第324話 理解
<セレスティーヌ視点(姿は和見幸奈)>
「忘れるわけありませんよ。ねえ、セレ……幸奈」
えっ?
「……はい、決して忘れません」
ここで過ごした時間は、幸奈さんの記憶の中でも特別なものだ。
特にコーキさんとの会話は一際鮮烈で、幸奈さんの思いを知っている私にとっては赤面するくらいの記憶になっている。
こちらが恥ずかしくなるくらい楽しくて幸せな記憶。
忘れるわけがない。
「はは、ありがとうね。でも、ふたりとも元気そうで良かった」
「はあ、まあ何とか」
「うんうん、何よりだ。で、いつものでいいかい?」
「はい、俺はホットで。……幸奈は?」
「私は……アイスコーヒーを」
「うん? 幸奈ちゃん、少し雰囲気が変わったね」
「っ!?」
「ちょっと大人びたというか、何というか」
「……」
「マスター、早く飲みたいんだけど」
「ああ、了解したよ」
そう答えて厨房に戻っていくマスター。
コーキさんが気遣ってくれたんだ。
「助かりました」
「いえ、私は何もしてませんよ」
「そんなことないです」
あなたの言葉は私を助けてくれるから。
今回だけじゃなく、いつも。
「……」
でも、珈紅茶館のマスター、私の雰囲気の違いに気付くなんて。
もっと気をつけないと。
「それで、私がいない間に何か問題はありませんでしたか? 今のように疑われるようなことは?」
「問題は……」
大きなことから些細なことまで、色々とあったけれど。
何を話していいのか?
幸奈さんが秘密にしたがっていることばかりなのに。
「ああ、すみません。慣れない世界ですから、問題くらいありますよね」
「いえ……」
「慣れない環境で、セレス様は御自身のことだけでも大変ですのに、幸奈のことも色々と考えてくださっている」
「それは……」
「本当にありがたいことです」
違う。
そんなことない。
結局私は自分のことばかり。
幸奈さんのことを考えていても、最終的には自分のことを考えてしまうのだから。
「ただ、これだけは忘れないでください」
「はい?」
「今ここで暮らしているのは幸奈ではなく、セレス様だということです」
幸奈さんではなく私……。
「どうか、御自身の心身を優先して過ごしてくださればと」
「……」
コーキさんの優しさに触れ、感謝の気持ちばかりが込み上げてくる。
こんな言葉では、まったく足りないけれど。
せめて一言だけでも。
「……ありがとうございます」
「いいえ」
ほんと、ありがとうの一言じゃ伝えきれない。
「とまあ、そういうことですので、気になることがありましたら何でも話してくださいね」
コーキさん……。
優しいその言葉に甘えたくなってしまう。
だから、つい。
「実は、父の幸奈さんへの態度がちょっと……」
口から出てしまった。
「幸奈の父親については、武志からも少し話を聞いています」
えっ、武志君が?
どんなこと話したんだろう?
「セレス様、まさか何かされました?」
「……」
何かというレベルじゃない。
「少し……好ましくないことがありまして」
コーキさん、すごく真剣な顔。
ちょっと怖くなるくらいの雰囲気だ。
こんな表情、見たことがない。
私も、幸奈さんも……。
「話してもらえませんか?」
「……」
できることなら、私も話したい。
少しでも話した方がいいと思う。
けど。
「っ!」
私の中の幸奈さんが、反応している!
コーキさんに知られたくないって!
「セレス様?」
「……何でもありません」
「……」
「あの、それと、ごめんなさい。好ましくないことはあったんですけど、もう解決しましたので」
「話せないのですね」
「……今回は解決済みです」
おかしなことを言っているのは分かっている。
けど、今は……。
それに、解決したというのも嘘じゃない。
あれ以来、父は何も言ってこないのだから。
「……」
「……」
「分かりました。今回はそういうことにしておきましょう」
ありがとう、コーキさん。
「ただし、今後何かあったらすぐに教えてくださいね。あの父親に問題があることは確かなようですし。何より、幸奈が入院する原因を作ったのは和見の父だと私は思っていますので」
その通りです。
正解です。
「……」
事情を少しでもコーキさんに知ってもらいたい気持ち。
幸奈さんの思いを無視できないという気持ち。
相反する2つの感情で、心と頭がいっぱいになってしまう。
ただ……。
話そうと思っても私の口から言葉は出せない。
幸奈さんの強い意志に抗うことなんてできないから。
口が動かなくなるから。
「本当に、すぐにお願いしますよ」
「……はい」
「それと、今後の状況次第ですが……、セレス様に私の部屋に住んでもらうことも考えています」
えっ?
