第330話 ローンドルヌ河 2
<副官トゥオヴィ視点>
今回のローンドルヌ派兵は、上層部が諸手を挙げて賛成したものではない。
むしろ、乗り気ではない者がほとんどだった。
それも当然だろう。
彼らはワディン伯の係累捕縛を重要視していないのだから。南部を制圧すれば全てが終わる。何の問題もないと考えているのだから。
その上、南部侵攻をすら喫緊とは考えていない。
「……」
そんな上層部と作戦本部に、私が何度も上申を繰り返した結果実現したのが今回のローンドルヌ封鎖。
つまり、この作戦の成否に対し、私は大きな責任を負うことになる。
「ふむ、3日だな」
「……」
「私が割ける時間はそれくらいだ。3日後までに何の進展もなければ引き上げることにする」
「千人長!」
「トゥオヴィ殿、これは上官命令だ」
千人長の地位にあるノジンキトと軍監の1人である私は、軍部内における身分としてはほぼ対等。
それでも、今回の任務においては彼の方が上官ということになっている。
「よいかな?」
「……現場の判断で引き上げるのは越権では?」
「ふふ、撤退の判断も任されているのだよ」
撤退の権限が?
責任は私にあるのに、権限はノジンキトに?
ばかな!
そんな話聞いていない!
「分かったか」
「……はっ」
これは、まずい。
何とかしないと……。
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ローンドルヌ河の手前で足止めされること2日。
相変わらず、レザンジュの兵士たちは河の周辺に駐留したまま。
状況に大きな変化は見えない。
このまましばらく様子見を続けるのか、迂回を選択するのか?
皆が気を揉みながら過ごしている。
「こんな河、泳いじまえば早えんだけどなぁ」
「それは難しいって。ローンドルヌは川幅もあるし流れも速いんだぜ」
「ん? アルは泳ぐ自信ねえのか?」
「あるに決まってんだろ。おれひとりだったら泳いでやるさ。でも、全員が泳げるわけじゃないし、荷物もあるから」
「まあ、そうだな」
「それに、水中には魔物だっているだろ」
「……」
そんなことは、ヴァーンも分かっているはず。
が、こうして待機が続くと……。
「で、小舟はどうなんだ? 見つからねえのか?」
「何とか1艘だけ手に入れたらしいけど」
「1つじゃ、厳しいなぁ」
1艘でも使えるのなら、何度も往復することで全員の渡河も理論的には可能だろう。
ただ、時間がかかり過ぎる。
時間がかかると、渡河の途中で王軍に見つかる可能性も魔物に襲われる可能性も高くなる。いや、高くなるどころじゃないな。
なら、船を見つけるまで待てばいいかというと……。
ローンドルヌに敷かれた包囲網の影響で、舟艇の入手は今後も難しいはず。
「仕方ねえ。もうしばらくは様子見だな」
「……」
必然、レザンジュ王軍の撤退を待つという結論になってしまう。
ただ、そうはいっても、いつまでもここに留まることもできない。
俺たちが滞在している村は、それほど大きくないんだ。
そんな村に、いくら商人に扮しているとはいえ冒険者や騎士のような体つきをした者が多数で何日も留まり続けたら……。
あやしいことこの上ない。
早晩、レザンジュ側に気付かれることになるだろう。
やはり、滞在場所を変えるしかない、か。
「仕方ない。鍛錬でもしようぜ、ヴァーンさん」
「そうだな」
「コーキさんもどうだ?」
「いや、遠慮しとく。ふたりでやってくれ」
「了解」
ヴァーンたちに限らず皆が暇を持て余しているようで、鍛錬をする騎士の姿をそこら中で見ることができる。耳に入ってくる熱のこもった声も少なくはない。
各人目立たないように気をつけてはいるものの、これじゃあな。
まっ、商人の護衛たちの訓練ってことになってるんだが……。
そんな村の中。
俺は時間を見つけては幸奈と会話をするようにしている。
が、残念ながらというか、当然ながらというか、まったく手応えがない。
手応えどころか、幸奈は俺と喋っていると頻繁に頭痛の兆候が出てしまうため、長く会話を続けられない状態だ。
前例があるから、周りの騎士たちの目も厳しいものがあるし……。
上手くいかないものだな。
「……」
頭痛は記憶が戻る前兆。
決して悪いことじゃない。
そう前向きに捉えることもできる。
ただ、苦しそうな幸奈を見るのは……。
頭痛で意識を失う姿なんて、もう見たくはない。
それに、無理やり記憶を戻そうとすると、どんな弊害が待っているかも不明だ。
幸奈は単なる記憶喪失じゃない。
オーバードーズと魂替が絡んだ複雑な症状なのだから。
やはり長期戦か。
覚悟せざるを得ないな。
「……」
異世界の幸奈だけでなく、日本も問題だ。
和見家でひとり頑張っているセレス様。
ここでは命の危険がないから大丈夫だと気丈に答えてくれる。
けど、そういう話じゃないだろ。
セレス様を長く放置していいわけがない。
なるべく頻繁に状況を確認すべき。
ということで、昨夜またセレス様に会ってきたのだが……。
「何かあったのですか?」
「いえ、その……少し」
「少し、何があったのでしょう?」
「……」
「セレス様?」
「……実は」
何度か同じ質問をすると、ようやくセレス様が話を始めてくれた。
「異能の関係者が幸奈さんである私に接触してきたんです」
和見の家は異能に関わりが深い家。
異能関係の接触もない話じゃない。
とはいえ、幸奈が異能に目覚めたという事実は誰も知らないはず。
そんな幸奈になぜ?
