第323話 楽しみ
<セレスティーヌ視点(姿は和見幸奈)>
「私とふたりじゃ、嫌なわけ?」
「えっ、違う! ふたりでも嬉しいよ!」
「……」
「でもさ、ゆきちゃんともカフェ行きたいんだよぉ。分かるでしょ」
「……まあね」
そう言って私を見つめるふたり。
そんな顔をされると、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
彼女たちふたりに対しても、幸奈さんに対しても。
「……本当にごめんなさい。次は、行けると思うから」
だからつい、こんなことを言ってしまった。
「ホント?」
「……ええ」
後悔しても、もう遅い。
「やったぁ、約束だよ。どこ行こうかなぁ~~」
「……」
けど、こんなに喜んでくれるなら。
少し頑張ればいい、かな。
そうね。
私が頑張ればいい。
正体を知られないように、仮面がはがれないように。
気をつければ大丈夫。
和見の父や壬生さんに比べれば、これくらい平気だ。
「……」
父と壬生さん。
あの夜以来、何も言ってこない。
不自然なくらい沈黙している。
このまま何もなく、事が終わってくれればいいのだけれど……。
もし何か良くないことが起きるのなら。
私がこの世界にいる間にしてほしい。
自分で蒔いた種は自分で刈り取りたいから。
幸奈さんに任せるわけにはいかないのだから。
「……」
でも、私はいつまでここにいるのだろう?
幸奈さんの姿のまま。
コーキさんも戻ってこない、この世界で?
もし、このままコーキさんが戻って来なかったら……。
私はひとり。
本当の私を誰も知らない世界で、ひとり生きていく。
義務も責任も放棄して、ひとりで。
全てを捨てて、全てに捨てられて……。
そんな!
想像するだけで、とんでもない不安が押し寄せてくる!
誰にも知られない孤独。
誰にも話せない孤独。
何もできない私。
世界に見捨てられた私。
痛い。
胸が痛い。
「……」
「……」
「……」
違う!
そんなわけないわ!
コーキさんは、きっと戻って来る。
トトメリウス様もローディン様も私を見捨てたりしない。
私はワディンに戻ることができる。
神娘として、ワディンへ。
みんなのもとへ必ず!
だから、不安になっちゃ駄目。
そんなこと考えちゃ駄目。
自分を信じて、コーキさんを信じて、トトメリウス様とローディン様を信じて!
私は頑張るだけ!
「……」
けど、コーキさんがここまで戻って来ないのは?
やっぱり、何かあったんじゃ?
あちらの世界のコーキさんに、幸奈さんに何かが?
そう考えると、今度は胸の違う部分が苦しくなる。
心が痛くなる。
痛いのに、やっぱり私は何もできない。
この世界から出られない。
ああ、また考えてしまう。
駄目なのに。
これまで数えきれないくらい感じてきた孤独感、焦燥感。
無駄だと分かっていても感じてしまう。
ほんと、無駄なのに。
ばかだな、私……。
「どうしたの、ゆきちゃん? 嫌なことでもあった?」
「えっ?」
「幸奈が秘密主義なのは知っているけど、気が向いたらいつでも話してくれればいいよ。友達なんだしね」
私のことを思ってくれる友人が近くにいる。
優しい友人がふたりも。
「……」
幸奈さん、私たちはひとりじゃない。
ちゃんと友達がいるのよ!
だだ、今は……。
「ありがとう。でも、大丈夫。私は元気よ。今は考え事をしていただけだから」
「そう。ならいいんだけどね。幸奈が元気ならそれでいい」
「うん、うん。ゆきちゃんは元気な笑顔が一番可愛いんだから」
そんなこと……。
「……」
「かなも笑顔が一番だぞ」
「へへ。そうかなぁ」
「いや、いつも笑ってるから、そうでもないか」
「あっ、ひっど~い」
「はは、冗談だって」
「もう~」
「かなちゃん、私はかなちゃんの笑顔にいつも元気をもらってるから」
「えぇ! そんなことないよぉ。でも、嬉しいなぁ~」
幸奈さんの心の中にあった思い。
表面的な付き合いの奥底に抱いてた思い。
つい口に出してしまった。
「一緒にカフェ行くのが楽しみだね。って、カフェだけじゃなく、一緒に遊びに行こっか?」
「……」
「ねっ、せっかくだから、どっかに出かけようよ」
嬉しそうに誘ってくれる。
ありがたいことだと思う。
でも……。
ふたりと長時間一緒にいると仮面がはがれてしまうのでは?
