第332話 ローンドルヌ河 4
<和見幸奈視点(姿はセレスティーヌ)>
コーキさんが偵察に出かけた後。
わたしの部屋にやって来たのはシアさん、ディアナさん、ユーフィリアさん、そしてルボルグ隊長の4人。
女性3人が傍にいるのは普段通りなのだけれど、ルボルグ隊長は違う。用事がなければ部屋に来ることもない隊長がこうして足を運んだということは……。
わたしに話がある?
今の状況を考えると、内容はコーキさんに続く渡河について?
でも、それなら、偵察情報を受け取った後の方がいいのでは?
「セレスティーヌ様、本当によろしいのですか?」
そんなことを考えながら様子を眺めていると、隊長が椅子に座ることもなくわたしに質問を投げかけてきた。
「……何がでしょう?」
「コーキ殿の入手する情報によりますが、我々は数日中にローンドルヌ大橋を渡ることになるはずです」
その通りだと思う。
「ですので、決断するなら今です」
日程かな?
「決行日はコーキさんから連絡をいただいた後に、決めたいと思っています」
「渡河の決行日ではありません」
だったら、何の決断を?
「戻るなら今だということです」
その話はもう済んでいる。
「戻らないと決めましたよね」
「ローンドルヌからの撤退についてではなく、セレスティーヌ様の退避についてです」
撤退でなく退避?
「それは、同じではないのですか?」
「セレスティーヌ様はワディン戦役が始まったおり、オルドウに避難されておりました」
「……」
「閣下の深い思いがあったればこその措置です」
隊長の言う通りだけど、だから何?
「閣下が健在で、こうして南部で再起を図るようになった現状。あなた様がそれに付き合う必要はありません」
「……」
「もう一度オルドウに退避するという考えはございませんか?」
ああ、なるほど。
そういうことだったのね。
「以前お尋ねした際は、閣下と合流されるまでとお答えになられました」
そうだ。
父に合流して話し合う。
それがわたしの目的だった。
「行先がワディナートからトゥレイズに変わり、道行きも困難な今。セレスティーヌ様が無理をされる必要などないのではないかと」
「……」
「ワディン戦役前のように、オルドウに避難すべきではないかと」
ルボルグ隊長は、わたしのオルドウ避難を望んでいる。
「私はそう考えております」
「……」
オルドウへの避難。
確かに、それが正解なのかもしれない。
「オルドウを選ぶのであれば、ディアナ、ユーフィリア、シアをあなた様に同行させましょう」
オルドウに退避し、本来の形に戻る。
無難で安全な行動だと思う。
でも、私の中の何かが、それを拒否している。
トゥレイズに向かうように叫んでいる。
トゥレイズで神娘の力が必要になると。
「……」
あの隠れ里で倒れ意識を失って以降、わたしは神娘の力が使えなくなっている。このままだと、トゥレイズの城塞に入っても力になれないだろう。それどころか、ただの足手まといになってしまう。
けど、それなら。
役に立てるようになればいい。
今も曖昧なわたしの記憶をしっかりと取り戻せば、神娘の力も戻ってくる。
だから、トゥレイズ到着までに記憶を回復させ。
お父様を助ける!
「ルボルグ隊長。あなたの考えはよく分かりました。心遣い、感謝します」
「それでは、オルドウに?」
「いいえ、わたしはローンドルヌ大橋を渡り、トゥレイズに向かいます」
********************
村を出た俺は、ローンドルヌ河を目指しひたすら足を動かし続ける。
雲ひとつない晴天の街道。
道端を照らす日は優しく、頬を撫でる風はこの上なく気持ちがいい。
「……」
穏やかで心地良い街道行。
道を行き交う人の顔も穏やかなものばかり。
長閑さに溢れている。
先に待ち受ける任務を忘れてしまう程の安楽な空気……。
良くないな。
心が緩んでしまいそうだ。
そんな歩みを続けていると。
前方にローンドルヌ大橋が見えてきた。
「これは……」
この距離からでも見て取れる。
想像をはるかに超える橋梁じゃないか!
幅員は7メートル程度。
長さは100メートルはあるだろう。
雄大なローンドルヌの大河にかかる大橋梁。
尋常ではない規模を誇る堂々たる橋梁だ。
こんな精緻で大規模な橋梁を建造できるのか?
