第305話 異なる世界 4
数メートル先も見通せないほどの視界の悪さに、石と岩しか存在しない荒漠の大地。
空は依然として赤く濁っており、足下の鉄錆色にも変化はない。
赤、赤、赤。
どこを見ても不気味な赤が目に入って来る。
どうにも落ち着かない。
不穏で不快な気分……。
座っているだけで、体力を奪われてしまいそうだ。
「……」
エビルズピークから転送されて既に12刻(24時間)。
俺と剣姫はこの地に留まったまま。
抜け出す目処も立っていない。
闇を通り抜けるか、怪物を倒すか。
すべきことは明らかなのに。
その術が……。
「君は何でも持っているのだな」
錆色の小岩に腰掛けた剣姫が話しかけてくる。
「……いえ」
「これまで、君が収納から取り出した道具にも驚かされたが」
「……」
「この食糧がまた素晴らしい」
「たまたま保存食を持っていただけですので」
「いや、保存食の味など超越しているぞ」
「まあ……」
確かに、日本製の保存食は優れている。
こちらの物とは比べ物にならない。
とはいえ、この状況で保存食をゆっくり味わえるとはな。
さすが剣姫イリサヴィア。
肝が据わっている。
「紅茶も美味だ」
「口に合って、良かったですよ」
「合うどころではない!」
「……」
「君には本当に感謝している。このような地で食事を確保できるだけでもありがたいというのに、味まで優れているのだからな」
剣姫のこの感想。
思い出すな、魔落を。
あの時のセレス様も同じような感想を口にしていた。
魔落か……。
トトメリウス様の創り出した神域の一種、魔落。
石と岩だけの荒涼とした空間。
閉ざされた地下迷宮のような空間だった。
対して、こちらは。
同じく、石と岩ばかりの荒涼とした地。
閉ざされた空間。
そして、おそらく……。
竜のような怪物、あいつが創り出した異界だ。
「この危地においても心を強く持てるのは、君の助けあってこそ」
「……」
「命の恩人だな、アリマは」
「さすがに、そこまでではないですよ」
剣姫なら、ひとりでも何とかしたはず。
「いいや。誇張でもなんでもない。長期戦ともなれば、なおさらだ」
確かに、今回は相当な長期戦になるだろう。
となると、水と食料の重要性は増してくる、か。
「もう1日。12刻経過したからな」
この地に転送されたのは12刻(24時間)前。
初めは何が起こったのか全く理解できなかった。
エビルズピークが生みだした悪意という怪物と戦っている最中。
そいつが発光したと思ったら、次の瞬間にはここにいたのだから。
その後、数刻に渡って探索をした結果。
判明したのは、ここが暗闇に囲まれた空間だということ……。
「……」
どうやら、この閉鎖空間。
半径100メートルほどの円、あるいは半球の形として存在しているようだ。
そして円の外縁には、あの暗闇。
青みがかった不気味な闇が円を囲うように広がっている。
「……」
現状、暗闇の先に進むことはできない。
外縁を越える術がない。
つまり、俺と剣姫はこの赤の閉鎖空間に閉じ込められたと……。
ちなみに、この12刻の間。
俺たちは探索だけしていたわけじゃない。
一度だけ戦闘を経験している。
この地に来て5刻ほど経った頃、突然姿を現した竜の怪物が俺たちを襲ってきたんだ。
ただし、決着がつくことはなく。
1度目同様、戦いの最中に消えてしまった。
それ以降、今この時点まで。
俺たちの前に、あいつは現れていない。
「……ここは怪物の創り出した異界。その可能性が高そうだな」
いつの間にか食事を終えていた剣姫。
赤の空間を見つめながら、話しかけてくる。
「最初は、転移のようなもので別大陸の荒野にでも送られたのかと思っていたが……」
俺もそう思っていた。
けれど、2度目の戦闘中に鑑定で知り得た情報が、事実を教えてくれたんだ。
驚きの事実を。
???
???