そんな不安が消えてくれない。
心配を拭い切れない。
何より。
私がそんなことをしてもいいのだろうか?
遊んでも、楽しんでも?
今は、この世界で精一杯生きる。
それだけを考えていたのに……。
「幸奈が時間取れるなら、悪くないかもなぁ」
「そっだね。Dランドでも行っちゃう。 ん? ゆきちゃん、やっぱり駄目かな?」
「……」
「無理はしなくていいぞ」
「……うん、ちょっと考えてみる」
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<ヴァーンベック視点>
「では、見回り頼んだぞ」
「そっちもしっかり準備してくれよ」
「了解だ」
剣姫と別れた後、本体と合流し休む間もなくテポレン山を横断することになってしまったコーキと俺。
コーキにとってはかなりハードな道行きだが、これはあくまで当初の予定通り。一刻も早くテポレンを抜けワディン領内に入りたい皆の気持ちを考えれば当然の行動だったのだろう。
そんなテポレンでの道行きはエビルズピークのそれとは比べ物にならないくらい順調で、夕方には想定以上の距離を稼ぐことに成功。明日に備え、今日は早めの野営となったわけだ。
「早く行きましょ」
「おう」
野営の準備を始めたワディンの騎士連中から離れ、付近を見回る任務を受けた俺とシア。気を遣われたようで、どうにも居心地が悪い。
そんな俺とは対照的に、シアは軽い足取りで歩を進めている。
「こっちよ」
言われるままに、皆の目の届かない茂みに入った途端。
「ヴァーン! よかった!」
シアが躊躇なく俺の胸に飛び込んできた!
「無事でよかった。本当によかった」
「あ、ああ」
どんな危険にさらされても、こんなことは今まで一度もなかったのに。
「ヴァーンがあの怪物に襲われるかもしれないと思うと、わたし……」
ここまで激情を抑えきれないシアを見るのは初めてだ。
「大丈夫だって言っただろ」
「そうだけど、でも……剣姫との戦いで傷つくヴァーンを見たばかりだから」
確かに、あの戦闘では完膚無きまでにやられる姿を見せちまった。
シアが不安になるのも仕方ないのかもしれない。
「傷も完全には癒えてなかったし」
いや、傷に関しては回復薬と治癒魔法のおかげでほぼ治ってる。
まっ、シアの目には怪我人のように映ってるんだろうが。
「わたし、不安が消えなくて」
「……悪かった」
「あっ、違うの。謝ってほしいわけじゃないの」
「それでもだ。心配かけて悪かった」
シアの気持ちを分かった上で、現場まで戻ったのは俺だ。
ここは謝らせてくれ。
「ヴァーン……」
「……」
「……」
気まずくはないが、微妙な沈黙が続いちまう。
「……」
何というか。
今日みたいな日に湿っぽいのは相応しくねえ。
よし。
「昨日今日と激動の2日間だったな」
「……うん」
「レザンジュ王軍の追跡をかわし、剣姫と和解し、竜の怪物もコーキが倒した。その上、全員が無事。最高の結果じゃねえか」
「……うん」
「明日にはテポレンを下りてワディン領に入る。セレスさんとシアの故郷だ」
「……うん」
「今夜は最高の夜になりそうだろ」
「わたしは、ヴァーンが無事なら……」
「……」
ほんと、可愛いこと言ってくれる。
けどよ。
「セレスさんも無事じゃねえとな」
「それは、もちろんそうだけど」
「アルとコーキもな」
「……」
分かってるから、そんな顔すんなって。
「俺も一緒だ」
「えっ?」
「シアが無事でいてくれて、本当に嬉しいんだぜ」
「ヴァーン……」
「今回ばかりは、危なかったからよ」
「……」
「まっ、そんな危地も何とか切り抜けて、今はこうしてシアとふたりきり。やっぱり最高だろ」
「うん!」
それでいい。
こんな日は笑顔が一番だ。
「さっ、見回りをして皆のもとへ戻らねえとな」
「……うん」
と言っても、周囲には特にあやしい気配もない。
形だけの巡回だが。
そんな感じで、しばらく歩き続け。
野営地がすぐそこに見えてきたところで。
「ああぁぁ!」
悲鳴?
