第325話 鍛錬
<ヴァーンベック視点>
「朝からいい汗かいたな、アル」
「……」
「どうした? 浮かねえ顔して」
「……まだまだだと思ってさ」
朝の鍛錬を終えた俺とアル。
どう見ても悪くない動きだったのに、この様子。
「不満か?」
「ああ」
頬を伝う汗をぬぐうこともせず、手に持った剣だけを見つめている。
その眼は真剣そのもの。
「……」
ほんと、アルも成長したもんだ。
この姿を見たら、ギリオンも喜ぶだろうよ。
一応、アルの師匠だからなぁ。
というか、あいつ。
王都に行ったきりか?
今どこにいるんだ?
もうオルドウに戻ってる?
こっちはギリオンが戻る前にオルドウを出たから、状況がまったく分かんねえ。
あいつなら、大丈夫だとは思うが……。
まっ、あっちも俺たちの動向については見当もつかねえだろ。
エビルズピーク、テポレンを越えてワディン領にいるなんてこたぁ、夢にも思わねえだろうぜ。
はは、俺自身でもこの展開には驚きなんだからよ。
「……」
オルドウを出て、黒都カーンゴルム、エビルズピーク、テポレン山か。
思い返せば長い旅路だな。
よくここまで無事に辿り着けたもんだ。
考えれば考えるほど、感慨が押し寄せてくる。
とはいえ、旅はまだ終わってねえ。
ここからが本番だってな。
で、今はテポレン山の東。
距離的にはオルドウからそう離れていない、ワディン領の村に俺たちは滞在している。
テポレンを挟んで、西のオルドウとは反対に位置するこの村。
レザンジュ王軍の監視が厳しいかと思っていたが、意外なことにそうでもなかった。
おかげで、久々に屋根のある部屋で休むことができたってわけだ。
この村は領都に近いだけあって、都市といっても良いほどの規模を誇っている。
商人、冒険者といった村人以外の者の姿もかなり目につく。
紛争の最中だからか、平常時以上の人出なのかもしれない。
つまり、ここは潜伏するにはうってつけの村というわけだ。
そうは言っても、セレス様を護りながらの忍び旅。
俺たちはなるべく目立たないように行動しなきゃいけねえ。
ということで、宿泊も複数の宿に分かれることになった。
もちろん、アルとコーキは同宿同室だな。
「おれの腕なんて未熟なもんだって、分かっちゃいたけどさ」
「……」
「今回は、これでもかってくらい思い知らされたから……」
宿の裏庭での早朝鍛錬。
エビルズピークやテポレンではできなかった鍛錬を久々に終えたアルは、相変わらず悔しさを隠そうともしていない。
「コーキさんの戦い」
「……」
「あれを見てるとさ、何というか」
なるほど。
「コーキは別格だろ」
「それは、おれも分かってる。けど」
まあなぁ。
アルの思いも分かる。
剣士の気持ちは簡単じゃねえんだよな。
心ってやつは、難しくて厄介なもんだぜ。
そうは言っても、ものには程度、頃合いってものがある。
アルはまだ若いんだ。
「焦る必要はないぞ」
「……」
「ところで、あいつまだ戻ってねえのか?」
「コーキさん、外に鍛錬に出かけたんだろ?」
「ああ、2刻頃に宿を出て行ったな」
「そんな早い時間から」
ほんと、疲れ知らずなやつだぜ。
「あんな遥か高みにいるのに……。おれももっと頑張らないと」
溜息を止め、剣を手に取るアル。
その眼は気合のこもった眼差しに変わっている。
「……」
こいつも向上心の塊だよな。
コーキもアルも大したもんだ。
とはいえ。
「アルもしっかり鍛錬してるじゃねえか」
「半刻動いただけで、このざまだし。コーキさんに比べたら全然だ」
朝から半刻の間、休まずに集中して鍛錬すりゃあバテるのも当然。
コーキは……。
「あいつは、ちょっとおかしいんだって」
「……」
「考えてもみろよ。あの怪物との死闘から間もねえのに、夜明け前からこんな時間までずっと鍛えてんだぞ。あり得ねえわ。真似してると身体を壊しちまうぜ」
「だけど……だからだろ。おれも負けてらんねえから」
その気持ち、よく理解できる。
というか、俺も同じ気持ちだ。
コーキを見ていると、そんな風に思っちまうからな。
けどよ、無理は禁物なんだぜ。
いきなり、コーキの真似なんかできるもんじゃねえ。
真似した日にゃ、間違いなく不調をきたしちまう。
それに、今は大事な旅の途中だ。
鍛錬の強度を上げるにしても、落ち着いてからにしねえとな。
「もっと鍛えないと駄目なんだ」
「程々にしとけよ。山を下りても、俺たちはまだ護衛の途中なんだぞ」
「……分かってる」
アルも馬鹿じゃねえ。
自分の限界くらい弁えてるか。
「しっかし、コーキは遅せえなぁ」
2刻に宿を出て、今はもう5刻。
どんだけ鍛錬してんだって話だぜ。
「何かあったんじゃ?」
「あいつに限って問題なんかねえよ。エビルズピークの悪魔みてえなやつが、そうそういるわけねえしな」
領都ワディナートの近くにそんな怪物がいたら、今頃は大事になってんだろ。
「鍛錬を終えて何かしてんじゃねえか。また、人助けとか」