エビルズマリス
エビルズピークの悪意
HP 813
MP 95
STR 594
AGI 171
INT 206
<スキル>
気配消去 分身 異界(貯蔵庫)創造
エビルズピークで鑑定した時は表示されていなかった3つめのスキル。
異界創造、貯蔵庫!!
これで、多くの魔物の遺骸が存在する理由が理解できた。
そう。
この空間は怪物の創り出した異界。
食料を貯蔵するための異界なのだろう。
この地が怪物の創り出した異界だというのは、まだ想定内。
ただ、ここが貯蔵庫だったとは……。
完全に食料扱いかよ。
「ここが奴の創り出した異界だとすると、奴を倒せばここから出ることができる」
「確かなのですか?」
そこが知りたかった。
敵を倒したのに、異界に閉じ込められたままなんて洒落にもならないからな。
「魔物の創り出す異界は、創造主を消した時点で消え去るはず。つまり、この異界が消えエビルズピークに戻ることができるはずだ」
剣姫が断言してくれるのなら、まず間違いはない。
「もちろん、他の脱出手段もあるだろう。暗闇を突き進めればエビルズピークに戻れるかもしれんしな。だが……」
「他の方策が見つからない現状では、あいつを倒すしかないと?」
「うむ」
「問題はどうやって倒すかですね」
「……簡単ではないな」
「ええ。ただでさえ倒すのが難しいのに、こうしてこの地から消えることもできるのですから」
「……」
「……」
とんでもない防御力を誇るあの魔物に対し、これまでの2度の戦闘では大きなダメージを与えることができていない。
そんな鉄壁の魔物が自由にこの地から消えることができる。
これはもう、討伐困難としか思えない。
「それでも、倒すしかない」
「……そうですね」
剣姫の言う通り。
脱出口が見つからないのなら。
あいつを倒すしかない。
「そのためには闇雲に戦っても無駄だろう。方策を考える必要がある」
「ええ。色々と探りながら戦いましょう」
幸いなことに、あいつは防御力は高いものの、敏捷性はそれほどでもない。
攻撃も威力はかなりのものだが、攻撃そのものが単調。
注意さえしていれば、痛手を受けることはまずないと考えられる。
なら、あいつと何度も戦い、倒す術を探ればいい。
「とりあえず今は、あいつの出現を待つだけですね」
「うむ」
なんてことを話していたら。
少し先の空間に歪みが……。
「現れましたよ」
**********************
「グルゥゥ……」
何なんだこいつらは!
もう3度目だというのに倒すことができない。
何度襲っても、避けられてしまう。
攻撃が当たらない……。
「鱗と鱗の隙を突いてみましょう」
「了解だ」
こいつらの攻撃は恐れるほどじゃないのだが、とにかく動きが早い。
素早過ぎる。
「駄目です。効いてませんね」
「……」
鬱陶しい。
「では、また魔法で援護します。雷撃!」
「グウゥゥ!」
それに、この魔法。
僅かではあるが、身体が痺れてしまう。
鬱陶しい。
煩わしい。
イライラする。
素晴らしい食材だと思って、この箱の中に捕まえたというのに。
喰らうことができないなんて。
今日もまた、無駄に時が過ぎていく。
「グルゥゥ……」
ああ、腹が減ってきたぞ。
「次は背中を攻撃してみましょうか」
「うむ、試してみよう」
……やめだ。
今回はもうやめだ。
とりあえず食事。
食料を持って、寝床に戻るぞ。
少し味は劣るかもしれないが、食材は山のようにある。
こいつらは……。
また今度だ。
どうせ、この箱の中からは逃げられないのだからな。
**********************
あの怪物によって創られた異界に閉じ込められてから、2日の時間が経過した。
状況に大きな変化は見られない。
「また5刻ほど待たねばならぬのか」
「おそらく、そうなると思います」
この2日の間に行った戦闘は4度。
色々と試しながら戦っているのだが、いまだ攻略の糸口を見つけることはできず。
当然決着もつかないままだ。
「……長いな」
「……」
その戦闘は1日に2回。
6刻毎に姿を現すあいつと半刻~1刻程度戦うもの。
4度の戦闘全てにおいて、あいつは1刻が経過する前に姿を消している。
何か理由があるのか、これを繰り返しているのだ。
もちろん、これからもそれが続くとは限らないが。
「5刻は長い」
「ええ。ですがもう、気長にやるしかないでしょう。我々から戦いを仕掛けることはできませんので」
「……うむ」
とは言っても、剣姫が焦る気持ちも充分理解できる。
俺自身気持ちを抑えるのが大変なのだから。
「……」
当然、俺の中にも焦燥は存在する。
実際は剣姫以上に焦っているのかもしれない。
幸奈たちは無事なのか?
