第334話 ローンドルヌ河 6
「本当に申し訳ない」
さらに謝罪を重ねてくる。
「謝罪は不要ですから」
「いや、しかし」
彼らの行動は職務上当然のもの。
何らおかしなことはしていない。
それなのに、こう下出に出られると逆に申し訳ない気持ちになってしまう。
敵陣の中で、こんな微妙な感情を……。
そう、ここは敵陣。
つまり、エリシティア様は敵方になるんだ。
もちろん、覚悟はしていたさ。
それでも……。
「……」
今は敵対しているとはいえ、エリシティア様に対しては害意も敵意も持ってない。
そもそもレザンジュに対しても、個人的には明確な敵意など持っていない。
状況が状況だから、こうなっているだけ。
何というか……。
やりづらいな。
「では、許してもらえるのか?」
「……もちろんです」
「かたじけない。あやうく我々がエリシティア様の面目をつぶすところであった」
本当にやりづらいが、今はそんな感情より。
「では、私がここに留まる必要はありませんよね」
「それは……」
ワディン側に与するな。そう言いたいんだろ。
「いや、何でもない」
その言葉すら思い留まらせるほど、エリシティア様の書面には効力があるということか。
ホント、ありがたい書付だよ。
さて、彼らの気が変わらない内に、ここを出たいところではあるけれど。
せっかくの機会だ。
聞けることは、聞いておこう。
「ところで……」
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<トゥオヴィ視点>
天幕を出て行くコーキ殿を見送った後。
「いいんですか?」
不満気な表情を隠そうともしないイリアル。
「トゥオヴィ様?」
「……」
いいも悪いもないな。
「ウラハムはどうなんだ? おまえが見抜いた相手だぞ。納得してんのか?」
「……あれはもう仕方ない。イリアルも見ただろ、エリシティア様が命の恩人とまで明記されていた文面をな」
「……」
ウラハムの言う通り。
コーキ殿はエリシティア様が便宜を図るようにと強く求めている人物だ。
そんな彼を疑いがあるというだけで留め置くことなど、私にはできない。
「けどよ、このタイミングで、あの腕利きがトゥレイズに向かってんだぞ。姫様の恩人だろうが、あやしいことに変わりはないぜ」
「あやしいだけじゃ、どうしようもない。おまえも分かってるはずだ」
「……」
頭で分かっていても納得はできない。
イリアルのその気持ちもよく理解できる。
結果を残さねばならぬローンドルヌ河駐留で、我らはまだ何も手にしていないのだから。
ただ、そうは言っても。
「コーキ殿はワディンの者ではない」
我らが重視する獲物は、まずは辺境伯の係累、次にワディン騎士。
「ならば、仮にトゥレイズに入られたとしても、我らにとって大きな失態にはなるまい」
「……」
うん?
イリアルは、失態になると考えているのか?
いや……さすがにないな。
それに、一応。
「コーキ殿には尾行をつけている」
「なるほど、尾行ですか。でしたら、ひとまずは様子見ということで?」
「うむ。とはいえ、尾行が通用する相手なら警戒するほどでもないがな」
「確かに、そうですね」
尾行できるなら好し。
振り切られても、それでも、1人の冒険者に過ぎない。
「いずれにせよ、我らの脅威にはならないだろう」
「そりゃ、そうでしょ。1人でレザンジュ全軍の脅威になるわけありませんよ」
全軍?
当たり前だ。
「で、ウラハムの眼には、どう映った?」
そう。
まずは、そこを詳しく聞かねばならん。
「恐ろしい手練れだな」
「手練れだってのはもう聞いてる。もっと具体的に、どの程度か教えてくれ」
「彼がその気になれば……」
「ああ、本気になるとどうなんだ?」
「この天幕にいる全員を瞬殺できる。それくらいだと思えばいい」
何!?
私とイリアルの魔法、ウラハムの魔眼をもってしても瞬殺されると?
そこまでなのか?
