第335話 ローンドルヌ河 7
今回の偵察任務。
ウラハムの魔眼のせいで大変な目に遭うところだったが、エリシティア様にいただいた書面と記章のおかげで何とか難を逃れることができた。それどころか、王軍の内情をそれなりに見知ることもできた。
一時はどうなるかと思ったものの、結果的には上手くいったってことかな。
とはいえ、今回は運が良かっただけ。
全てはエリシティア様のおかげなのだから。
ただ、正直なところ……。
エリシティア様からの褒賞を利用して彼女の母国の兵士たち相手にこういうことをするのは、気が引けるものがある。
ローンドルヌ駐留軍にはエリシティア様子飼いの騎士たちが多いとのことだから、余計にそう感じてしまう。
けれど今は、俺の感傷よりセレス様と幸奈の無事を優先すべき。
そのためにも、まずはローンドルヌ大橋を無事に通過する必要がある。
そう割り切るべきところなんだが。
どうしても、エリシティア様に対する申し訳ない気持ちを拭い切れない。
なので、ここは借りひとつ。
今回は、そう思っておくことにしよう。
「ここでよろしいですか?」
「ああ……そうですね」
ローンドルヌ大橋南端まで案内してくれたトゥオヴィ配下のレザンジュ兵。
約束通り、いや、それ以上の対応で解放してくれた。
「ここまでの案内、感謝いたします」
「とんでもない、エリシティア様の恩人は我らが恩人も同様なのですから。この程度、なんてことはないです」
ほら。
こんなこと、さらっと言ってくれるから。
心がちくっと痛むんだよ。
「それでは、この先の旅路が良いものになることを祈っております」
さらに、祈願まで。
やりづらいこと、この上ないな。
「あなたも……」
だから、こんな言葉しか返せない。
若干決まりが悪い別れの言葉を交わした後、そのまま南へと歩を進め。
足早にローンドルヌ大橋をあとにした俺。
もう既に、大橋を視認できない場所まで足を運んでいる。
「……」
さっきのローンドルヌ南岸偵察。
間違いなく、収穫はあった。
俺の気持ちは別にして、ここまでは上々と言える出来だ。
ただし、問題はこれから。
自由になったのはいいが、レザンジュ王軍に面が割れてしまったのはいただけないな。
このまま南岸に戻って駐留部隊の様子を窺うなんて、できそうもない。
そうは言っても、今日明日あたりにローンドルヌ大橋を渡って戻るという選択肢も取りがたいものがある。
この流れで、北岸に戻るのは明らかに不自然だろ。
今後のことを考えれば、やめた方がいい。
ローンドルヌ河を泳ぎ渡るというのも、とりあえずは避けるべきか。
となると、今は簡単には皆のもとに戻ることもできない状況ってことだな。
セレス様達への連絡については手紙を投擲すればいいから、差し障りはないものの……。
「……」
仕方ない。
しばらくは遠方から無難に偵察をして様子を探ることにしよう。
それからどう動くかは、状況を見て判断するしかない。
まずは、落ち着ける場所を確保だ。
ということで、街道をさらに南下し小さな村に到着。
今はその村で休憩をしているところ。
ただし、あまり落ち着ける状態でもない。
レザンジュ兵が近くで俺を監視しているからだ。
まあ……。
レザンジュ側による尾行は想定内。
この局面で、俺を完全に信用する方がどうかしているというもの。
尾行なんて当然のことだろう。
とはいえ、動きづらい状況であることに変わりはない、な。
「……」
さて。
この監視下で、何をするか?
色々とすべきことはあるが。
白昼堂々動けない現状では……。
一度日本に戻るべきかな?
異世界間移動の後、最短の滞在でこっちに戻れば丁度良い時間になるはず。
日本でやっておきたいこともある。
そうだな。
やはり、ここは日本に戻るとしよう。
と、その前に一応ステータス確認を。
「鑑定……!?」
なっ!
これは、どういうことだ?
こちらの世界の露見欄に4という数字が点滅している。
露見4/3となって点滅を!!
レザンジュ軍の天幕の中で見た時は、こんな数字じゃなかった。
問題はなかった。
それなのに、なぜ今は4という数字に?
魔眼……。
ウラハムの魔眼なのか?
このタイミングは、そうとしか考えられない。
くっ!
やっぱり視られていたんだ!