「……」
白都の白亜宮、黒都の黒晶宮、そしてこのローンドルヌ大橋。
ちょっと信じがたい技術力だな。
思わず見惚れてしまうが、今は任務中。
先に進もう。
「封鎖が終わったってのは本当だったんだな」
「まだ兵はいるけどよ、大きな問題はなさそうだぜ」
「ああ、これでやっと村に戻れる」
橋の手前を歩く旅人たちの声。
「よし、行っていいぞ」
「走るのは禁止だ。ゆっくり歩くように」
「不審な行動をとった者は対岸で呼び止めるからな」
これは大橋の周辺に配備された兵たちの声。
50人ほどの王軍兵が渡河する者を監視しているようだ。
「いいぞ」
「よし、進め」
「馬車はこっちだ」
橋の直前で通行人をチェックするのは10人程度。
馬車は脇に停車させられ、5人ほどの兵士に中を調べられている。
「……」
その光景を前にして、足が止まりそうになる。
が、ここで躊躇するのは悪手だろう。
気にせず進むのがいい。
平静を装い、兵たちの前を無造作に歩き。
大橋に足を踏み入れ……。
「ゆっくり進めよ」
「よし、問題ない」
「行っていいぞ」
足を踏み入れた。
兵員に呼び止められることもなく、不審に思われることもなく。
無事に大橋梁の上に。
「……」
まあ、そうだよな。
俺の容姿にワディンを思わせるものはないんだ。
ただの旅人にしか見えないよな。
分かってはいたものの、50人の監視兵を前にすると……。
「おお」
「これは美しい」
「絶景だな」
「大橋も大河も素晴らしい」
喧騒の中、多くの人が行き交うローンドルヌ大橋。
ただ黙然と橋を渡る者もいるが、大半は足を止め橋上からの眺めに見入っている。
俺はというと、対岸の兵士や周りの通行人を注視しつつ橋の上を歩いていたのだが。
やはり、眺めというものは避けようもなく。
「……」
雄大な景色が目に入ってきた。
驚きの眺望、360度のパノラマ。
絶景だ!
雲ひとつない空の下、南東の丘陵から流れる豊富な水量を誇るローンドルヌ河。
その大河が雄々しく清水を運んでいる周りには力強くそそり立つ木々と可憐に咲き誇る多種多様の花々。
「……」
澄んだ大河の碧に木々の緑。
穏やかな風に揺れる色とりどりの百花。
雄壮と可憐。
透き通るような青碧と様々な原色。
美しい……。
この鮮やかな色彩に時を忘れてしまう。
絶妙のバランスが生み出す自然の調和に息が漏れてしまう。
どれくらい足を止めていただろう。
「……」
駄目だな。
さすがに見惚れ過ぎだ。
今は任務が優先。
さっさと渡るとしよう。
絶景を振り払うように早足で歩みを進め対岸に到着、するその直前。
あと数歩で対岸というところで、ひとりの女性が橋のたもとに歩み寄ってきた。
「君、ちょっといいかな」
「……」
「君だ、君」
俺か?
話しかけられたのか?
「茶色髪の冒険者風の君だよ」
「……はい?」
ショートカットが良く似合う20代後半くらいの金髪の女性兵士。
服装から推測するに、それなりの身分を持っていそうだ。
そんな彼女が俺に?
「ああ、少し時間を貰えるかな」
「……何の用でしょうか?」
俺がワディンの関係者だと知られたのか?
橋の前では呼び止められなかったのに?
「まずは、こちらについて来てくれ」
俺の返事も聞かず、こちらに背を向け歩き出すショートカットの金髪女性兵士。
「……」
ここで逃げるわけにはいかないよな。
仕方ない。
付き合うとしよう。
ローンドルヌ河の南岸を歩くこと数分。
レザンジュ兵の姿もそれなりに目に入ってくる。
ただ、その兵数は北岸の監視兵50と合計しても大した数ではない。
橋梁近くに配備されている王軍兵が全てじゃないとはいえ……。
2000から、ここまで減るものなのか?
それとも、やはり罠?
ワディン騎士を誘き寄せる奸計?
今の段階で判断はできないな。
しかし。
「……」
これは悪くない。
呼び止められたのは誤算だったが、疑われることなくこうして南岸を見て回れるんだ。むしろ、好機だろ。
「こっちだ」
指示に従い、少し奥まった場所に足を踏み入れる。
すると、そこには複数の天幕が。
「着いたぞ」
中でもひと際大きい天幕の前で立ち止まる女性兵。
「入ってくれ」
「……」
通された天幕の中は、思っていたよりかなり広い。
中では数名の兵士が何やら作業を行っている。
俺を呼びつけた女性兵は奥に歩を進め、上座に腰を掛けた。
やはり、この女性は指揮官クラスなんだな。
「さて、時間ももったいないので率直に尋ねたいと思う」
さっそく本題?
