第327話 暗雲
「コーキ、おい、コーキ!」
「ん、何だ?」
「何だじゃねえぞ。おめえは、すぐ自分の世界に入っちまう」
「……」
「たまにそうなるよなぁ、コーキさん」
「わるい。で、何か話か?」
「今後について、そろそろ話しておこうと思ってよ」
「今後とは?」
この後の予定は、セレス様を護衛してトゥレイズまで南下すると既に決まっている。
それ以外に話すことなど、今は特にない。
「トゥレイズまで護衛した後についてだ」
「ああ、なるほど……」
それは、まだ話し合ってなかったな。
「コーキは、どうするか決めてんのか?」
決めるも何もない。
再度の魂替が終わるまでは、セレス様というか幸奈から離れるつもりなんて俺にはないからな。
幸奈の記憶が戻って魂が入れ替わるまでは、なるべく幸奈の近くにいるつもりだ。
もちろん、日本とこちらを行き来することになるとは思うが、こっちの深夜に異世界間を渡って翌朝には戻るつもりだから、特に問題はないだろう。
「トゥレイズ到着後もセレス様に付き合うかな。ヴァーンはどうする?」
「俺もしばらくは付き合うぜ」
シアもいるし当然か。
「頼りにしてるぞ」
セレス様には、多くのワディン騎士が仕えている。
皆エビルズピークを越えてきた精鋭なので、頼もしい騎士たちばかりだ。
とはいえ、ヴァーンがいてくれると俺の心持ちが違う。
安心して日本に戻れるってもんだろ。
「そりゃあ、こっちのセリフだなぁ」
「ホント、コーキさんがいると気が楽になるよな。でも、おれもいるんだからさ。ふたりとも忘れないでくれよ」
「もちろん、アルにも期待してんぞ」
「ああ、今のアルは頼りになるからな」
「へへへ、任せてくれ」
翌日。
領境で別れていた領兵が合流し、さらにワディナート近郊に潜伏していた者たちも加わり大人数になったセレス様一行。予定通り、南部ワディン領トゥレイズに向けて出発することになった。
人数が増えたこともあり、複数の集団に分かれて商人に扮することになった俺立ちの南部行だったが、こちらもエビルズピーク後の旅路と同様に大過なく進み……。
拍子抜けするくらい楽な歩みの後に、トゥレイズまですぐという地点に到着することができた。
「これ、ちっと緩んでねえか?」
「ヴァーンもそう思うか」
「一目瞭然だろ」
その通り。
エビルズピーク、テポレンでは緊張感に満ちていた皆の雰囲気が、今は微塵も感じられない。
「まっ、ここまでは楽な旅だったから仕方ねえ面はあるけどよ」
「確かにな」
とはいえ、まだ目的地に到着したわけじゃない。
ここからトゥレイズまでの間に何が起こるか分からないんだ。
油断はしない方がいい。
「隊長も分かってんだろうが、一応話しておくか」
「ああ」
杞憂に終わるなら、それはそれでよし。
何も起こらないのが最良なんだからな。
そんな俺たちの心配が現実化してしまったのは、この日の午後のことだった。
「隊長! ローンドルヌ河周辺にレザンジュ王軍の兵たちが集まっております」
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<セレスティーヌ視点(姿は幸奈)>
「今日は楽しかったね」
「ええ、本当に」
「お昼もケーキも美味しかったし、いい買い物もできた。何より、ゆきちゃんも笑顔だからね。言うことなしだよ」
「……」
「かなは、また幸奈を困らせて」
「ええぇ、わたし変なこと言ってないよ。だよね、ゆきちゃん」
「……うん、変じゃないよ。ありがと、かなちゃん。それに、永理ちゃんも」
「ほっらあ!」
「……まあ、幸奈がいいなら私はいいんだけど」
「もう、永理ちゃん、かたすぎ! もっと笑顔だよ」
「かな……」
今日は半日も出かけてしまった。
幸奈さんの友達のかなさん、永理さんと一緒に昼食に買い物にお茶と。
半日を満喫してしまった。
本当に楽しくて素敵な時間。
「……」
私には、友達と一緒に街で遊んだ経験がないから。
知らなかった。
こんなに素晴らしいことだったなんて……。
だから、不安や焦りを忘れて、全て忘れて。
この時間を心から楽しんで。
「……」
いいのだろうか?
この世界で私が、こんな思いをしても?
コーキさんの言葉で、吹っ切れたと思っていたのに……。
あまりに楽しすぎて、また考えてしまう。
「ゆきちゃんの買ったあの服、とっても似合ってたよ。今度お出かけの時に見せてね」
「えっ? ……うん」
「そうだ。あれを着てDランドに行こうよ」
「いやいや、ランドに行くなら、もっとラフな格好がいいって」
「大丈夫だよ。ゆきちゃん似合ってるんだし」
「似合ってるとか、そういう問題じゃないから」
「でも」
「でもじゃない」
「う~~」
本当に、このふたりからは元気をもらっている。
とっても新鮮で嬉しい素敵な感情。
この世界に来て良かったと感じてしまう。
だから、今は。
今だけは……。
考えるのを休んで、この時間を享受しよう。
いいよね?
