第187話 魂を揺らす者 4
拾ったナイフを古野白さんの首にあてたまま壬生少年が口を開く。
「有馬さんが仲間になってくれないというのなら、この美しい肌に傷がついちゃいますよぉ」
「そ、んな、こと、し、てみろ」
「ぼくはこの人たちに興味はありませんし、そもそも有馬さんに恨まれたくはないので、ホント、こういうことしたくないんです」
「……」
「でも、有馬さんがぼくの話を聞き入れてくれませんから」
お前の仲間になどなれるはずないだろ。
「それとも、聞き入れてくれるのかな?」
「……」
「残念だなぁ。これはもうね、有馬さんの責任ということで」
「や、めろ!」
「そう言われてもねぇ」
ナイフが薄く首をなでる。
そして……。
にじみ出た鮮血が古野白さんの首を伝う。
「!?」
「ああ、大丈夫ですよ。薄皮一枚切っただけですから」
こいつ……。
けど、古野白さんは、どうして目覚めない?
あれくらいの傷じゃ駄目なのか?
「気持ちは変わりましたか?」
「……」
俺を仲間に引き入れたいという壬生少年。
それを考えての行動だとするなら……。
俺の心証を害することを避けるため、過度な行動は取らないはず。
なら、古野白さんの命を奪うことまではしない、はず。
だが……。
「まだ足りないようですねぇ」
「……」
どうする?
まだ動けないのに。
震えが止まらないのに。
「ぅぅ……」
古野白さんを傷つけられたくない。
それに、それだけで済まないかもしれない。
あとで治癒魔法で治せる程度ならまだしも、それ以上なら……。
「では、今度はこの綺麗な顔に傷がつきますよ。それとも、他の2人にしましょうか?」
「ま、て!」
さっきから気と魔力を体内で循環させようとしているが……。
震えで集中できない。
こんな状態では、動けるまで回復するのにまだまだ時間がかかる。
回復したとしても、直後に再度揺魂を使われたら……。
また同じことが起きるのか?
「ぼくが聞きたいのは、そんな言葉じゃないんですよ」
「……」
この状況を打開するためには?
「……」
もう……。
露見を心配している場合じゃないな。
その段階は過ぎている。
ならば、覚悟を。
覚悟を決めるしかない!
「……」
魔法を使うか?
雷撃を?
いや、この震えじゃ、それも難しい。
「はぁ~~、意固地だなぁ」
「……」
「何度も言いますけど、有馬さんが悪いんですからね」
ナイフが古野白さんの頬に近づく。
「やめ、ろ!」
「だから、そんな言葉ではやめませんって」
「……」
……仕方ない。
とっておきの、切り札を使ってやる!
アイテム収納から現出させた透明の宝珠。
紫がかったそれを震える手の中に。
この状態でも、宝珠を握りしめることはできる。
震える口でも文言は唱えられる。
魔法と違い、集中力が要らないただの詠唱なら!
「エ、リ、ルエ、イル」
文言を。
震えながらも、ゆっくりと囁くように確実に文言を。
「何です? 何を喋ってるんです?」
「ベ、ア、サマ、メ」
ナイフの動きを止め、こちらを怪訝そうに眺める壬生少年。
「ニケ、アイ、ニシャ」
「有馬さん、大丈夫ですか? 頭でも打ちました?」
頼む。
この詠唱で発動を。
「リ、ゼンタ、リネ、ムソウ」
完了!
発動してくれ!
