第19話 夕連亭 4
日本時間19時。
オルドウは。
「……」
窓から外を確認。
早朝に間違いない。
想定通り、3刻だな。
前回同様、今回も階下でウィルさんと話しておこうか。
早朝、食堂内に客がいない状況でも、厨房内はそれなりの喧騒に包まれている。
ウィルさんも忙しそうに働いている。
「おはようございます、ウィルさん。早くからお疲れ様です」
「あっ、おはようございます。コーキさんこそ、お早いですねぇ、よく眠れましたか」
「おかげさまでよく眠れました」
穏やかな笑顔。前回と何ら変わらない。
「そうでしょう、ウチの宿のベッドは寝心地が自慢なんですよ」
「そうですね」
「コーキさんが喜んでくれてよかったです。ああ、朝食はもうすぐ用意できますので、少し待っていてくださいね」
その後、朝食をいただき夕食までの時間を過ごす。
が、やはり何の手掛かりも得ることはできなかった。
ある程度は予想していたこととはいえ。
あまりの収穫のなさに疲労と、それにも増して焦りを感じてしまう。
そして、夕食。
「ヨマリさんとウィルさんの再会を祝して、かんぱい!」
ヨマリさんとウィルさんの3人で囲む食卓。
元気を出そうと思うのだが、なかなか難しい。
「はい、乾杯」
「乾杯。でも、その乾杯は先日もしていただきましたのに」
「乾杯は何度しても良いものですよ」
「まあ、そうですね。では、ありがたく」
前回同様の食事が始まった。
笑顔を顔に張り付けながら、2人に気付かれないように周囲の観察を続ける。
「コーキさん、ヴィーツ酒はどうですか?」
「口当たりのよい美味しいお酒ですね。何杯でも飲めそうです」
「それは良かった」
2人組の男性客が食堂に入って来た。
それを確認したヨマリさんが落ち着きを無くし始める。
この2人か……。
手掛かりを見つける最後の機会かもしれない。
「ヴィーツ酒はオルドウの特産品ですから、喜んでもらえて嬉しいです。……どうかしましたか?」
「いえ、ヴィーツ酒に似たお酒を飲んだ記憶があるような……。そんな気がしたもので」
まずい、ウィルさんに怪しまれた?
ヨマリさんは、こちらに意識が向いていない、か。
「そうでしたか、思い出したなら、そのお酒ぜひ教えてください」
「ええ」
ウィルさんは笑顔で流してくれた。
まあ、ここで怪しまれたところで問題はないだろう。
さて、件の2人組。
前回今回と夕連亭で過ごした中で、怪しいと思える者はほとんどいなかった。
それでも、あえて挙げるならこの2人組が怪しいと言える。
前回の夕食時のヨマリさんの様子。この2人連れの客に気を取られていた。その2人が今回の事件に関係あるかどうかは分からない。それでも、ヨマリさんが意識していたことは確かだ。そして、当然のようにヨマリさんは今も2人に気を取られている。
この2人組、今日のこの時間まで見かけることはなかった。
この時間になって始めてこの宿に来たのかもしれない。
その2人組だが、今のところ特に変わったところはなく周りの客と何ら変わりはない。
とはいえ、不審人物だと見なして観察してみると、まあ、そう思えなくもないかな。
ちなみに、この2人組に鑑定をしてみたところ。
人間
と出ただけだった。
これはさすがに、鑑定しなくても分かる。
時には非常に便利な鑑定だが、人に対しては使えないな。
まあ、人間以外の種族を調べるには有効かもしれないけれど。
「ヨマリさんは、お好きなのですか?」
2人組に気を取られているヨマリさん。
「えっ、ああ、私はヴィーツ酒はあまり飲みませんね」
「そうなのですか?」
「故郷の村ではヴィーツ酒はあまり見かけませんので」
「なるほど」
少し探りを入れてみるか?
「ヨマリさん、何か気になる事でもおありですか?」
微笑みながら二心ないように。
「いえ、特には……」
「そうですか」
ここから話をどう進めるか。
掘り下げてみるか?