幸奈さん、コーキさん。
「ゆきちゃん、今日はもうお別れだね」
ふたりとの別れの時間。
もうそんな時間。
「じゃあな、幸奈」
「……永理ちゃん、かなちゃん、またね」
「うん、うん、また遊ぼうね」
楽しい時間の後は、和見家の時間が待っている。
分かってはいても、家に近づくにつれ足取りが重くなってしまう。
「はあ……」
この重さは私なのか、幸奈さんなのか。
どっちなんだろ?
今はもう、よく分からない。
「……」
それでも。
ここ数日の和見家は穏やかなものだった。
父の干渉がないと、こうも静かになるんだと驚くくらい。
だから、今日も夕食の時間だけ我慢すればいい。
後は自室で平和に過ごせるはず。
そんな思いで玄関を抜けたところ。
「幸奈、こっちに来なさい」
応接室から命令口調で声をかけてくる父。
「……」
この時間、この場所で呼び止められることなんて滅多にないのに?
不吉な想像が頭に浮かんでくる。
嫌な予感しかしない。
「何をしている。早くするんだ!」
入りたくない。
でも、ここで無視すると後で大変なことになってしまう。
だったら、もう。
頑張るしか……。
ガチャッ。
父の言葉に従ってリビングに足を踏み入れる。
すると、そこには。
「遅いぞ」
不機嫌そうな顔をした父と。
「あの日以来ね、幸奈さん」
「壬生さん!」
異能者壬生女史が、いつものように黒衣に身を包んで父の隣に座っていた。
得体の知れない笑顔を浮かべて……。
「お元気かしら?」
決別宣言をしてから、まだ数日しか経っていない。
それなのに?
わずか数日、たった数日で。
父は壬生さんを呼んで、私に異能を?
「……」
信じがたい事実を前に湧き上がる憤りが、不吉な想像を上書きしていく。
「ふふ。その表情、元気そうね」
応接室のソファーに腰掛けているのは父と壬生さん、それに長身の青年。
さらに、壬生さんの後ろには少年がひとり立っている。
母と武志君の姿は見えない。
「あなたには聞きたいことが沢山あるのだけれど」
「……」
「まずは、紹介しましょ。こちらは幸奈さんもご存じの通り」
壬生さんの隣に座っている長身の男性。
確かに、幸奈さんの記憶の中に存在する。
「壬生さんのお兄様?」
あの地下室で、15歳の幸奈さんを苦しめたふたり目の異能者なの?
「ええ。壬生の長兄になりますわね」
「君と会うのは、5年ぶりになるかな」
ソファーから立ち上がる長身男性。
こちらに視線を投げてくる。
間違いない。
あの異能者だ。
「……」
会いたくなかった。
思い出したくなかった。
でも、またこうして。
父のせいで。
「随分と成長したものだ。ふふっ、見違えたよ」
粘度のある視線で舐めるように私を眺めてくる。
気持ちが悪い。
「異能はさっぱりなのに、体だけは成長したからな」
「和見さん、それは失礼ですよ。幸奈さんには、先日素晴らしいものを見せてもらったじゃないですか」
「あれは……」
壬生兄がここに来たということは、また異能?
記憶の中にある、あの異能を私に?
壬生さんだけじゃなく、兄まで呼び寄せて?
「……」
分かっていた。
父が考えることなんて、そんなものだと。
でも、こうして現実になると……。
抑えるのが難しくなるほどの激情。
ワディンの神娘にふさわしくない感情が!
と、さらに!
「!?」
私の激情とほぼ同時に目を覚ます感情。
これは幸奈さんの感情?
拒否反応?
「っ!」
待って、幸奈さん。
大丈夫。
私が一緒にいるから。
一緒に戦うから。
それに、応接室では異能など使わないはず。
今ここでは何もしないはず。
だから、ね。
「幸奈さん、どうかしたのかしら?」
「……」
「さっきの威勢が見えないのだけれど?」
大丈夫。
もう落ち着いてきた。
「何も問題はありません」
「そう? なら紹介を続けましょうか」
あとひとり。
壬生さんの後ろに少年がいる。
幸奈さんの記憶の中を探っても、見つけることができなかった存在が。
「後ろに立っているのは」
壬生さんがわざわざ連れて来るのだから、異能関係者だとは思う。
でも、こんな幼い少年が異能を?
今も興味無さそうに俯いているのに?
「私の弟、伊織ですわ」
「……」
帽子を被って下を向いたまま、壬生さんの紹介に反応もしない。
彼が壬生さんの弟。
壬生伊織少年……。