これは?
「セレス様!」
セレスさんの悲鳴なのか?
そう思った時には、シアは駆け出していた。
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<ディアナ視点>
「ユーフィはどう思う?」
「……何が?」
「あの者のことだ」
「……誰?」
「コーキという冒険者。ユーフィの目にはどう映ってる?」
「……」
ユーフィリアは言葉が少ない。
特に、こういった話題では自ら話すことはほとんどない。
そうはいっても、彼女の表情や仕草を見れば多少は考えていることも分かる。
長年、セレスティーヌ様の護衛騎士を共に務めているのだから。
今のユーフィの表情は……。
そうか。
悪くないと思っているのか。
だったら。
「シア殿やヴァーンから話は聞いているが……あれは?」
「どんな話?」
「テポレン山でセレス様を助けたという話だな」
「ふたりが嘘を吐く理由がない」
分かっている、そんなことは。
けど……。
「だから、信じる」
「……」
「それに、彼は私たちの命の恩人」
「……私も感謝はしているさ。ただ、それとこれとは話が違うだろ」
「同じ。シアもヴァーンもコーキも信用できる」
信用、か……。
「ディアナは彼が嫌い?」
「嫌い、というわけではないが」
好きとか嫌いとかじゃない。
セレス様と距離が近いのが見過ごせないだけ。
一介の冒険者に過ぎない彼が、ワディンの神娘たるセレスティーヌ様に無節操に近づくなんて、そんなこと許せるはずがないのだから。
ただ幸いなことに、今はそんな節も見えない。
ならば、まだ……。
「ディアナ、手が止まってる」
「ん?」
「今は野営の準備中」
「あ、ああ、そうだった」
とりあえず、野営の準備は終えないとな。
「……」
「……」
黙々と作業を進めるユーフィリアの横で、作業を続けていると。
「ああぁぁ!」
悲鳴?
セレス様の悲鳴!?
********************
周りでワディンの騎士たちが野営の準備を進めている中、セレス様と俺だけが休憩をとっている。
セレス様は病み上がりの身体を、俺はエビルズマリスとの戦闘による疲労を考慮され、こうして何もせず休んでいるように言われたからだ。
「……」
「……」
数歩歩けばワディン騎士がいる状況ではあるものの、これこそ絶好の機会。
ということで、幸奈が中に入っているセレス様に話しかけることに。
「少しお時間いただけますか?」
「……はい」
「セレス様に、お聞きしたいのですが」
「何でしょう?」
この対応。
やはり、幸奈は記憶を失ったまま。
俺に気付いていない。
「……」
そうかぁ。
こうして目の前にしても、俺のことが認識できないかぁ。
分かっていたこととはいえ、これは寂しいな。
想像以上に気分が重くなってきたぞ。
が、とりあえず。
「セレス様は、ニホンという言葉に覚えはありませんか?」
「……いえ」
「トウキョウという単語は?」
「……いえ」
覚えていないか。
では、もうひとつ。
「タケシというのは?」
「……ごめんなさい。どれも思い出せません」
そうだよな。
簡単に話が進むわけないよな。
ただ、幸奈の表情には反応が見えなくもない。
だったら、これを続ければ何とかなる可能性も?