「コーキさんなら、ありそうだ」
「だろ。あいつはお人好しだからなぁ。まっ、そのおかげで、俺もおめえもこうして生きていられるんだけどよ」
「……」
「とはいえだ。そろそろ帰って来ると思うぜ」
俺たちは今、この村で今後の方針を決めるために待機している。
領都の様子に辺境伯の動向。
そんなものを調べた上で、行動を決定する必要があるからだ。
状況次第で、領都ワディナートに入るか離れるか。
それを決めなきゃいけねえ。
「今日は宿から出ることもないだろうし、コーキさんが戻るのが遅くても問題ないか」
その通り。
何も慌てることはねえ。
「俺たちが宿を出るのは早くても明日の朝。まったく問題ねえな」
「早くても明日……」
「場合によっては、明後日かさらにその後になる」
「久々に時間ができたってことか……」
「そういうことだ」
「何だか妙な気分だなぁ」
確かに。
ここまでの旅は急いでばかりだったから、どうにも勝手が違う。
妙な癖がついちまったもんだぜ。
「明日か明後日、領都で無事に辺境伯様と合流できればいいんだけど」
「ああ」
この村を見ても分かるように、レザンジュ王軍の動きは思ったほどじゃねえ。
ワディナートでもこの調子なら、想定以上に簡単に合流することも。
しかし……。
「レザンジュは何考えてんだ? レザンジュ国民としてアルはどう思うよ」
「おれはもうレザンジュ国民のつもりはない」
「そうだったな。で?」
「……王家のやつらの考えていることは分からない。けど、辺境伯様の捜索に力を入れていることだけは確かだと思う」
「その割には、テポレン山を下りてから王軍の兵に遭遇しねえじゃねえか」
「この辺りに辺境伯様はいないという情報があるんだろ」
「なるほどな」
「セレス様については……探していないような気がする」
「だったらありがてえが、王軍がワディンの神娘を無視するとは思えねえぞ」
「剣姫への依頼も辺境伯様の捜索だけだったろ。それに、ここまでのレザンジュの動きもセレス様を探しているようには見えない」
「確かに……」
「ただ、どうしてセレス様を探していないのか?」
逃走を許しちまった辺境伯の捜索に血眼になるのは納得できる。
だからといって、セレスさんを軽視する理由が分からない。
理由があるのかどうかも定かじゃねえ。
それでも、明確な理由があるのだとしたら?
「……セレス様の生存を疑っているのかもしれない」
「どういうこった?」
「セレス様がテポレン山を越えてオルドウにやって来たあの日。王軍はセレス様を追跡していたはず」
詳しくは知らねえが、そうなんだろうな。
「で、セレス様はコーキさんに助けられなかったら生き延びることはできなかったと。本当に危なかったと、口にされていた」
「……」
「なら、王軍の上層部はセレス様がテポレン山で亡くなったと勘違いしている可能性もあるだろ?」
「そいつは、可能性どころじゃねえぞ」
コーキに助けられたというテポレン山での経緯については詳しく聞いてねえが、アルの言う通りなら。
「その線が濃厚だ」
「おれも、そう思う。もちろん、本当のところは分からないけど」
「本当のことなんて分かるわけねえんだ。ただ、この状況は悪くねえ。この推測だけで十分だぜ」
「ああ」
となれば、俺たちはやれることをやるだけ。
今は情報が集まるまで待機。
そして。
「鍛錬を続けるか?」
「おう!」
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<和見幸奈視点(姿はセレスティーヌ)>
「ルボルグ隊長、父はワディナートにはいない。そういうことですか?」
「はい。閣下は領都ワディナートには立ち寄らず、南に向かわれたようです」
「南……」
「おそらく、南部のトゥレイズに」
「トゥレイズ……」
「セレスティーヌ様、トゥレイズはワディン領南部の基幹都市になります」
「ありがとう、ディアナさん」
知識として知っているはずなのに、すぐに頭に浮かばない。
相変わらずの調子……。
「いえ」
「領都は王軍の兵で溢れており、監視の目も厳しいものがあります。閣下がいない現状では、我々もトゥレイズに向かうべきかと」
トゥレイズで父に合流して、王軍に対抗する。
隊長も皆さんも、ワディンの者は同じ意見のよう。
もちろん、私に異論はない。
ただ。
「コーキさん、ヴァーンさんは、どう思います?」
「俺も賛成ですね。今ワディナートに入る意味はないと思いますから」
「私も同じ考えです」
ふたりとも賛成。
ということは、全員が同じ。
それなら。
「分かりました。では、明日早朝にここを発ち、トゥレイズに向かいましょう」
「「「「「はっ!」」」」」
「「「「「承知しました」」」」」
皆さんが一様に頷いてくれる。
これで方針は決定した。
「……」
目的地は少し遠くなったけれど、ここまで来たのだから大丈夫。
みんなと一緒なら、無事にトゥレイズにたどり着くことができるはず。





