第195話 白と黒
異世界間移動でオルドウに渡った俺が常宿を出たところで。
「コーキさん、お久しぶりです」
声をかけてきたのはフォルディさん。
「お久しぶりです」
両手にいくつもの鞄を抱えている。
「今日は買い出しでしょうか?」
「ええ、それでコーキさんに挨拶をしようと思いまして」
あの病の一件以来、エンノアの方々は食材を手に入れるため定期的にオルドウに訪れるようになっている。
ただし、街に不慣れな人たちが多いので、今のところオルドウに足を運ぶのはフォルディさんを含め数人のみ。
それでもこの変化はエンノアにとって大きな一歩だと考えてもいいだろう。
「わざわざすみません」
「いえいえ、ボクがコーキさんに会いたかっただけなので」
そう言って、こちらを眺めるフォルディさん。
彼の青い目には、相変わらず好奇心が溢れている。
もう何度も会っているし話もしているフォルディさんが、いまだにこんな目をするという事実に若干戸惑ってしまうな。
「コーキさんと一緒にいると退屈しませんしね。それで、これからお出かけですか?」
「はい、少し出かけようかと」
「お邪魔でしたら、ボクは戻りますけど」
特に急ぎの用事があるわけでもない。
武志の件が一応の決着を見たので、セレス様の様子を伺いに行こうと思っていただけだ。
なら、フォルディさんも。
「シアとアルのもとへ行こうかと思っていたんですよ。良ければ一緒にどうです?」
「ああ、コーキさんとギリオンさんの弟子になったおふたりですね」
アルの腕を見るために常夜の森に赴いた際に一緒だったフォルディさん。
当然、ふたりとは面識がある。
「懐かしいですね。でも、ボクが行ってもいいのかなぁ」
「もちろんです。シアとアルも喜ぶと思いますよ」
セレス様の身元は隠す必要があるが、エンノアの方ならまず問題はないだろう。
「では、お言葉に甘えて」
「ええ、一緒に行きましょう」
そんなわけで、フォルディさんとふたりでセレス様のもとへ向かうことになった。
オルドウの大通りはいつもと変わらぬ眺め。
多くの人々が道を行き交い、活気に満ち溢れている。
同じ空気を吸っているだけで元気がもらえるような活気だ。
「オルドウは良い街ですね」
穏やかなのに活気にあふれ、居心地の良さも申し分ないと思える街。
「ええ、私もそう思います」
俺もフォルディさんもこの世界の街については詳しくはない。
なので、他の街と比べることもできないのだが、それでもオルドウは素晴らしい街だと感じてしまう。
「……」
この世界に来た当初。
オルドウはあくまで当面の拠点となる街と考えていただけだった。
それが今は……随分と愛着がわいてしまったものだ。
とはいえ、他の街を訪れたい気持ちも当然存在している。
この世界にもそれなりに慣れてきたことだし、そろそろという思いもあるかな。
「コーキさん、あそこで剣を振っているのは?」
「アルですね。庭で剣の修練をしているようです」
「はは、精が出ますねぇ」
目に入って来たのはセレス様の邸宅。
その前庭でアルが剣を振るっている。
相変わらず練習熱心だ。
このまま真っすぐ伸び続ければ、良い剣士に成長するだろうな。
「あっ!」
あっちも気づいたようだ。
「アル、頑張っているな」
「コーキさん。と、そっちはフォルディさんか。久しぶりだなぁ」
汗のせいで額に密着した茶色の髪をぬぐい、濃い蒼の眼を輝かせながら答えてくるアル。
修練中だけあって、その身体中から真っ直ぐな活力を発散している。
「ええ、お久しぶりですね。元気でしたか?」
「元気だぜ。フォルディさんも?」
「元気ですよ」
考えてみれば、あの日。
冒険者ギルドにフォルディさんがいなければ、俺がシアとアルの面倒を見ることもなかったかもしれない。
となると、セレス様と出会うこともなかった。
そうかぁ……。
フォルディさんが俺の背中を押してくれたからこそ、今のこの関係があるんだよな。
縁とは不思議なものだと、今さらながら考えさせられるよ。
「アル、お茶の用意ができましたよ。休憩して、こちらに……」
屋敷の中から現れたのはシア。
肩まで伸ばした焦げ茶色の髪とグレーの瞳を持つ貴族の令嬢。
「コーキ先生、フォルディさん!」
「シア、お邪魔してるよ」
「お邪魔だなんて、とんでもないです」
憂いのない笑顔で挨拶してくれる。
「シアさん、こんにちは」
「はい、こんにちは」
シアもアルも、セレス様を迎えて雰囲気が変わったな。
年相応の屈託のない表情も見せてくれるようになった。
「あの、ちょっと待っていてください。すぐに、お茶の用意をしますから」
急いで屋敷に戻ろうとするシア。
「姉さん、そんなに慌てんなよ」
「アルの言う通りだ。気にしなくていい。今日は様子を見に来ただけだから」
「いえ、そういうわけにはまいりません。では、お待ちくださいね」
今度こそ、足早に屋敷に戻ってしまった。
「張り切り過ぎなんだよなぁ、姉さん。コーキさんも、そう思うだろ?」
「……ああ」
シアも貴族令嬢なのに、今はまるで……。
「はぁぁ……。まっ、しょうがない」
大きなため息が消えると、照れたような笑み。
「コーキさん、フォルディさん、とりあえず、ここで待っててくれよ」
「では、ボクはこの芝生の上で待たせてもらいますね」
「俺も、そうさせてもらおうかな」
前庭に青々と息づく芝生の上。
フォルディさんと座りながら、アルの鍛錬を眺める。
穏やかな時間。
「気持ちいいですね」
「……ええ」
「……」
「……」
オルドウの街。
セレス様の屋敷。
フォルディさんにシアとアル。
……うん。
やっぱり、いいな。
この街も人も、空気も、活気も、何もかも!