エビルズピークを脱出できたのか?
レザンジュ王軍に追われていないか?
そして、何より……。
あちらに戻った怪物に襲われるなんて事態は?
そんなこと、起こってないよな?
今の幸奈にはヴァーンもワディン騎士もついている。
ノワールも傍に残してきた。
だから、大抵のことは切り抜けられるはず。
ただ、エビルズピークの悪意だけは……。
ああ、気になって仕方がない。
「……」
もちろん、日本もだ。
セレス様……。
もう長い間、日本に戻れていない。
俺が不在の間に、セレス様が退院している可能性もある。
問題が起こってなければいいが……。
いくら幸奈の知識があるとはいえ、セレス様にとって日本は慣れぬ異世界。
心の裡を相談できる相手もいない。
真に頼れる相手も……。
そんな世界で、和見の家で、セレス様は穏やかに暮らせるのか?
異能と関わりのある和見家の娘として過ごす日々を?
そう簡単だとは思えない。
ただ、ひとつ安心できるのは。
こっちの世界とは違い、あちらでは命の危険はないということ。
この一事だけ。
それでも……。
幸奈、セレス様。
こうして考えていると、焦りが増してくる。
「本当に5刻は長い。どうしても気が急いてしまうな」
1日の12刻のうち、戦闘は2回。
時間にして1~2刻。
残りの10刻以上は待機しなければいけない現状に気が急くのは、当たり前のことだろう。
もちろん、10刻という時間を何もせず過ごしているわけじゃない。
脱出する方法を探るべく探索は続けているし、あの暗闇でも色々と試してみた。
芳しい結果は得られていないが、今後も続けるつもりだ。
「このような地でゆっくりと構えることができる。それ自体ありがたいことだと頭では理解している。が、どうもな」
確かに。
この極限の地で健康を維持できるのは稀有なことだろう。
「それでも」
「……」
「こうしていられるのも、君のおかげ。君の用意してくれる保存食と水のおかげだ」
備えがあったからこそ。
それは間違いない。
「アリマ、君には心から感謝している」
「いえ……イリサヴィア様も持っておられるでしょ」
「私の携帯している物など僅かにすぎない。食糧はメルビンたちが準備してくれていたからな」
「そうでしたか」
「私ひとりなら、既に飢えと渇きに苦しんでいただろう」
「……」
「これで君には二度助けられたことになる」
ともに成り行きだけれども……。
まあ、そうなるか。
「この借りは忘れない。必ず返す。約束しよう」
「私もイリサヴィア様には助けてもらいましたので」
「それは……王都でのことか?」
「はい。屋台の親子をあの貴族から守り、無事におさめてくれました」
「彼らを助けたのは君だが?」
確かに、王都の広場で彼らを助けたのは俺だ。
ただ、事後の処理などは何もしていない。
その後は彼女の力があってこそ。
「私は現場で蛮行を防いだだけです。その後のことは全て、イリサヴィア様のおかげです」
カデルの民ということで差別を受けていたルネアス、ノリス、ファミノ親子を子爵家の次男コルドゥラから守ってくれたのは剣姫イリサヴィアだ。
彼女がいなければ、後々厄介なことになっていたはず。
「……あれは君のためではない。私が自ら望んだこと」
「それでもですよ。私は感謝しております」
「……」
どんな理由があれ、結果に変わりはない。
俺が抱く感謝の念が消えることもない。
「私は……」
「……」
「私は君の仲間を襲ったのだぞ」
エビルズピークで。
あの坂道で。
ヴァーンたちを襲撃したのは剣姫イリサヴィア。
間違いない。
厳然たる事実だ。
「……」
その事実。
俺にとっては許容しがたいものがある。
とはいえ、彼女も依頼を受けてのこと。