いや……。
会話内容を大幅に変えてしまうのはリスクがある、か。
この後の流れが変わってしまうと対応が難しいから。
「母は少し疲れているのかもしれませんね。今夜は早く休んだ方がいいよ」
「そうね」
「コーキさん、ガンドはいかがです?」
会話内容が前回と同じものに戻っていく。
それはそれで安心できてしまう。
不思議なもんだな。
「これも美味しいですね」
「どうぞ、たっぷりお召し上がりください」
「ありがとうございます」
結局、決定的な情報を手に入れることはできなかったが、それでも酒の入ったウィルさんからいくつかの情報を手に入れることには成功した。
今夜の宿泊客が俺以外に8組いるということ。その内、3組は常連客だということ。
ウィルさんたち従業員は11刻(22時)から11刻半(23時)には就寝すること。
ヨマリさんは、宿でひとり何かを考え込んでいる時間があるとのこと。
明後日には故郷の村に戻ること。
などなど。
ちなみに、あの怪しい2人組は常連客ではない。
ウィルさんが言うには、面識がないとのことだ。
明らかに、ヨマリさんは知っていそうなのだけど、ウィルさんは知らないということなんだろうな。
……。
大した情報ではないが、何もないよりはましだな。
しかし、通常なら11刻半には就寝するウィルさんが、なぜあんな時間に食堂にいたのだろうか。
24時から厨房に籠ろうと考えていたが、ウィルさんの部屋を見張った方がいいのか?
いや、従業員室の前で見張るのは現実的ではないな。
24時になった。
どうすべきか悩んだが、ここは初志貫徹。厨房の一隅に隠れることにする。
忍び足で1階に降り食堂へ向かう。
前回と違い扉は閉まっている。物音もしない。
夕食後、ウィルさんの部屋の前で見張りはできないものの、ずっと神経を集中して宿内の音に耳を傾けていた。今のところ、何も起こっていないはずだ。
突発的な事態にも対応できるよう身構えながら、ゆっくりと扉を開ける。
「……」
よかった、まだ何の異状もないようだ。
ホッと胸をなでおろす。
食堂の中に足を踏み入れる。
前回同様にうっすらと明かりが灯っている。
そして、これは、違和感?
「……」
思わず足が止まってしまう。
前回も感じたような気がする、この違和感。
全く見当がつかない。
「……」
食事時にはほとんど感じることもないのだが、前回に続き深夜の食堂ではなぜだか感じてしまう。
とはいえ、今はもうあまり感じない。
すぐに消えてしまう程のものでもあるし、身体に問題もない。
うーん?
ひょっとすると、精神的なものなのか?
警戒心のあまり、感じてしまうとか。
考えても無駄だな。
そんなことより、今はすることがある。
食堂内を歩き問題がないか確認した後、厨房に入る。
当然のことながら、厨房内にも誰もいない。
厨房の一隅、食堂内からは簡単に見えないが、食堂入り口を監視できるような場所に腰を下ろす。
「ふぅ~」
ここまでは予定通り。
問題なのは、俺が隠れているのを看破されないかということ。
この世界には気配を察知したり消したりすることに長けている者がいるのかもしれないからな。
そんな者が襲撃してくるとなると、隠れている俺に気付く可能性もある。
もちろん、俺も気配を消すことくらいはできる。どちらかというと、得意なくらいだ。
伊達に30年も異世界を想定して武術を修行していない。
ただ、それがこのオルドウで通用するかどうかが問題だ。
ゆっくり深く呼吸をし、己の気配を薄めていく。
「……」
可能な限り気配を消して、あとは待つだけ。
オルドウの時間に合わせた時計を眺める。
俺が首を斬られた時間まで約2時間。
それまでの間にウィルさんが食堂に入って来るはずだ。
「……」
あの時は背後に人の気配など感じなかった。
ウィルさんの姿に動揺していたので気付かなかったと思っていたが、あの時俺が食堂に入った時点で第三者が食堂内にいた可能性もある。
ということは、ウィルさんの前に誰かが入ってくる可能性もあるな。
まあ、いずれにしても己の気配を操ることに長けた者がいるということだろう。
自分の気配を自在に操ることができる手練れか。
「……」
そんな奴とこれから対峙するんだな。
武者震いするような興奮が俺を包んでくる。
が、それと同時に。
「……くっ」
少し息が苦しくなってしまう。
「はあ」
ずっと考えないようにしていたけれど。
この厨房、この薄明かり、否応なくよみがえるあの記憶。
……。
だめだ、考えるな。
「はあ、はあ」
苦しくない、大丈夫だ。
この息苦しさなんて、脳の作り出したまやかし。
それに、リセットがある。
いざとなれば戻れるんだ。
だから、落ち着け。
……。
大丈夫。
そんなことより、今はウィルさんを助けることだけに注力するんだ。
それだけに心を傾ける。
そう、それだけ。
約1時間経過するも何も変わりがない。
「……」
ある程度、この状況に慣れてきた俺が厨房内を眺めていると、どうにも気になるものが目に入ってきた。
厨房の片隅にある台座の上に置かれた円柱形の木彫りの物体。
半径4、5センチ、高さ20センチほどのそれは、何と言うかこの厨房に似合わない。
表面に文様が彫られており、それが顔にも見えるため、こけしのように感じてしまう。
が、角度を変えてみると厳かな雰囲気の彫り物にも見えてくる。
……。
何とも気になってしまう。
以前の時間の流れの中で異世界に行くために、こんなようなものを集めていたことがある。
が、まだこんな物に興味を持ってしまうなんて。
手に取らずにはいられない。
円柱形の木彫りに手を伸ばし、その表面を手で触れる。
「痛っ!?」
次の瞬間、静電気のようなものが指先に走り、手を引いてしまう。
と……。
ガタン!