「どのようなことを?」
「それは、大したことでは……」
言葉に詰まっている。
俺に気を使っているから?
それとも幸奈に?
「こちらの世界に不慣れなセレス様ですから、小事が大事に至る可能性もあります。些細なことでも話してもらえませんか?」
「婚約……」
婚約?
誰が誰と?
「私に、幸奈さんに、異能者と婚約の話があったんです」
「幸奈が婚約を!?」
幸奈が異能者と婚約。
そんな話、前回の人生でもなかったはず。
いや、違うのか?
俺が知らないだけで、前回の幸奈も婚約をしていた?
その可能性も?
「……」
前回の人生。
20歳の俺は、幸奈とは疎遠になっていた。
武志が亡くなった後は特にそうだった。
本来なら、俺が幸奈の力になるべきだったのに。
武志が亡くなった後の幸奈は酷く落ち込んでいたのに。
それを見て見ぬふりをして。
自分に嘘をついて。
ただ鍛錬に明け暮れる生活を送ってしまった。
異世界のことばかり考えて、全てを振り払って。
あの時は……それでいいと思っていた。
「……」
だから、この当時の幸奈の状況を俺は詳しく知らない。
幸奈が何を考えていたのか?
どうやって立ち直ったのか?
それとも、立ち直っていなかったのか?
そんなことも知らない。
俺は……。
それでも。
幸奈に彼氏ができたことくらいは知っている。
あれは確か、幸奈が21歳の時。
俺の知らない男性と付き合い始めたんだ。
その男性が異能者だった?
幸奈は前回の人生でも異能と関わっていたのか?
けど、待てよ。
幸奈はその男性と別れたはず。
別れたよな?
それで、27歳の春に結婚したんだ。
なら、結婚の相手が異能者だった可能性も?
「……」
分からない
分かるわけもない。
過去を、今の俺にとっての未来を、知る術などないのだから。
ただ、あの時……。
もう少し幸奈の話を聞いていれば。
自分のことばかり考えず、幸奈に寄り添っていれば。
違う未来もあったはず。
今の俺にも異なる知識があったはず。
なのに俺は……。
「ですが、そういう話があっただけで、何も進んではいませんから」
「……」
「しばらく婚約の話が進むことはないと思います」
和見家の問題。
幸奈の婚約の問題。
それに関わるのが異世界から来たセレス様。
本来なら、ずっとセレス様の近くにいるべきなんだろう。
傍にいて問題解決に付き合うべきだ。
けど、今の状況がそれを簡単には許してくれない。
ローンドルヌ河の幸奈のもとには多くの騎士がいる。
頼りになるノワールも残してきた。
村に潜伏している限り、ある程度は安心もできるはず。
それでも、レザンジュ王軍が近くに駐留している現状で、あちらに戻らず日本に留まるという選択肢は……。
やはり選ぶことができない。
だから俺は。
「私は平気です。婚約の話なんて問題ありませんよ。だって、この世界では命の危険がないのですから」
「セレス様……」
「コーキさんは気にせずワディンに戻ってくださいね」
その言葉に甘えるしかなかった。
「でも、余裕ができたら……」
「……」
「その時は少しだけ付き合ってほしいです」
「……」
「少しでもこの世界の時間を一緒に……」
そんなこと。
そんなことでいいなら。
「分かりました。約束します」
あっちが落ち着いたら、必ず。
「はい!」
満面の笑み……。
「これで、また頑張れます!」
「……」
悔恨なのか、呵責なのか?
幸奈に対してなのか、セレス様に対してなのか?
今はよく分からない。
ただ。
不甲斐ないことだけは確か。
間違いない。
誰より自分が分かっている。
「それと、もうひとつ話があるんです」
「……何でしょう?」
「コーキさんは壬生伊織という少年を知っていますか?」





