って聞こえてくる。
キン、キン!
ドン!
ドガン!
ワディン側の劣勢は明らか。
当然だ。
嵐の中で幻影を見せられ、多勢に挟撃されてるんだから。
ノワールも戦っているはずだが、水が苦手なノワールにとっては厳しい状況だろう。
このまま嵐が続けば、十分に力を発揮することもできないはず。
なら。
俺がやるしかない!
よし、もう到着するぞ。
現在の戦況は?
ワディン騎士たちは劣勢なりに何とか持ちこたえている。
ヴァーンとアルも戦闘中。
ノワールも……雨の中で頑張っているな。
それで、幸奈は?
橋上には確認できない。
ということは馬車の中。
その馬車は、健在だ!
よかった……。
形勢不利なのは仕方がない。
それでも、最悪の事態には至っていない現状に、思わず安堵の息が漏れてしまう。
そんな一呼吸をついた、次の瞬間。
ドッガァァーーン!!
轟音を立て、馬車が横転した!!
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<和見幸奈視点(姿はセレス)>
浮遊感。
馬車の横転とともに空中に飛ばされた身体がそれを感じる。
なぜか、とても長く感じてしまう。
どこに落ちるの?
わたし、どうなるんだろう?
シアさんとユーフィリアさんは?
とんでもない状況なのに、頭だけはすごい速度で動いている。
本当に不思議な感覚。
けど、それも終わりを告げ。
「うっ!」
背中に感じる衝撃。
一瞬息が止まってしまう。
これは、身体が橋の上に叩きつけられたの?
でも、柔らかい?
どうして?
ユーフィリアさん?
護ってくれた?
馬車から投げ出される直前、手を取ってくれていたユーフィリアさんがわたしを庇うように抱え、そのまま橋に?
そうよ。
だから、この程度で済んだのね。
「ユーフィリアさん、大丈夫……」
ドン!
えっ?
蹴られた?
「邪魔だぁ!」
また蹴られた?
「ううっ!」
蹴られたのはユーフィリアさん?
わたしを胸に抱えたまま転がっている、橋の上を?
「どけぇ!」
さらに、何らかの衝撃を受けたユーフィリアさん。
転げている中で、抱える腕がほどけて!
でも、手は繋がっている。
ドサッ!
何かに体が当たり、ようやく横転が止まった。
背中が欄干に当たったんだわ。
「うっ、くっ!」
ユーフィリアさん?
右手の先は?
「!?」
わたしの右手と繋がっているユーフィリアさんの左手。
その左手を繋いだまま、ユーフィリアさんの体が橋から外にはみ出している!
転がった先の欄干が崩れ、そこから外に落ちかけているんだ!
でも、落ちなくて良かった。
ぎりぎりだった。
そう思ったのに。
ドン!
「あっ!」
また蹴られて!
ユーフィリアさんの全身が橋の外へ!
「ううぅ」
重い!
右手が痛い。
「セレス様、離してください!」
「嫌です!」
「セレス様!」
「絶対離しません!」
痛いけど、離せない。
ずっとわたしを護ってくれたユーフィリアさんの手なのに。
「セレス様、無理です」
分かっている。
わたしの力では長くはもたない。
だから!
「誰か!」
助けて!
ユーフィリアさんを橋の上に戻して!
でも、誰も助けてくれない。
気づいてないの?
余裕がないの?
シアさんは?
姿が見えない。
「「「セレスティーヌ様!!」」」
あっ!
騎士の皆さんが、こっちに気付いてくれた。
「ユーフィリアさん、すぐ助けが来ますから」
「セレス様……」
わたしの力でも少しくらいは平気。
すぐに騎士の皆さんに助けてもらえる。
あと少し頑張れば……。
「えっ!?」
欄干が?
わたしの体を支えていた欄干が崩れ落ちて……。
ユーフィリアさんの手に引かれるように橋の外へ!
「「「「セレスティーヌ様!!!」」」
また浮遊感。
落ちている。
さっき感じた奇妙な感覚に再び覆われ。
そして。
ザッバーン!!
「セ、レス様!?」
そんな声が聞こえた気がする。
でも……。
河の流れが激し過ぎて。
よく分からない。
右に左に上に下に、水中で体が回転するばかり。
感覚が麻痺してくる。
それでも、ユーフィリアさんと繋いだ手は離せない。
離さない。
ふたり、手を繋いだまま。
激流に流されていく。
「ぅぅ」
苦しい!
息が!
「ごぼっ」
水が口の中に!
息ができない!
「……」
ああ……。
意識が朦朧とする。
もう……。





