第172話 オルドウ散策
「それで、何を買われる予定なのですか?」
ギルドに向かうシアとアルを見送った後。
セレス様が身支度を整えるのを待ち、俺たちも大通りの方へ足を向ける。
「衣類と日用品を購入するつもりなのですが、すぐ終わりますので」
「ああ、時間は気にしないでください」
「ですが、コーキさんも予定があるのですよね?」
「それはまあ……急ぎではないので、問題ないです」
冒険者ギルドには行けないと言った手前、アルとシアには用事があると伝えただけ。本当は何の用事もないんだよ。日本時間の朝までは全くの自由なのだから。
「そうなのですか?」
「はい。今日はセレス様のお供をしますよ」
「ふふ、ありがとうございます」
「では、衣料品店を回りましょうか」
「はい」
ということで、セレス様と共に衣料品店や雑貨店などを回り、必要なものを買いそろえることに。
若い女性の買い物。
それも高位貴族であるセレス様の買い物なのだから数刻はかかるだろうと、長期戦を覚悟していたのだが、意外なことに買い物はあっという間に終了してしまった。
すぐ終わるというセレス様の言葉通り。
開始から終了まで1刻もかからなかった。
というのも、買い物に慣れていないセレス様が店員に勧められるままに品物を購入してしまったからだ。
迷うこともなく即決で購入。
衣料も雑貨も全てそう。
そりゃあ、早いというものだ。
「コーキさん、それでは帰りましょうか」
「今帰ってもシアとアルは戻っていませんよね」
「そうですね」
「でしたら、オルドウの街を少し散策しませんか?」
「えっ、よろしいのですか?」
「もちろんです」
「嬉しい!」
ワディン領を脱出してテポレン山を越え、魔落を経験したセレス様。
こうして無事オルドウに到着した今も、フードで顔と髪を隠している。
万が一にも、セレス様の存在を知られるわけにはいかないから。
オルドウにワディンの神娘が潜伏しているという噂が市井に広がり、そこからレザンジュ王家に伝わる可能性もあるのだから。
気の休まる暇もないよな。
「……」
それでも、今はできるだけ楽しく過ごしてもらいたい。
「コーキさん、お願いします!」
「ええ、行きましょう」
それに……。
約束していたからな。
「……」
セレス様は……。
セレスは俺とオルドウの街を歩きたいと言っていた。
一緒に歩くと約束もした。
魔落脱出後に、一緒にオルドウを散策すると!
「……」
果たせなかった約束。
セレス。
セレス……。
今はここにいないセレス。
見てるかい?
今俺が一緒にいるのは君じゃない君だけど。
こんな形になってしまったけれど。
約束は守ったよ。
そう思ってくれるかな。
「コーキさん」
「……はい」
雑貨店を出て、大通りを歩くセレス様と俺。
「オルドウの街では、何が有名なのでしょう?」
「エスト大教会ですかね。今はそこに向かっていますので」
「本当ですか?」
「ええ」
「楽しみです!」
言葉通り楽しそうに足を進めるセレス様。
テポレン山でも魔落でも、こんな風に歩く姿を見たことがない。
これひとつ取っても、散策して良かったと思える。
嬉しくなってしまう。
「……」
オルドウの街に出たのは正解だったな。
一緒に買い物に来て良かったよ。
心からそう思う。
思うけれど……。
また、よみがえってくる。
……。
……。
セレス。
君もこうして歩いたんだろうか?
屈託のない笑顔で、軽い足取りで、憂いなんか感じることもなく。
オルドウの街を歩けたんだろうか?