しかし、だとすると。
天幕内で自己鑑定中に露見が表示されなかった理由は?
ウラハムの魔眼にさらされながら鑑定しても露見に変化が現れなかったのは?
この短時間に何かがあった?
それとも、露見がステータスに反映されるには少し時間がかかるとでも?
「……」
分からない。
が、そこは重要じゃない。
今現在4という数字が点滅していることが問題だ。
これは、今までの点滅とは意味が違う。
これまでの点滅は、古野白さんたち日本の異能者のものだと思うが、彼らは異世界について明確には認識していなかった。だから、警告の意味合いが強い点滅だったと思う。
けど、今回の点滅は……。
俺のギフト、異世界間移動が認識されたから?
あるいは、異世界につながる何かを視られたから?
それらによる点滅の場合、いつ確定に変わっても不思議じゃない。
今すぐにでも確定するかもしれない。
4つの確定が意味するもの。
「……」
終わりだ。
俺の異世界活動が終わってしまう。
しかも、幸奈とセレス様が入れ替わったこの状況で。
……駄目だ!
ここで異世界間移動を禁じられるわけにはいかない!
今だけは!
「……」
もちろん、今後もずっと点滅のままという可能性だってある。
放置しても問題ないかもしれない。
けど、そんなこと、あてにしていいのか?
なら……?
時間はあってないようなもの。
今この瞬間にも、取り返しのつかない事態になってしまうこともあり得る。
決断するなら早く。
使うなら、すぐじゃなきゃ効果がない。
露見の危険を消し去るには、魔眼にさらされる前に戻る必要がある。
魔眼で能力を視られたのは天幕の中、それとローンドルヌ大橋を渡っている最中。
つまり、その時間の前に戻れなければ遡行の意味なんてないんだ。
渡河からの経過時間は2時間に近づこうとしている。
1刻(2時間)の遡行で渡河前に戻れるのは、これからの数分だけ。
いや、数分だってあやしい。
既にギリギリかもしれない。
とにかく。
遡行するなら今、この場面!
ただ……。
これまでに時間遡行を使ったのは、生死に関わる時だけだった。
今回は人の生死がかかっている場面じゃない。
ここで使っていいものなのか?
神様から貰った超常の力を?
分からない。
が、それでも……。
異世界間移動を禁じられることは、俺にとっては死んだも同じ。
だったら。
もう!
使うしかない!
覚悟を決めろ!
「……時間遡行!」
あの奇妙な感覚が身体を覆い尽くしてくる。
間違いなく発動している。
問題は遡行する先。
その時間。
「……」
感覚が戻ってきた。
視界も開け、景色が目の中に。
「……」
ここは?
今は?
目の前に見えるのはローンドルヌ河。
ローンドルヌの大橋梁。
多くの旅人が通行している。
「……」
俺が立っているのは北岸なのか?
南岸なのか?
喧騒に包まれているローンドルヌ大橋。
背後には陽光に照らされた街道。
大橋の周りにはレザンジュ兵。
どっちなんだ?
「進んでいいぞ」
「よし、そのまま進め」
「馬車はこっちだ」
数人のレザンジュ兵が橋を渡ろうとする通行人に声を掛けている?
調べている?
ということは……。
橋を渡る直前!
間に合ったんだ!
「……」
危なかった。
もう少し決断が遅れていたら、大橋の上でウラハムの魔眼にとらえられる所だった。
もちろん、天幕の中とは違い離れた場所から視られるだけだろうから、俺のギフトまで見抜かれることはないかもしれないが……。
とにかく、この時間に戻れてよかった。
これで、ひとまずは露見を回避できたはず。
なら、当然。
いちど橋から離れた方がいい。
どこでウラハムの魔眼に捕まるか分からないんだからな。
ローンドルヌ大橋まであと数歩のところで踵を返し、目立たないように注意しながら大橋を離れる。
少し歩いたところで街道から脇に入り、適当な草むらの中へ。
ふぅぅ。
これで、やっと落ち着ける。
冷静に考えることもできそうだ。
さて、今の俺は……。
ローンドルヌ河の警備状況もレザンジュ王軍の内情も、頭の中に入っている。
遡行前の経験を有効活用できる状況。
それを踏まえた上で、偵察をどうするか?
どう動くべきか?
じっくり考えよう。