「もう少しいいでしょうか?」
「……はい」
「ユキナという言葉はいかがです?」
自分の名前だぞ。
どうだ?
「ユキ……っ!」
どうした?
思い出したのか?
「……分かりません」
名前でも駄目。
とはいえ、確実に反応はあったぞ。
「タケシという言葉は?」
「……分かりません」
「では、イノウという言葉は」
「イノウ……」
これは!
「カズミの異能です。ユキナのイノウです」
「カズミ……ユキナ……イノウ……」
いける!
思い出せるのでは!
「イノウ……うっ!?」
何だ?
「うっ、うぅ……」
記憶が戻っている?
それとも?
「うぅぅ……ああぁぁ!」
なっ!
悲鳴を上げた幸奈が、頭を抱え蹲ってしまった!
「……」
その光景を目にして、一瞬で思考が停止。
「あぁぁぁ……」
そんな俺の前では幸奈が悲鳴を上げ続け……。
って、眺めている場合じゃない。
「セレス様! 大丈夫ですか? セレス様?」
俺のせいだ。
無理やり記憶をこじ開けようとしたから。
「ぁぁぁぁ……」
「っ! セレス様!?」
蹲る彼女の前で、俺は狼狽えるばかり。
そこに飛ぶように駆けつけたのがシア。
「セレス様、どうされました? どこか痛いのですか?」
「ぁぁ……頭が……」
「頭が痛いのですね。先生、何があったんです?」
「すまない。俺が無理をさせたからだと思う」
「無理を?」
そこにやって来たのが、大柄な女性騎士。
「セレスティーヌ様、何が!?」
ディアナという名の護衛騎士だ。
********************
<セレスティーヌ視点(姿は和見幸奈)>
結局、ふたりの誘いを断ることも受け入れることもできず。
言葉を濁したまま、帰途についてしまった。
「……」
ふたりと出かけるのが嫌なわけじゃない。
幸奈さんだけでなく、私もそう思っている。
でもやっぱり……。
あっちの世界では、今もみんなが頑張っているのに。
私だけ楽しむなんて。
神娘の責任も果たさず、ただ楽しむだけの時間を過ごすなんて……。
そんなことを考えながら歩いていると、和見の家が目に入ってきた。
もう、家に着いてしまう。
この角を曲がると、すぐに玄関だ。
「……」
楽しむことに罪悪感があるのに、和見家に戻るとなると楽しみにすがりたくなる。
本当に未熟な心。
角を曲がった未熟な私の前には和見家の門扉。
だけじゃなかった。
「っ!?」
ずっと期待していたけれど、想像はしていなかった。
今日会えるなんて。
「セレス様、お待たせしました」
「コーキさん……」
「ここで話しましょうか」
「……」
思いがけぬ再会。
久しぶりのコーキさんの姿に舞い上がってしまった私。
門の前で何か会話はしたと思う。
なのに、今。
気が付けば珈紅茶館の前に立っている。
「この店なら誰に聞かれることもなく、あちらの話をできると思いますので」
「……はい」
珈紅茶館。
幸奈さんの記憶にある、コーキさんとの思い出の場所。
ここでコーキさんとお茶ができる。
その事実に、少し落ち着いていた私の心がまた浮き立ってしまう。
「入りましょう」
珈紅茶館の中は、幸奈さんの記憶通り。
でも、とっても新鮮に感じる。
「では、こちらの席で」
コーキさんに案内されたのは奥にあるテーブル席。
今は他にお客さんもいないようだし、ふたりで話をするには最適の場所だと思う。
「セレス様、何か問題はありませんでしたか?」
「……」
席に着くと、開口一番私のことを心配してくれるコーキさん。
珈紅茶館で私のことを。
それだけで、もう幸せな気分に……。
「功己君、幸奈ちゃん、ご無沙汰だねぇ」
「マスター、お久しぶりです」
「ホント、ウチを忘れちゃったのかと思ったよ」
珈紅茶館マスターの穏やかな笑顔。
初めて見るのに、懐かしい……。