まっ、話が早いのは嫌いじゃない。
「君は何者かね?」
ほんと、率直だな。
「何者かと聞かれましても……」
困る。
今の俺の服装は冒険者そのもの。
ダブルヘッドの皮で仕立てたマントは確かに逸品だが、目立たないように加工しているから目立つものじゃない。
外見は普通の冒険者にしか見えないはず。
「……ただの冒険者としか答えようがありません」
「ただの冒険者、か」
「……」
「では、冒険者証を見せてもらおう」
「どうぞ」
「5級冒険者証! 5級だと?」
「そうですが」
「君が5級冒険者?」
また、このやり取り。
面倒ではあるが、懐かしい気もするから不思議だ。
「まさか、初級とは……」
初級云々といえば、王都キュベルリアの冒険者ギルドでの一件。
ヴァルターさんとの模擬試合を思い出してしまう。
あれも厄介だった。
「……」
カーンゴルムで別れたウィルさんとヴァルターさん、元気だろうか?
あの後、無事に用事を済ますことができたのだろうか?
護衛依頼の途中で投げ出してしまったこともあって、どうしても気になるものがある。
今回の一件が落ち着いたら、一度様子を見に行かないとな。
「冒険者証におかしな点はない。つまり、君は正真正銘の5級冒険者」
「ええ、冒険者証の偽造などしませんよ」
「そうか、5級か……」
5級だと問題が?
俺を呼び止めた理由と関係があるのか?
とすると、ワディンは無関係だよな?
いや、しかし、冒険者の階級と橋の通行に関係があるとは思えないぞ。
「ウラハムをここへ」
「はっ」
命令を受けて天幕を出て行く兵士。
「……」
「……」
天幕の中には微妙な沈黙が流れている。
どうにも居心地が悪い。
「5級だと問題でもあるのですか?」
「いや、5級が問題ではない」
「では何が問題なのでしょう? そもそも私がここに呼ばれた理由は?」
「うむ。気を悪くしたのなら謝ろう。我々も冒険者の階級で差別をしたいわけではないのだ」
「といいますと?」
「……君が普通じゃないことが判明したので、少し話を聞こうと思ってな」
「普通じゃない?」
「尋常一様の冒険者ではないということだよ」
どこで判断した?
まさか、俺に関する情報を持ってる?
けれど、それで問題になるようなことは……!
セレス様との関係か!?
「……どういうことでしょう? なぜ、そういうことが分かるのです?」
「詳しいことを民間人に話すわけにはいかぬ、が……。簡単に言うと、我々は強さというものを知ることができる。そういうことだな」
強さを知る?
それは気配察知のようなもの?
確かに、気配を察知できるなら、対象のレベルをある程度測ることも可能だろう。
ただ、今の俺はそういった気配のようなものは消しているんだ。
強さを測ることなんてできないはず。
この状態でも計測が可能だとすると……。
他人のステータスを読み取れる、鑑定のようなスキル?
俺以外にも鑑定者がいるのか?
「……」
いても不思議じゃないな。
この世界には魔法と魔道具、そしてスキルが存在するのだから。
とはいえだ。
強さを読み取って呼び止めたというなら、ワディンもセレス様も関係ない。
そこは安心できる。
「私が力を持っていると判断して、声をかけたのですね」
「……うむ」
「天幕に呼ばれた理由は理解できました。ですが、強さというものに何か問題でも?」
強さが足止めの理由なんて、おかしな話だろ。
「いや、強さ自体に問題があるのではない。ただ、今は君のような強者を自由に通すわけにはいかぬのだよ」
「なぜでしょう?」
「君も知っての通り、現在この地は紛争の最中にある。そんな中、一流の腕を持つ者を簡単にトゥレイズに行かせることはできないからだ」
俺がワディンの雇用した傭兵だと?
それを危惧していると?
「なるほど」
それなら納得できる。
「今回のローンドルヌ河の監視は、トゥレイズへ向かう傭兵の足を止めるためなのですね」
「……そうだな」
「でしたら、私には関係のない話です」
「……」
「私は一流ではありません、5級冒険者ですよ。5級冒険者などトゥレイズは求めていないでしょ」
「……その判断については、今専門の者を呼んでいる」
専門家とは鑑定者?
「少し待ってもらえないだろうか?」
待つのはいいが。
鑑定者が存在するなら、対面は避けたい。
「拒否したら、どうなります?」
「……すすめはしないぞ」
「私はキュベルリアの冒険者です。レザンジュの国民ではありません。それでも?」
「……うむ」
これだけ言っても無駄だということは、素直に従うしかない?
それとも、あれを使うか?
「……」
鑑定なんてされたら面倒だしな。
ここは、やっぱり……ん?
待てよ。
呼び止められた段階で、既に鑑定されているのでは?
とすれば、ステータスも知られている?
いや、それだけじゃない。
名前もギフトも?
異世界間移動のギフトも?
「っ!」
まずい!
異世界間移動はまずいぞ!
俺が異世界人だとばれてしまう。
一気に露見カウントが増えてしまう。