この世界に来ることができて、本当に幸せだよ。
最近はいろいろと大変だったから、なおさらそう思えてしまう。
ああ、幸せだ。
とはいえ……。
日本のことも忘れちゃいけない。
あっちは、まだ完全には終わってないんだ。
「……」
武志は1週間後に和見家に戻る予定になっている
その際は、俺が能力開発研究所まで迎えに行こうと思う。
武志が研究所での一週間を無事に終え、和見家に帰って来ることができれば、今回の件は解決したと考えてもいいだろう。
壬生少年も橘も健在なので完全に事が収まったと考えることはできないが、しばらくは大きな問題が起きることもないはず。
武志も幸奈も和見家も、日常を取り戻してくれるはずだ。
それでも……。
前回の時間の流れの中で起こった武志の死が無くなると決まったわけじゃない。
本当に、あれが異能に関係していたのか。
時期的に関係していたと考えるのが妥当だろうが、断定はできない。
今この時点で、事の真相を知ることはできないのだから。
もちろん、既に前回とは多くのことが変わっている。
事が起きる可能性も高いとは思えない。
が、注意は必要だな。
「コーキ先生、フォルディさん、こちらです」
「シアさん、ボクまでいいんですか?」
「もちろんですよ。さあ、どうぞ」
お茶の用意ができたということで屋敷内に招かれ、テーブルに案内される。
白を基調とする落ち着いた空間。
大きな窓からは暖かな陽光が降りそそいでいて、とても心地が良い。
その柔らかい空気の中にセレス様。
変わらぬ凛とした佇まいが、陽光の中で一層存在感を際立たせているようだ。
「……」
やっぱり、セレス様にはこんな空間が似合っている。
魔落の岩肌の中で過ごした日々を思い出し、そう感じてしまう。
「どうぞ、お座りください」
指定された席に足を向けると。
「コーキさん、お久しぶりです」
セレス様が席を立ち、出迎えてくれた。
「クウーン」
ノワールもだ。
「セレス様、オルドウを散策して以来ですね。変わりはありませんか?」
「はい、私は。シアとアルのおかげで、楽しく過ごせております」
「それは、良かった」
新雪のように真白な肌と腰まで伸びた白に近いプラチナ色の髪、それに薄紅色の瞳。
他では見かけることもない特徴を持つのがセレスティーヌ様。
もちろん、目立つのはそれだけではない。
非常に優れた容貌に強い意志を秘めた瞳。
発する雰囲気。
次元が全く違う。
これで人目に付かないわけがない。
ちなみに、シアもかなりの美形だ。
セレスさんと一緒にいるから目立たないけれど……。
容姿も良く、性格も良い。
ヴァーンが惚れるのも納得だな。
そんなシアとセレス様。
とてもお似合いの主従だよ。
「ふふ、ありがとうございます。それで、そちらの方がフォルディ様」
「はい、こちらは私の友人のフォルディさんです。いつもお世話になっているんですよ」
「そんな、お世話になっているのはこちらの方で……。フォルディです、よろしくお願いします」
「こんな姿で申し訳ありません。私はセレスと申します。フォルディ様のお話は伺っておりましたが、こうしてお会いできて嬉しいです」
こんな姿と言うセレス様。
今は髪と顔をベールのような物で隠している。
「そんな、ボクなんか……。その、フォルディとお呼びください」
「では、フォルディさんとお呼びしても?」
「あっ、はい、それでお願いします」
セレス様のことは貴族の令嬢だと伝えただけなのだが、フォルディさんのこの狼狽えた様子。
やっぱり、セレス様は別格だな。
「それでは、セレス様。お茶をお淹れしますね」
「ええ、お願い」
席を立つシア。
お茶を淹れる仕草も手慣れたもの、か。
「ところで、セレス様。それ取っても大丈夫だと思いますよ。そのままじゃ、お茶を飲むのも大変ですし」
アルが指摘するのはセレス様のベール。
「……コーキさん?」
「ええ、私も問題ないと思います」
神娘であるセレス様の外見については、それほど知られているわけじゃないらしい。
それなら、ある意味引きこもりであるエンノアの者が彼女を見ても、ワディンの神娘であると見抜くことはまずないだろう。
それにまあ、仮に見抜いたとしても、フォルディさんが害のある行動をとるとは思えない。
それは間違いない。
ということで、ワディンの神娘であることは隠した上で簡単に事情を話し、フォルディさんには理解してもらった。
「それでは、失礼します」
ベールを外し、素顔を露わにするセレス様。
「……!?」
うん?
「白……!!」
驚愕の表情で呟くフォルディさん。
セレス様の美しさに驚いたのか?
それとも、神娘と気づいた?
「白と……黒! 白黒!!」
いや、違うか。
呟く言葉が白と黒なんだから。
「って、あ! 申し訳ありません。ボーッとしてしまって」
「……大丈夫ですか?」
「ええ、すみません。つい、見惚れてしまいまして……」
そうなのか?
「本当に申し訳ありません」
「いえ……」
それにしても。
白というのは分かるが、黒というのは?
第57話でゼミア長老たちが語っているエンノアの救世主に関する話。
『黒と白がエンノアを救う』というような予言があるようです。