「おいおい、ホントかよ?」
「ああ、じっくりと観察したからな。この眼を信じるなら、そういうことになる」
「なら、さっきは危なかったんじゃねえか?」
「一歩間違っていたら、そうかもな」
「……」
にわかには信じがたいが。
魔眼持ちのウラハムが視たのだから、間違いないのだろう。
「おまえ、一言くらい言っとけよ! 無理やり引き留めてたら殺されてたとこだぞ!」
「橋の上ではあまり視えなかったから、前もって伝えるのは無理だ」
「そういうのは、気付いた時点で言えって! トゥオヴィ様まで危険な目に遭わせるつもりか!」
ウラハムが危険だと感じていたなら、伝えていたはず。
言葉にしなかったということは、つまり。
「いや、そこは問題ない」
ということだ。
「はあ? おまえ、ちゃんと魔眼使えてんだろうなぁ?」
「使えているし、ほぼ問題もなかった」
「……どういうことだ?」
「さっきの会話中、彼の中に殺意は一度も芽生えなかった」
「……」
「命の危険など無かったってことだな」
「一歩間違えば危なかったんじゃねえのか?」
「その一歩を間違えなかったから、殺意が生まれなかったんだろ」
「ちっ、屁理屈ばかり言いやがって」
「これはただの真実、魔眼で見た真実だ」
「……」
そろそろ頃合いか。
「ふたりとも、それくらいにしておけ」
「……」
「……」
過ぎた危険をとやかく言っても不毛なだけ。
今は他に話すことがある。
「ウラハム、コーキ殿は我らに殺意を抱くことはなかったのだな?」
「はい」
「つまり、彼は短慮を起こすような人物ではないということか?」
「はい」
「ここに留め置いたとしても、蛮行に及ぶことはなかったと?」
「おそらくは」
「なるほど……」
それを選択しても良かったと。
とはいえ、エリシティア様の意向を無視なんてできない。
コーキ殿を自由にするしかなかったわけだが。
「ところで、彼はワディンに与しているのか?」
「トゥオヴィ様もご存知のように、そういったものは視えませんので」
「レザンジュ側、中立、ワディン側。やはり、分からぬか?」
「申し訳ございません」
「いや、魔眼にも視えぬものはあるのだ。ウラハムが謝ることじゃない」
「……」
「で、何か他に視えたものは?」
「ひとつ気になる点があります」
「ほう、何が気になる?」
「それが、私にも判別しがたいことでして……」
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<和見幸奈視点(姿はセレスティーヌ)>
エビルズピークでも、コーキさんに助けられた。
テポレン山に次いで、これで2度目?
2度目?
ほんとに?
「……」
失くしてしまったわたしの記憶。
南下の道中でかなり取り戻したと思っていたけれど、コーキさんに関する記憶だけは、なぜか曖昧なものばかり。
テポレン山での記憶も、その後のオルドウでの記憶も、他の記憶も、全て薄い膜の中に入っているよう。そこにあるのに、取り出せない。
ずっと不鮮明なまま……。
それでも。
あの山で生き延びることができたのはコーキさんがそばにいてくれたから。
それだけは間違いないと思える。
彼がいなかったら、わたしの命なんてとっくになかった。
それなのに、コーキさんと話をすると、彼のことを考えると、頭が痛くなってしまう。
もっと話がしたいのに。
コーキさんとの思い出を取り戻したいのに。
「……」
一緒に旅を続けたおかげで、少しはましになってきたけれど。
やっぱり、頭痛が完全に消えることはない。
こうして話していても、軽い痛みが続いている。
「まだ記憶は曖昧なのですよね?」
「全てではないですが、はい」
「特に私との記憶が?」
「……ごめんなさい」
「セレス様が謝ることじゃないです」
「ですが」
「セレス様は何も悪くないですから」
「……」
「きっと私に原因があるんですよ」
「違います!」
原因は私。
いつまでも思い出せないわたしが悪いだけ。
不甲斐ない。
情けない。
心が痛くなってくる。
本当に変な頭と心……。
「わたし、変ですか?」
「どうしてそう思うのです?」
「以前のわたしと比べて性格が変わったと。皆さんが思っているようなので」
「記憶が不完全なのですから当然ですよ。それに……私はそういう風には感じませんね」
「本当ですか?」
「ええ」
「よかったぁ」
コーキさん、わたしの欲しい言葉を口にしてくれる。
嬉しい。
「今は気楽にいきましょ。また記憶が戻れば全て分かりますしね」
「はい。でも……記憶は完全に戻るんでしょうか?」
「戻ります」
コーキさんが断言してくれた。
それだけで、自信が溢れてくる。
「きっと戻ります」
「ありがとう、コーキさん。わたし頑張ります」
痛くてもいい。
頭痛があっても思い出したい。
そんなこと言ったら、シアさんやディアナさんに怒られるから言えないけど。
「セレス様……無理はしないでください。ゆっくり少しずつ思い出していけば十分ですから」
優しい。
コーキさんはいつもそうだ。
いつも……?
