第320話 異なる世界 19
俺の隣で同じように横になっている剣姫が、こちらを見つめてくる。
態度を改めろという、その表情は真剣そのもの。
「嫌なのか?」
「いえ……」
ここまで言われると、断りづらいものがあるよな。
「ならば」
このままでも問題ないと思うんだが。
異界を出れば、ふたりで会うこともほとんどないだろうに……。
まあ、とりあえず。
「……善処します」
今は善処ということで許してもらおう。
「うむ」
この曖昧な返事に対し、満足そうに頷く剣姫。
いや。
善処と言っただけだぞ。
改めるとは言ってないぞ。
「うむ」
もう、出会ったころとは別人だな。
「……」
今は心を許してくれていると。
そういうこと、か。
ふたりだけの異界に静かな時間が流れていく。
「……」
「……」
背中には鉄錆色の地面。
見上げる空は赤胴色。
質量を持ってまとわりついてくる濁った空気。
気味の悪い世界だとずっと思っていた。
なのに今は……。
そういう風には感じない。
こうしているのも、悪くない。
心地良いとさえ、思ってしまう。
不思議なものだ。
そんな俺の感慨を知ってか知らずか。
「ところで、異界からはまだ出れないのだろうか?」
剣姫が沈黙を破って、核心の質問を。
もちろん、それは俺も考えていたこと。
「創造主を倒すと、異界は崩壊すると言ってましたよね」
「うむ、それが常識だからな」
「……」
クエストの表示を見る限りでは、討伐に間違いはない。
なら、脱出できるはず。
この状況で、異界に閉じ込められたままということは。
時間の問題だろうか?
あるいは。
外縁の闇壁に足を運べば、そこから外に出られるのか?
とにかく、何とかなるはず。
「脱出できると思います」
「……君がそう言うなら、間違いないのだろう」
「……」
剣姫からの信頼があついな。
「外縁の様子を見に行きませんか?」
「肩の状態はどうなんだ? もう少し休んだ方が良いのでは?」
「治癒魔法で応急処置をしましたので平気ですよ」
剣姫と俺は休憩を中断し、確認のため外縁に向かうことになった。
「イリサヴィア様の身体に問題は?」
「まったく問題ない。咆哮と光のブレスを浴びただけだからな」
ともに物理的殺傷能力を持たない攻撃。
目眩や吐き気、痺れが治まっているなら気にすることもないか。
「それより、口調が変わってないぞ」
いきなりは無理だって。
だから、善処って言っただろ。
「……徐々にということで」
「徐々にとは、いつのことだ?」
それは。
「あっ、着きましたよ」
ちょうど良いタイミングで外縁に到着。
助かった。
「さあ、調べましょう」
「……うむ」
これまで同様。
まずは、剣と魔法を使い闇壁の状況を確認。
次いで、他の方法でも調べてみることに。
「何も変わっていないな」
「……」
「大地も空もこの壁も、今のところ変化が見られない」
「……そうですね」
おかしい。
エビルズマリスを倒したはずなのに。
「……」
今ここで確認しても、ステータス表示には『6、兇神討伐 済』と表示されたまま。
討伐は確定の事実。
兇神がエビルズマリス以外を指しているとも思えない。
なら、どうして?
兇神討伐……討伐?
まさか、討伐は倒したことを意味していない?
エビルズマリスは生きている?
いや、さすがにそれは……。
ズシン!!
何だ!?
ズズッ、ズシン!!
地鳴り?
地震?
「アリマ、揺れてるぞ!」
立っているのが難しいくらいの大きな揺れ。
「……」
鉄錆の大地が揺れている。
この異界に来て初めての事態。
何が起ころうとしているんだ?
とりあえず。
「イリサヴィア様、こちらへ!」
「うむ」
ふたり背中合わせで、不測の事態に備える体勢に!
「アリマ、どう思う?」
「……ただ事ではないでしょうね」
「ああ、地震など存在せぬ異界が揺れているのだからな」
ここには地震が存在しない?
「では、この揺れは?」
「……」
「イリサヴィア様の読まれた文献に、記述はありませんでしたか?」
「揺れについての記述は目にしたことがないのだ」
剣姫の異界についての知識は、王都の図書館所蔵の文献から得たものらしい。
その文献にも、異界の揺れについての記述はなかったと。
「残念ながらな」
「記述がないのなら、仕方ないですよ」
「うむ。ただ、今回の揺れ……」
「……」」
「異界の創造主を倒した直後という状況を考えると」
「異界が、崩壊している?」
「その可能性が高いだろ」
「崩壊したら、中にいる私たちはどうなるのでしょう?」
脱出できるのか?
「……分からぬ」
脱出できなかった場合。
崩壊に巻き込まれ……。
「……」
「……」
ゴゴゴッ!
ズズッ、ズシンッ!!
不吉な想像を吹き飛ばすような一際激しい揺れ!
そんな揺れが連続で!
ズッシーーン!!
立っているのも難しい!
「っ!」
傍らの剣姫が凝視しているのは何もない空間。
何もないはずの赤銅色の空が!?
「あれは!」
崩れている!?
空が崩れるという信じられない現象が、目の前で起こっている!
「アリマ、身体強化だ!」
「ええ!」
崩壊に耐え抜くには身体強化しかない。
ゴゴッ、ゴゴゴォォ!!