コーキさんの部屋?
幸奈さんが料理を作った、一人暮らしの部屋?
あの部屋に私が住むの?
驚きの提案に、頭が一瞬で真っ白に……。
「まあ、今すぐという話じゃないですけどね」
今すぐじゃない?
いいえ、すぐでもいい。
私が決めていいなら、今からでもコーキさんの部屋で暮らしたい。
「それで、父親の件以外に何か問題はありませんでしたか?」
一緒に住む話は終わったの?
「……」
「なければ良いのですが」
他の問題……。
地下室の件は話せない。
先日のことも話せない。
そうなると、今話せることは……小さな問題だけ。
「あの、幸奈さんの友人から一緒に出掛けようと誘われました」
「友達と一緒に外出ですか?」
「はい。こういう場合、どうすれば良いのでしょう?」
「セレス様のお考えは?」
「相手は幸奈さんの友人ですし、私が勝手なことをするのも……。それに、私が幸奈さんではないと気づかれるかもしれません」
「誘いを断るつもりだと?」
「……今はそう考えています」
「セレス様の頭の中には、その友人についての知識もあるんですよね?」
「知識はありますけど、上手く振る舞えないことが多くて」
「なるほど……。病み上がりで本調子ではないと言えばどうです?」
病み上がりと言えば……。
大丈夫なのかな?
「セレス様なら友人と外出されても問題はないと私は思いますよ」
「……」
正直、上手く対応する自信はない。
でも、コーキさんが信じてくれるなら。
勇気が湧いてくる。
ただ……。
「私だけ楽しんでも良いのでしょうか? コーキさんも、幸奈さんも、みんなも大変な時に?」
「セレス様もこちらで苦労されてるじゃないですか」
「……いえ」
「見知らぬ世界で、ひとり頑張ってます」
「……」
「それに、頑張っているのは今だけじゃありません」
「……」
「これまでも沢山の努力をされて、大変な目にも遭われてきました」
そんな!
「カーンゴルムでも、テポレン山でも」
そんなこと言われると!
「もちろん、それ以前もです」
ああ……。
「セレス様はずっと頑張ってこられました」
「……」
コーキさんが私のことを理解してくれる。
努力を認めてくれる。
「あなたは充分努力されました。少しくらい休んでも罰は当たりませんよ」
……嬉しい。
努力を、苦労を理解してもらうことが、こんなに嬉しいなんて!
コーキさんに認められることが、こんなに!
「ですから、セレス様がもしこの世界を楽しめるなら、楽しんでもらいたい」
「……」
「セレス様には、その資格がありますから」
駄目。
涙が出てきそう。
「私は心からそう思います」
コーキさん……。
言葉が出てこない。
だって、こんな気持ち。
何て言ったらいいのか、分からないから。
でも、これで!
私は頑張れる!
まだまだ頑張れる!
楽しむことも!
「……いきなり変なこと言ってすみません」
「変じゃないです!!」
「そ、そうですか」
「はい!!」
「……」
あっ。
やってしまった。
こんな場所で大声を出してしまった。
恥ずかしい……。
「とにかく私としては、セレス様には身体を休めてもらいたいですし、楽しんでもらいたいとも思っていますよ」
「……はい」
「しばらくワディンには戻れそうもありませんし」
「えっ?」
「申し上げにくいのですが……。セレス様には、しばらく日本で生活してもらうことになりそうです」
それは、つまり?
「幸奈さんに何か? あちらで何かあったのですか?」
「……今の幸奈は力を使える状態にありません」
「異能を使えない?」
「その通りです」
「……」
それは、魔力的な問題?
あるいは?
「まずは、これまでの経緯を説明させてください」
そうだ。
幸奈さんたちの話を聞かないと。
「ぜひ、お願いします」
「その前に、コーヒーがきましたね」
「あっ、はい」
マスターがこっちに向かって来る。
「お待たせ。ホットとアイスに、これはおまけかな」
テーブルの上には小さなお菓子。
綺麗で繊細な生菓子が、儚げに佇んでいた。





