第299話 蒼鱗の天魔 4
幸奈は日本での記憶を失っている。
自分のことをセレス様だと思い込んでいる。
もちろん、今の幸奈の姿形はセレス様そのものだ。
セレス様の姿で声で自身が記憶喪失だと言うのなら、不自然さも覆い隠せてしまう。
自他ともに納得してしまう。
その証拠に、シアやアル、ヴァーンにも疑っている様子は見えない。
誰も疑っていない。
俺だって、日本にいるセレス様から真実を知らされていなければ……。
それでも。
セレス様の体の中にいるのは幸奈だ。
鑑定で見ても、間違いのない事実だった。
なら、俺は?
どうすればいい?
どう動けばいい?
今の幸奈に何を伝えれば?
「……」
駄目だ。
正解なんて思いつけない。
まだ混乱している。
まいった。
本当にまいった。
「……」
幸奈のこの状態。
おそらくは、魂替の異能を使うことなんてできないだろう。
記憶を取り戻すまで、使えない可能性は高い。
つまり。
しばらくの間、幸奈はこの世界でセレス様として過ごすことになる。
セレス様も日本で暮らすことになる。
そういうことだ。
「……」
こちらの世界は、ワディン紛争の真っ只中。
その中心に記憶を失った幸奈がいる。
日本では、セレス様。
あの和見家の中でひとり。
不慣れなな世界で、ひとり暮らさなきゃならない。
できることなら、どちらの世界でも手助けしたい。
傍についていたい。
けど、俺の身体はひとつ……。
仕方ない。
今はもう、この状況に付き合うしかない。
じっくりと腰を据えて向き合うしかないんだ。
「……」
しかし。
幸奈は、日本での記憶を全て忘れているのか?
少しでも覚えているなら、それを足掛かりにできるんじゃ。
確かめる必要がある!
そのためにも、まずは幸奈とふたりで話をしないと始まらない。
話をすれば分かることもあるはず。
こんな山中で皆と一緒に行動している中、ふたりきりで話をする時間を見つけるのは難しいだろうが、何とかするしかない。
今後のことは、全て幸奈との話次第。
場合によっては、一度セレス様のもとに戻ることも……。
「おい、何考えてんだ」
「ん? どうした、ヴァーン?」
「どうしたじゃねえ。考えんのは後にしろよ。もう、ここを出るんだぜ」
「……」
「早くテポレンに入ってワディンに抜けねえとな」
「……ああ」
そうだな。
今ここで考えていても事態が変わるわけじゃない。
先を急いだ方がいい。
「メルビン、戻る前に素材を集めようぜ」
「このまま戻るなんて勿体ねえぞ」
ワディン側が出発の準備を終えようとしていたところ、冒険者側では素材採取の話が。
「ギルドに届ける証拠も必要だしよ。それに、こんな貴重な魔物素材捨てられねえわ」
「こいつぁ、高く売れるぜ!」
冒険者たちは、謎魔物の素材を持ち帰りたいようだ。
まあ、当然か。
あの蒼い鱗なんて、とんでもなく貴重な素材だろうからな。
「イリサヴィアさん、魔物素材の権利は討ち取ったあなたにあるのですが?」
「うむ。好きにするといい」
「では、お言葉に甘えて。お前ら、手早く剥ぎ取れよ」
「「「「「「「おう!」」」」」」」
謎魔物の体に取り付き、鱗を剥がし始める冒険者たち。
「外れねえぞ」
「やっぱ、硬え」
「どうすんだ、これ?」
魔力を纏っていない剣で、あの魔物の鱗を切り取るのは難しいよな。
「ワディンの皆さんは素材は不要ですかね?」
「それは……隊長?」
「「「「「隊長?」」」」」
「こっちの魔物の権利は我々ではなく、彼にありますので」
「ああ、そうでしたね」
もう1頭の魔物については、俺に権利があるようだ。
「だってよ、どうする?」
「……ヴァーンは早くここを去りたいんじゃないのか?」
「まあな。ここは何つうか、嫌ぁな空気が漂ってるからよ」
確かに。
全て終わったはずなのに、なぜか不快な感じがする。
「とはいえだ。とんでもねえ素材だからなぁ。……少しならいいんじゃねえか」
「……」
捨てるには惜しい素材ではあるよな。
時間があるなら、手に入れた方がいいのかもしれない。
「分かった。それなら、少し貰っておこう。皆さんも良ければ、どうぞ」
「良いのですか?」
「ええ、もちろんです」
とどめを刺したのは俺だが、それも皆の助力あってのもの。
分けるのは当然だ。
「では、我々も少しだけ。皆、急げよ!」
「「「「「「「「了解!」」」」」」」」
隊長の言葉を受けて、魔物の遺骸に群がる騎士たち。
さっそく鱗の剥ぎ取りを始めている。
と、その時。
「うぐっ!」
鈍い悲鳴がワディン騎士のひとりから!
「何だ!」
「どうした?」
騎士の身体からはおびただしい出血!?
そこに!!
「「「「「「「「「「「!?」」」」」」」」」」」
突如現れた、途方もない気配!
ワディンの騎士たちの背後に現れたそれは?
「グゥルオオォォォ!!!」
「「「「「「「っ!?」」」」」」」
「「「「「「「なっ!!」」」」」」」
荒々しい咆哮に大地が揺れる!
エビルズピークが震える!
そう思ってしまう程の衝撃。
「オオォォ……」
恐るべき咆哮を上げた魔物。
途轍もない気配を放つ兇悪な魔物が、悠然とこちらを睨めつけている。
こいつは!?
こいつは駄目だ。
簡単に相手できる魔物じゃない。
さっきの魔物どころじゃない。
鑑定するまでもなく、そう理解できてしまう。
「ヴァーン、セレス様を連れて下がれ」
「っ! おめえ、どうすんだ?」
「俺がこの化け物の相手をするから、その隙にセレス様と、皆と逃げるんだ!」
「いや……俺も残って戦う」
「駄目だ! こいつはケタが違う。だから逃げろ! シアもアルも、早く逃げるんだ!」
「……」
「……」
「先生……」
「いいから、早く逃げろ! 走れ!」
「……ああ、分かった」
「……はい」
「……」
「グルルゥゥゥ……」
魔物はまだ動かない。
視線を外すことなく、ただこちらを見つめている。
「メルビン、貴君らも退いた方がいい」
「イリサヴィアさんは?」
「残る!」
「……」
「こいつは、アリマと私にしか相手できぬからな」
「……分かりました。無事に戻ってくださいよ。ご武運を祈ってます」
「うむ」
剣姫が俺の傍らに歩み寄って来る。
「よいか?」
「……」
剣姫の言う通り。
こいつと戦えるのは俺と彼女だけ。
「……お願いします」
「うむ」
いや、俺たちでも危ないな。
この蒼鱗の魔物。
四足に太く長い首、長い尻尾。
そして、恐ろしく重量感のある胴体に、2つの翼。
さっきの謎魔物を一回り大きくしたような姿態だが、問題はその身体の大きさじゃない。
ステータスがとんでもないんだ!
???
???
エビルズマリス
エビルズピークの悪意
HP 813
MP 95
STR 594
AGI 171
INT 206
<スキル>
気配消去 分身 ???
MP、AGI、INTは俺の方が勝っているものの。
HPは俺の約4倍。
STRは約2倍。
おそらく、防御力も凄いのだろう。
それに、スキルまで。
「グルルゥゥゥ……」
今まで戦ってきた魔物どころじゃない。
ダブルヘッドもトリプルヘッドも、比べ物にすらならない。
エビルズピークの悪意。
「……」
勝てるのか?





