第322話 正体は
「コーキという名前は何なのだ?」
異界からの脱出に加え、仲間とも再会を果たした剣姫。
感慨もひとしおのはずなのに、なぜ今さらそんなことを?
「アリマなのか、コーキなのか? どうなってる?」
しかも、この上なく真剣な表情で聞いてくるなんて。
「……」
けど、そうか。
剣姫には有馬と名乗っただけで、功己という名は告げていなかったんだ。
「有馬は家名で、功己が私の名前になります」
「家名!」
「コーキが家名持ち!」
剣姫だけじゃなくヴァーンまで?
「おまえ、貴族だったのかよ?」
「アリマは、貴族ではないと言っていたはず。あれは嘘だったのか!」
「……」
なるほど。
ふたりとも、そこに引っ掛かってたんだな。
「どうなんだ?」
「……私は平民ですよ」
「だが、家名がある」
「そうだぜ。どういうこった?」
「私の出身地では、平民も家名を持っているんです」
「そんな地があると?」
「はい。この辺りとは文化も風習もかなり異なる場所ですね」
何と言っても異世界だからな。
「……」
「おまえ、どこの遠国出身だよ」
「キュベリッツやレザンジュからは、かなり離れているぞ」
「だろうな。平民が家名持ちなんて聞いたこともねえ」
この世界では、家名を持つのは貴族のみ。
それが常識ってことか。
「ならば、君は……コーキ・アリマなのだな?」
「ええ」
「君がコーキ……」
「イリサヴィアさん、良ければ今後は私のことをコーキと呼んでください」
「ん? ああ……」
そう答えた剣姫が俯いてしまった。
有馬と呼ぶ方がいいのか?
「コーキ……コーキだった……しかし……」
心ここにあらずといった様子で、何かつぶやいている。
「髪色が……なら、別人? いや、それでも……」
「コーキ、そろそろ行くか?」
「ああ、みんなが待っているんだよな」
「そういうこった。5刻半までに戻るぞ」
剣姫の様子が少し気になるが。
俺が考えてもどうしようもない。
「では、イリサヴィアさん、メルビンさん。我々はここで失礼します」
「ええ、お気をつけて」
「……うむ……いや、あれは……」
剣姫は相変わらず上の空。
別れの言葉もない。
ずっと一緒に過ごしてきたというのに、この別れ。
若干の寂しさを感じてしまうな。
「……」
しかし、ここまで俺の名前が気になるとは。
理解しがたいし、少し心配にもなる。
まっ、彼女のことはメルビンが何とかしてくれるだろう。
「よーし、ちっと急ぐぜ」
「了解」
テポレン方面に向かって駆けるヴァーンの背を追うように足を動かす。
「……」
やっぱり、エビルズマリスの創った異界とは違う。
緑の中を走るのはいいもんだ。
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<剣姫イリサヴィア視点>
「……ん? アリマは?」
「とっくに去りましたよ」
「なっ! もう去ったのか?」
「ええ。あなたが考え事をしている間にね」
「……」
メルビンが呆れた顔でこちらを見ている。
それも当然か。
アリマが去ったことすら気づかずにいたのだから。
「ほんと、どうしたんです? 戦闘でどこかやられました?」
「……大丈夫だ。問題ない」
「なら良いのですが。ところで、あの魔物は?」
「倒した」
「おお、さすがイリサヴィアさん。重畳です」
「いや……」
「浮かない顔ですねぇ」
「浮かない? 私がか?」
「そうですよ」
「……」
「今回あなたは途轍もない魔物を倒し、ミッドレミルトの異常解明にも成功しました。いや、それどころか解決したと言ってもいいでしょう。なのに、どうしてそんな顔を? 何を考えているのです?」
何を考えているかと言われれば……。
「辺境伯ですか?」
彼にはもう興味はない。
「違うようですね。まっ、この件は仕方のないことですし」
その通り。
ワディン辺境伯については、エビルズピークにいなかった時点で私の手から離れている。
「では、冒険者コーキ?」
「……うむ」
「なるほど。確かに彼は凄腕の冒険者です。今回は共闘者でもあります。ですが、先刻まで敵対していたのですよ。そんな相手にイリサヴィアさん、まさか?」
「邪推だな、メルビン」
アリマに対して、そんな感情は持っていない。
感謝の思いはあるが、そんなもの抱くわけがない。
私の心の中にいるのは、今もこれからもひとりだけなのだから。
ただ、違う意味で、もうひとり。
コーキにはいつか会いたいと思っている。
これは郷愁?
いや、それ以上の何かかもしれないな。
そのコーキがアリマと同一人物だというなら。
私はコーキと一緒にいたことになるんだ。
異界でずっと一緒に。
コーキと共に密度の高い時間を過ごしたことに……。
「……」
けれど、アリマは違う。
何と言っても、髪色が違う。
これは決定的。
たとえ名前が同じであろうとも、髪色という事実を変えることはできない。
私の持つラピタルの偽宝。
姿を変えるこの宝具をアリマが持っていれば話は別だが……。
「では、彼の何が気になるのです?」
「……髪色」
「ああ、それは私も気になってました」
「どういうことだ?」
「私がオルドウで彼に会った時とは髪色が違うような気がしまして」
何だと!
「アリマは、アリマの髪は何色だった?」
「確か、黒髪?」
「っ!?」
「以前のことなので記憶は曖昧ですが、黒だったような……」
アリマが黒髪!
ここでは茶色の髪だったアリマが!
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<セレスティーヌ視点(姿は和見幸奈)>
「ゆきちゃん、この後カフェに行かない」
「今日はちょっと……」
「もう、いつもそればっかり」
「……ごめんなさい」
「こら。やめなさい。幸奈が困ってるでしょ」
「だってぇ」
ここは幸奈さんが通う大学の一室。
私に話しかけてくれたのは、幸奈さんの友人のふたり。
大学生の仮面を被った幸奈さんが、大学生活の一環として捉えているふたりだ。
ただ、表面的な付き合いに終始する幸奈さんに対し、相手のふたりは少なからず好意を抱いているように思える。
「だってじゃない」
「え~」
「……」
彼女たちについては、もちろん知識として知っている。
それでも、実際に会ってみると戸惑うことが多い。
「え~でもないでしょ。幸奈は忙しいんだから」
「うぅぅ……」
幸奈さんの知識から、こうなることは分かっていた。
だから、なるべく接触は避けようと思っていたのだけれど。
今日はどうしても避けることができなくて……。