木彫りが台座から床に落ちてしまった。
まずい、この音で俺が隠れていると気付かれる。
動揺しながらも、身を潜め、気配を消し、しばし時間を過ごす。
「……」
冷汗が頬をつたう。
「……」
シャツが汗に濡れる。
「……」
大丈夫……か?
特に変化は見られない。
幸いなことに、食堂の近くにはまだ誰もいなかったのだろう。
ホッと安心した俺の目の前には床に落ちた木彫り。
注意して手に取ってみると、静電気は流れなかった。
それは良かったのだが、木彫りを確認してみると……!?
ひびが入っていた。
……。
台座に戻し、再度確認するも、ひび割れに変わりなし。
これ……安物じゃないよな。
それなりに高価な品物に見える。
仮に高価ではなかったとしても台座に飾ってあるくらいだから、大切な品なんだよな。
「……」
少し乾いていた背中を冷汗がまた湿らせる。
いや、待て、この台座から落ちたくらいでひび割れするか?
元々あったキズなんじゃないのか。
そんなわけない……か。
……謝って弁償しよう。
って、今はそれどころじゃないんだった。
食堂内を見渡すが。
……。
変わりはない。
よかった。
しかし、こんな場面で何やってんだか。
緊張感なさすぎだ。
「……」
とはいえ、これで気が楽になったのも確か。
今回は怪我の功名ということにしておこう。
と思って数分後。
食堂の入り口の方からかすかに音が聞こえてきた。足音?
扉を開け入って来たのは、ウィルさんとヨマリさん。
「母さん、こんな時間に何なの?」
「話があるって言ったでしょ」
「部屋ですればいいのに」
「ここの方が誰にも聞かれないわ」
「そうだけど……。ふぁ~」
「人前でそんな欠伸しないの」
「母さんしかいないでしょ」
「それでもよ」
「その話の前にひとつ聞きたいんだけど、そもそもどうして急にこっちに来たの?」
「それは、あなたと話をしたかったからよ」
「嘘ね。お母さんの嘘は分かりやすいから」
「嘘というわけではないけど……」
「それはもういいから。で、オルドウにどんな用事があったの」
「……予言よ」
「え?」
「あなたも知っているでしょ。予言の確認に来たの」
「お母さん、まだそんなの信じてたの」
「……」
「そんなの、でたらめだって」
「……」
「それで、何か見つかったの?」
「多分……。でも、まだ分からないわね」
「どうせ見つからないよ」
「そんなことないわ、ウィル」
「もう予言なんて無視しちゃえばいいのに」
「……」
「まあ、予言はどうでもいいから。それで、お母さんの話って何?」
「それは……」
「何?」
「あなたのお母さんとお父さんの話よ」
「母さんは母さんじゃない」
「ありがと。でも、何を言いたいのかは分かるでしょ」
「……」
「あなたの本当のお母さん、私の姉ユマリはあなたを産んですぐに亡くなったわ。父親も既に亡くなっている、そう話していたわよね」
「それで何。どうして急にそんな話をするの?」
「話す必要ができたからよ」
「どういうこと?」
「それも含めて話すから聞いてちょうだい」
「……分かった」
これって、聞いていい話なのか。
耳を塞ぐべきなんだろうか。
でも、そうすると襲撃者の立てた音を聞き逃すかもしれないし。
とりあえず、このまま……。