今となっては分からない。
分からない。
……。
……。
……。
いや、違うな。
目の前に答えがある。
答えがあるじゃないか。
今は、そう。
このセレス様が微笑んでくれれば十分。
それでいいんだ。
情けなくも複雑な思いを消化しながら、歩き続けること数分。
「セレス様、ちょっと待っていてもらえますか?」
「はい?」
セレス様の足を止め、道端の店に。
「ヴィーツを2つお願いします」
30年前のあの時。
そして、オルドウに戻って来た時にも立ち寄ったあの店だ。
「あいよ。2つで、5メルクだ。今日のは美味いぞ」
変わらぬ威勢で答えてくれるおやじさん。
頬が緩んでしまう。
「ありがとうございます。セレス様、これを」
セレス様のもとに戻り、ヴィーツをひとつ手渡す。
「これは?」
「ヴィーツという果実です」
「はあ」
「ほら、こうして食べると、なかなか美味いんですよ」
簡単に説明する俺を前に、セレス様が動きを止めてしまった。
片手に持ったヴィーツを、困惑の目で見つめている。
「……」
そうか。
貴族のお嬢様は、店で買い食いなんかしないよな。
皮がついたままのヴィーツを見るのも初めてかもしれない。
魔落で過ごした日々のことがあるから、どうしても勘違いしてしまう。
「帰ってから食べましょうか」
「コーキさんは、ここで食べるのですよね?」
「あとでセレス様と一緒に食べますよ」
「……その、いつもは、ここで? 歩きながら食されるのですよね?」
「ええ、まあ」
「でしたら、私も食べます!」
一大決心をしたような表情を見せてくれるセレス様。
ヴィーツを食べるのに、そこまで意気込まなくてもいいんだよ。
「無理されなくても……」
「無理ではありません。食べたいのです」
「そう、ですか」
「はい! いただきます!」
その言葉の勢いとは真逆のゆっくりとした動作でヴィーツを口に運ぶ。
小さな唇で、ついばむようにヴィーツを口にするセレス様。
「おいしい……。美味しいです、コーキさん!」
「口に合って、良かったです」
「本当に美味しい。甘くて、少し酸味があって爽やかな味がします」
ヴィーツを気に入ってくれたんだな。
「コーキさんのお気に入りの果実なんですね」
「ええ。お気に入りの、思い出の果実なんです」
「思い出ですか?」
「私がオルドウを初めて訪れた際、最初に口にしたのがこのヴィーツなんです。しかも、今の店で買ったヴィーツなんですよ」
「それは……。私もです! このヴィーツ、オルドウの大通りで初めて口にした食べ物です!」
「一緒ですね」
「はい、コーキさんと一緒!」
満面の笑みで答えてくれる。
こっちまで嬉しく楽しくなってしまうような笑顔だ。
本当に……。
そんな笑顔のセレス様と歩くこと数分。
エスト大教会に到着。
壮麗な門から聖堂の中に入ると、左右に祀られた多くの神像が目に入ってくる。
やはり、立派なものだな。
「なんて荘厳な……。コーキさん、素晴らしいです」
「ええ、厳かな雰囲気がありますよね」
「はい。ワディナートにある大聖堂もここまででは……」
主神像の前で立ち止まり、感嘆の息を漏らすセレス様。
「とても、とても素晴らしいです!」
「……」
神娘であるセレス様が言うのなら、間違いない。
ここは、この世界の中でも有数の教会なのかもしれないな。
とはいえ、真に神様の領域というわけでもない。
セレス様も俺もトトメリウス様の神域に足を踏み入れているのだから、そこがどのようなものかは理解している。
それでも、素晴らしいと感じさせるものがこの教会には存在する。
セレス様も、そう思っているのだろう。
「ここに、ローディン様が!」
中央に祀られている主神エスト神像から左に3番目。
それが、セレス様が信仰する豊穣の神ローディン様の神像らしい。
「……確かに、ローディン様です」
さっきまでとはまた違う驚嘆の表情。
いや、畏敬の表情か。
「ローディン様を感じます」
「……」
「ここにローディン様が……」
言葉を切り、目を瞑ってしまった。
そのまま静かに祈りをささげている。
ローディン神の加護を持つセレス様だ。
何か感じるものがあってもおかしくはない、か。
「ところで、コーキ様。こちらには、トトメリウス様の神像がございませんが?」
ローディン神像の前を離れ、建ち並ぶ神像を一通り眺めたセレス様が戸惑いを見せている。
今日のセレス様はコロコロと表情が変わるんだな。
「どうしてでしょう?」
「キュベリッツ国内では、トトメリウス様は一般的ではないようですね」
エンノアの地下の広場には立派なトトメリウス様の神像が祀られているが、この教会でその姿を見ることはできない。
「そんな……残念です」
ローディン神に加え、トトメリウス様からも加護をいただいているセレス様は、ここでも祈りを捧げたかったのだろう。
「この広場も、とても美しいですね」
教会を出た後、足を運んだのは通りの中央に位置する大広場。
広場を囲むように設置された花壇には、多くの種類の草花が植えられている。
自然に囲われた心地良い空間だ。
「皆さんは、このような場所で食事もされるのですか?」
「ええ、オルドウではこの広場で軽食をとる方も多いみたいですよ」
「広場で食事! 初めて知りました」
この大広場の一画には、複数の屋台が出店している。
そこで購入したのだろう、軽食片手に談笑する市民の姿があちらこちらに。
「外で食事を……」
セレス様の瞳の中、好奇心が隠しきれていない。
「では、ここで初めてを口にしてみましょうか」
「えっ?」
「それとも、持ち帰ります?」
「……食べたいです。この広場でコーキさんと一緒に!」
セレス様が手にしているのは、屋台で購入したクレープのような軽食。
生地が何で作られているのかは分からないが、とろけたチーズとハーブなどで味付けされたミンチ肉がクレープやガレットのように包まれている。
「……あっ」
恐る恐るといった感じで口にしたセレス様。
「美味しいです。少し味が濃いですが、本当に美味しい。食べたことのない味です」
気に入ってくれたようだ。
「チーズが口の中でとろけて、それにお肉も美味しい!」
屋台の食事は成功だったかな。