「地面も!」
空に続いて、大地にも無数の亀裂が走りはじめた!
「くっ!」
揺れる。
崩れる。
赤の空が崩れ、大地が崩壊していく!
異界が崩れ落ちていく!!
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<ヴァーンベック視点>
野営地の空に日が昇りつつある。
「ああ……」
今日という日を無事に迎えることができた。
シアもアルも、セレスさんも、ディアナもユーフィリアも。
それが、何よりありがたい。
「……」
レザンジュ王軍との遭遇、剣姫との戦い、魔物の襲来。
そして竜の怪物……。
昨日はとんでもない一日だった。
今日を迎えることなんてできないと、何度思ったことか。
すべては……。
コーキのおかげ。
あいつが来てくれたから、俺たちはこうして無事でいられるんだ。
それなのに!
俺はコーキを残して逃げちまった!
あいつと剣姫に怪物の相手を任せて……。
「くっ!」
大丈夫だよな、コーキ!
やられることなんて、ねえよな!
おまえは、いつも颯爽と現れ。
どんな難敵も蹴散らしてきた。
ダブルヘッドも、そして剣姫さえも。
だから、今回もやれるはず。
竜の怪物も倒せるはず。
そう信じてる!
けど、あの怪物は……。
「……」
コーキと別れて、一夜が過ぎ。
今は翌早朝。
ここはエビルズピークとテポレンの境界にある野営地。
戦闘地である坂道からは、それほど離れていない。
俺ひとりで走れば。
現場へは1刻から1刻半で到着できるはず。
なら……。
「ヴァーン、どうしたの?」
一緒に不寝番をしているシア。
心配そうに、声をかけてくれる。
「……」
こういう相手がそばにいるって、ありがたいことだよな。
心からそう思う。
「昨日……あなたが無事でよかった」
「俺もだぜ、シア。おまえが無事でどんだけ安心したことか」
「わたしは茂みに隠れていたから……」
逃げろって言ったのに、逃げなかったよな。
「……あの時」
「……」
「ヴァーンが倒れた時」
剣姫に酷くやられた時か。
「わたし、どうにかなってしまいそうだった」
「……」
「心配で、心配で! 自分を抑えることができないと思ったの」
シア……。
「セレス様を護らなきゃいけないのに、セレス様を優先すべきなのに」
おまえ、そこまで。
「セレス様を護ろうという心が2つになって、心が分かれて。わたし……」
「シア」
「……」
「おまえは、最後までセレスさんの傍にいただろ。つまり、役目を全うしたってことだ。心に何があろうと、その事実は変わらねえよ」
「でも……」
「人の心ってのは複雑なんだぜ。いつも一心ってわけにはいかねえ」
「……」
「昨日のシアは立派に責任を果たした。事実はそれだけだろ」
「ヴァーン……」
「ただし、逃げなかったのは良くねえなぁ」
「うん……」
「まっ、セレスさんが留まると言い張ったんなら、仕方ねえか」
「……」
「それとよ、ありがとな」
「えっ?」
おまえの気持ち、嬉しかったぜ。
「ヴァーン、何が?」
「……何でもねえよ」
「何でもって、そんな、何なの?」
「まあ、いいじゃねえか」
「……」
「っと、そんなことよりだ。ちっと行ってくるわ」
「行く?」
「ちょっと、コーキの様子を見にな」
「……」
「心配は要らねえぜ」
「そんな……危ないわ」
「問題ねえって。あの怪物の気配を感じたら引き返すつもりだからよ」
気配を感じ取れればな。
「止めても行くの?」
「……ああ」
「……」
「コーキを見捨てることなんて、できねえだろ」
あいつには二度も命を救ってもらったんだぞ。
それなのに、昨日の俺は……。
今からじゃあ、遅いかもしれねえ。
けど、それでも。
「わたしも行くわ」
「駄目だ」
「嫌よ。コーキ先生はわたしにとっても恩人なのよ。それに……あなたをひとりで……」
「……」
「もう、あんな心配したくないから」
「シア、おまえの気持ちはよく分かるし、ありがてえ」
ほんと、俺にはもったいないくらいだよ。
「だったら、ヴァーン」
「シアは、セレスさんの傍にいるべきだ」
「……」
「数刻も離れちゃいけねえ」
「今、そんなこと言うなんて」
ずるいよな。
分かってる。
それでも、ここは俺に任せてくれねえか。
「必ず無事に戻るから。なっ、シア」
「約束?」
「ああ、約束だ。コーキを連れて戻ってくるぜ」
「……あなたの今の心は1つ、2つ?」
「1つと言いたいところだが、それじゃあ嘘になっちまう」
「2つなのね」
「そうだな。ただし、シアを思う心が圧勝してるぜ」
「ほんと?」
「間違いねえな」
「……分かった。それで、わたしたちはどうすればいいの?」
「皆が起きたら伝えてもらえるか?」
「うん」
「5刻、いや5刻半までここで待っていてほしい。で、その時間になっても俺が戻らねえようなら先に行ってくれ、と」
「ヴァーン!」
「だから、心配要らねえって。万が一の話だからよ」
「……」
「じゃあ、行ってくるぜ!」