そう。
いつもだ!
不鮮明な記憶しかないのに、なぜかいつもだと分かってしまう。
だから、わたしも頑張りたい。
「コーキさん、またあの言葉を、わたしの記憶に関する言葉を言ってくれませんか?」
「頭痛の方は?」
「大丈夫です」
「そうですか……珈紅茶館という言葉はどうでしょう?」
コウ、コ……カン……?
「……すみません、分からないです」
「では、梅という言葉は?」
「ウメ……」
聞いたことがあるような?
なんだか、心が温かくなるような?
きっと、わたしはどこかでウメを……。
「あっ!」
「どうしました?」
痛い!
また酷い頭痛!
「セレス様?」
「だいじょ……」
しっかり答えたいのに、声が出ない。
目を開けているのが辛い。
「申し訳ありません」
「そん、な……」
コーキさんは悪くない。
わたしの記憶がおかしいだけだから。
「少し休みましょう」
コーキさんとふたりで会話することなんて、それほどあったわけじゃない。
そんな数少ない会話の機会。
そのたびに頭痛が酷くなって、話が途中で終わってしまう。
本当にもう……。
もどかしい思いを感じながらも、南下は続き。
わたしたちは無事にローンドルヌ河付近に到着することができた。
そして、コーキさんは今。
「無事に対岸に渡れたのでしょうか?」
「先生なら大丈夫です」
「シアの言う通り。コーキなら問題ありませんって。本気を出せば、レザンジュ兵くらいひとりで相手できるような奴ですよ」
「コーキさんなら、やりかねないなぁ」
ヴァーンさん、アル君、それはさすがに言いすぎなんじゃ。
「ノワールもそう思うだろ」
「クウーン」
ノワールちゃんも……。
「セレス様、先生からの文もすぐに届くはずですから」
「ええ」
コーキさんが対岸で情報を集めたら、魔法で形成した石に文を取り付けてこちらの岸まで投擲してくれることになっている。それをワディンの斥候が受け取り、この村に届けてくれると。
「ほんと、コーキならではの連絡手段だぜ」
「文を付けた石であの川幅を越えるほどの遠投なんて、さすがだよなぁ」
渡河直後に大橋を渡って戻って来ると、王軍兵に疑われる。
なので、こういう伝達手段を取ることになったらしい。
「その文を読めば、王軍の動向を知ることができるのか?」
「コーキならちゃんと調べてくれてんだろ」
「そう……だな」
コーキさんのことをよく知らなかったディアナさん。
頭痛のせいで、わたしがコーキさんと話をするのを快く思っていないけど、それでもコーキさんのことを信頼し始めている。
ここにいる皆がコーキさんに期待してるんだ。
期待と希望で、空気が和らいでいるのが良く分かる。
「おっ、来たんじゃねえか」
ヴァーンさんの声で、皆の視線が部屋の入り口に。
すると。
「セレスティーヌ様、文が届きました」
ルボルグ隊長が文を持って現れた。