「何を……って、えっ!?」
カラン、カラン。
壬生伊織の手から滑り落ちたナイフが床に転がる。
余裕の消えた顔は強張り。
動きは止まり。
そして……。
壬生少年が受け身をとることもできず、顔から床に崩れ落ちた。
「う、う、ヴヴ、ううぅぅ」
「う、ごけ、な、い、だろ」
「ヴヴ、ぅう……」
「しゃ、べ、る、こと、も」
そうだったな。
俺は喋ることができたが、通常これが作用している間はまともに話すことすらできないんだった。もちろん、指ひとつ動かすこともできない。
それが宝珠の力。
国宝とも称される奇跡の宝具、マリスダリスの刻宝の力だ。
マリスダリスの刻宝。
夕連亭の戦いでは、オルセーにこいつを使われて酷い目にあった。
あの時は、身体の回復が少しでも遅れていたら、どうなっていたか分からない。
加護のおかげか体質のおかげか、理由は分からない。
ただ言えることは、夕連亭の戦いでは運が良かったと、それだけだ。
それでまあ、オルセーを倒した直後、密かにこの宝具を手に入れていたんだよ。
ああ、ウィルさんたちにはマリスダリスの刻宝は壊れたと伝えている。
そこは、昔身に付けた手品の技術でさらっと。
本当に大変な戦いだったんだ。
オルセーにこの危険な宝具を返す気にはなれない。
なら慰謝料として、いや迷惑料として、これくらいもらってもいいだろ。
これくらいというには貴重に過ぎる宝具だけれど……。、
ちなみに、この宝具。一度使うと次の使用までに長い時間が必要だと言われている。
ただ、色々と調べてみた結果、それは使用後に消失したマリスダリスの刻宝内の魔力が自然回復するまでに時間がかかるというのが原因だと分かったんだ。
なら、人力で魔力を注入してやればどうなるのか?
それも試したところ、魔力を注ぎ続けているうちに使えるようになったというわけだ。
とはいっても、このマリスダリスの刻宝は発動するために膨大な魔力を必要とするので、自分の魔力を何日もの間注ぎ続けなければいけない。
来る日も来る日も魔力を注いでようやく使用可能になる、非常に燃費の悪い代物ではある。
「ヴヴ、ううぅぅ」
これで、同じ状況になったな。
「ううぅ、ヴヴぅぅ」
いや、俺の方がましか。
動けない、喋れないという状態のあいつと比べたらな。
「うううぅぅ」
マリスダリスの刻宝の効果時間は平均して15分ほどだから、あいつは当分動けないはずだ。
対して、俺の震えは少しずつ治まってきている。
もうしばらくしたら、動くこともできるだろう。
「ううぅぅ」
「……」
「ううぅ」
この状況。
よく考えると間抜けな眺めだな。
いい大人が、しかも異能を使える超人たちがこうして意識を失って床に伏せっている横で、俺と壬生少年も動けず対峙しているという状況なのだから。
実際は、恐ろしく特別な異能と異世界でも非常に貴重な宝具を利用した高度な戦闘なのに……。
「ううぅぅぅ」
動けない2人、床に伏せった壬生少年と床に膝をついた俺がただ睨み合っているだけ。
見た目には地味なことこの上ない。
「……」
睨み合っているだけの冷戦か。
少し笑えてくるな。
とてもそんな状況じゃないのに笑えるってことは、余裕が生まれたってことだ。
2分経過。
俺の震えはかなり治まってきた。
壬生少年はまだ喋ることもできない。
5分経過。
手足を動かしてみる。
よし、悪くない。
もうすぐだ。
「うぅ、あり、ま、さぅ」
おっ!
「やって、うれま、ぅぅ、したね」
聞き取りづらいものの、辛うじて喋れる状態にまで回復したか。
思っていたより早いな。
それでも、まだ動ける状態じゃない。
「……お互い様だ」
こちらは、もう問題なく喋ることができる。
そろそろ動くこともできるだろう。
動けるようになったら異能抑制具をつけて拘束してやるからな。
待っていろよ。
〇マリスダリスの刻宝
夕連亭でオルセーが使用した宝具。対象の動きを封じる効果を持つ貴重な宝具。
第153話後半で幸奈が興味を抱いた玉石がこの宝具であったため、功己は
手渡すことができなかった。





