第329話 ローンドルヌ河 1
「ローンドルヌ河周辺にレザンジュ兵が集まっております」
息を切らせながらルボルグ隊長の前に駆けつけた斥候。
「今は大橋が封鎖されている状況で」
その報告に、ワディン騎士たちの弛緩していた空気が一変。
張り詰めていく。
「数はどれくらいだ?」
「……およそ2000。2000のレザンジュ兵がローンドルヌ大橋を封鎖しています」
「2000!?」
「本当かよ」
「大橋に、そんな数が!」」
動揺を隠せない騎士たち。
ルボルグ隊長の顔色も変わっている。
「間違いないのだな?」
「……はい」
隊長の前で片膝をつく斥候。
彼を見つめる騎士たちの視線は厳しい。
「詳報は夕刻までに後続が」
「そうか」
「「「「「……」」」」」
「「「「「……」」」」」
トゥレイズに行くためにはローンドルヌ河を避けては通れない。
河に架かる唯一の橋、ローンドルヌ大橋が閉ざされたとなると……。
「隊長、トゥレイズへの道が封鎖されたのですね?」
「……そのようです。もちろん、後報を聞くまでは断定できませんが」
確かに、まだ断定できる段階じゃないか。
とはいえ、今の報告を聞く限りでは、好ましい続報は期待薄だ。
「この後、私たちの進路はどうなるのでしょう?」
「申し訳ありません、セレスティーヌ様。進路についても、詳細を聞いてからの判断になるかと」
「……」
「いや、詳報を待つまでもねえだろ。2000の敵兵がいることは事実なんだ。2000はさすがにキツい」
「ヴァーンさん、それでは?」
「この状況で大橋を渡るのは賛成できないってことですね」
「……」
「わたくしもこのまま進むのは危険だと思います」
「ディアナさんも」
「わたしもです」
「おれもです」
「俺もそう思います」
ヴァーン、ディアナに続き、渡河反対の声を上げるワディン騎士たち。
声に出さなかった騎士の大半も頷いている。
「皆さんも、今すぐの渡河には反対を?」
「「「「「「「「はい」」」」」」」」
そうだよな。
今は大橋を渡らず、様子を見るべきだよな。
「ヴァーンさん、河を渡らない場合、他の選択肢はありますか?」
「俺にはこの辺りの土地勘はないので、一般論になりますが」
「ええ」
「待つか、戻るか、迂回するか。三択でしょうね」
「待て! 我らはトゥレイズで閣下に合流せねばならん。戻るという選択肢はない」
即座に異を唱えたのは、ディアナさん。
その意見に騎士連中が賛同している。
「なら、二択か」
「ああ」
待つか、迂回するか。
無難な二択だが、それでいい。
「セレスティーヌ様は、何か希望はございますか?」
「わたしは……わたしも父のもとに向かいたいと思っています」
「……承知いたしました」
「隊長さん?」
「戻るという選択肢は消しましょう」
「では?」
「トゥレイズに向かいます。ただし、しばらくは付近の村で様子を見るのが良いでしょうね」
「迂回ではなく待機なのですか?」
「ローンドルヌに架かる橋はこの大橋のみです。そこを避け迂回するとなると、小舟を確保するか、泳ぎ渡るか。いずれにしても、この一団での渡河は簡単ではありません」
「……」
「迂回しての渡河には十分な準備が必要となります」
「十分な準備が?」
「はい。ですので、迂回の用意をしつつ様子を見るのがよろしいかと」
「……分かりました。隊長さんの考えに反対の方は?」
反対の声をあげる者は、いないか。
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<ローンドルヌ駐留軍副官トゥオヴィ視点>
ローンドルヌ河には、現在2000名の王軍が駐留している。
目的はふたつ。
ワディン残党の渡河を防ぐこと。
そして、辺境伯に連なる者を捕縛すること。
「トゥオヴィ殿、本当にワディンの貴顕がここにやって来るのか?」
「その可能性は高いでしょう」
トゥレイズに逃れたであろう辺境伯を追って、その親族が大橋に姿を現す可能性は決して低くない。
「ワディン攻略後、消息不明である辺境伯の一門がまだ生きていると?」
「私はそう愚考しております」
辺境伯夫人とその長子。
彼らが生きているという事実の確認は取れていないが、いくつかの情報は入手している。
そこから考えるに……。
「ふむ。彼らが生き長らえているとして、今さらではないか。南部に向かうつもりならば、彼らは既にこの橋は渡っておろう」
「いえ、まだローンドルヌは渡っていないはずです」
「言い切れるのか?」
「断言まではできません。しかし、私の得た情報では」
「全ては貴君が得た情報次第」
「……」
「正確な情報であれば良いのだがな」
不機嫌を隠そうともしない、か。
この地にやって来た当初は不平も言わずローンドルヌ河周辺の見張りを続けていたノジンキト千人長。何の手掛かりも掴めない数日を過ごしたことで、ローンドルヌ駐留に嫌気がさし始めたのだろう。
「このままでは徒労に終わってしまうぞ」
「そんなことにはなりません」
ワディンの者はやって来る。
入手した情報と私の経験から、ほぼ間違いないと今は考えている。
「断言もできぬのに?」
ただ、この男の前で断言することは……。
「不確かなことばかり口にするのは止めた方がいい」
「……」
「ふっ、貴君のおかげで苦労させられる」
ワディン領都ワディナート征圧に成功し、現在は領都を中心とした旧ワディン領の統治に専念している王軍。
そんな王軍の次なる目標は、いまだ反抗を続けるワディン南部の征圧。
そして、辺境伯と彼の係累の捕縛になるだろう。
黒都カーンゴルムからの逃走後、ワディン辺境伯は南部のトゥレイズに入ったと考えられている。
つまり、南部の征圧に成功すれば目的の大半を達成することに。
「……」
ただし、南部ワディン領侵攻については先になるはず。
領都周辺の統治がある程度進むまで侵攻はしないというのが、王軍上層部の基本方針だからだ。
時間を置かずに攻めるべき。
そういう意見が増えてきたという話も耳にする。
だからといって、今すぐ南部侵攻が始まるとは思えない。
「エリシティア様子飼いのトゥオヴィ殿には関係ないことであろうが、我々軍人は手柄を立ててこそ。こんなところで無駄に過ごして良い時間などないのだよ」
「……エリシティア様は関係ありません。今回のことは、すべて私が考えたことです」
「ふむ、貴君ひとりでか?」
「はい」
エリシティア様不在のこの地で、簡単に失敗などできない。
特に、今の王家は微妙な状況だ。
そんな時に、第一王子派のノジンキト千人長の前で失態を演じて、王女様の名を汚すわけには!
「となると、責任も君ひとりが取ることになるな」
「……分かっています」
「分かっているのならばよし」
本当に嫌な笑いを浮かべてくれる。
これだから、王子派は……。
「あと少しだけ付き合ってやろう」
「はっ」
「しかし、神娘のいない辺境伯の類縁か」
「……」
「大した価値はないのだがなぁ」
確かに、それは否定できない。
神娘の存在は、今回のワディン侵攻の重要な誘因だったのだから。
神娘が亡くなっている現状。
かの一門の価値はかなり下がっている。
とはいえ、価値がまったくないわけでもない。
殊に南部征圧前段階の今は。