冒険者としての責務を果たしただけ。
好んで戦ったわけじゃない。
「冒険者としての仕事だったのでしょ?」
違法でない限り、受けた仕事は全うする。
冒険者とはそういうもの。
俺も冒険者。それくらいは学んでいる。
「……うむ」
「それなら、あなたを責めるのは筋違いだ。責めるべきは依頼者ですよ」
それに、彼女は誰の命も奪っていない。
乱戦の中、意識を奪うにとどめてくれた。
もちろん、卓越した腕を持っている剣姫だからこそできる業なのだが。
「冒険者稼業とはそういうものだと思います」
「……」
「誤解が解けた今は、私にわだかまりなどありません」
これは嘘だ。
正直言うと、しこりはまだ残っている。
ただし、それは感情的なもの。
問題はない。
俺の気持ちに過ぎないのだから。
「アリマ……」
そもそものこと。
私的な感情など、今はどうでもいい。
現時点で優先すべきは、ただ1つ。
怪物の創り出した異界からの脱出だけ。
何よりもそれが大事なんだ。
どうすれば、あいつを倒せるのか?
倒さずにここを出る方策はあるのか?
考え、挑戦するのみ。
必ず脱出してやる!
けれど。
もし長引くようなら。
魔落での探索のように長期にわたるなら。
異世界間移動も考えなくちゃいけない。
「……」
通常の手段でこの空間を脱出できないのは事実だが、異世界間移動なら出れる可能性は高いだろう。
もちろん、それを使っても幸奈に会いには行けない。
それでも、セレス様の様子を見に行くことはできる。
なら、試すのも。
「……」
問題は剣姫だな。
彼女をひとり残していいものなのか?
一度異世界間移動を使うと、ここに戻って来れるのは6時間(3刻)後。
怪物との戦闘直後に移動すれば、次の戦闘までには余裕をもって戻ることができる。
この点では大過ないはずだが……。
異世界間移動について剣姫にどう説明するか?
露見なく説明できるのか?
難しいな。
とはいえ、場合によってはリスクを冒してでも試さなきゃいけないだろう。
露見なんて考えている余裕はないだろうから。
ん?
待てよ。
この異界、もし仮にトトメリウス様の神域に近いものだとすれば。
外界とは時の概念が違うのでは?
時が止まっていることも?
だとしたら、上手くいけば、6時間という時間は消えてしまう。
つまり、異世界間移動で日本に渡り、こちらに戻って来ても時間は未経過。
その可能性も!
やはり、試す価値はある。
ただ、今はまだ。
その時期じゃないな。
「わだかまりはない、か」
「……」
「アリマ、君は本当に人が好い。好すぎるな」
そんなことはない。
わだかまりはあるし、今なんてひとりでここを去ることも考えていた。
「腕が立ち、人も好い冒険者か」
「……」
「要らぬ忠告かもしれぬが……。この先も冒険者を続けるのなら気をつけた方がいい。今後君を利用しようとする輩が多く現れるだろうからな」
「御忠告、心に刻んでおきます」
「うむ。ところで、君の拠点はオルドウなのか?」
「はい、オルドウで活動しております」
「やはり……。またしても……」
またしても?
「彼の地の冒険者とキュベルリアで知り合い、エビルズピークで剣を交え、そして今」
「……」
「こうして共闘している。まこと縁とは奇妙なもの」
確かに、剣姫とは不思議な縁がある。
キュベルリアで会う以前も彼女の名はギリオンから何度も聞いていたし。
「合縁奇縁というものだな」
「……ええ」
「しかし、オルドウとは……」
「オルドウに何か思うところでも?」
「うむ。かなり昔のことだが……」
「はい?」
「オルドウには良い思い出があるのだ」
オルドウに良い思い出。
俺と同じだな。
「君は魔球合戦というものを知っているか?」





