第151話 帰還
「セレス様に伝えるべきことは、これで全て話し終えたと思います」
「そう、なのですね……」
トトメリウス様の神域からテポレン山の麓に転送してもらったセレス様と俺。
1回目と同様、シアたちと合流する前に諸々の事実確認、説明などを行ったのだが……。
セレス様は完全には納得していないようだ。
まあ、それも当然のことかもしれない。
2度に渡り時間を遡行した俺とその経験のない今のセレス様の間には、微妙な齟齬が生じているだろうから。
リセットにしろ、時間遡行にしろ、新たな世界ではよくあること。
もちろん、理解はしている。
「分かりました」
「……」
「コーキさんの話すことですものね。きっと、それが正しいのでしょう」
怪訝な面持ちが消え、全てを飲み込んだように屈託のない笑みを浮かべるセレス様。
ありがたいことだな。
1度目と違い、今回は魔落で共に過ごした時間もそこまで長くはない。
深い話もしていない。
それなのに、こうして俺を信じてくれるのだから。
「予知も祝福も加護も全てありがたいことです。自覚はありませんでしたが、私の身体のことも……」
神娘の力を不完全ながらも使えるようになったこと。
トトメリウス様とローディン様の加護のこと。
そして、セレス様を蝕んでいた禍根を絶ったこと。
「これもトトメリウス様とコーキさんのおかげです。感謝しております」
「いえ、私は何もできませんでしたよ。全てトトメリウス様のお力です」
時間を遡行しても、俺の力だけでは無理だった。
トトメリウス様の超常の力があればこそ、なんだ。
「そんなことはありません。コーキさんがいたから、私の傍にずっといてくれたから、だから私は……。とにかく、感謝を受け取ってくださいね」
それでも、こうして感謝と笑顔を見せてくれる。
「……」
このセレス様は1度目のセレス様ではない。
共に語り合った時間は長くないし、冗談を言って笑い合ってもいない。
魔物との戦闘で傷ついた俺を見て、自分を責めていたセレス様じゃない。
自暴自棄になりかけたセレス様じゃない。
あの苦難の日々を一緒に乗り越えた記憶もない。
「……」
すました顔。
少しすねた顔。
頬を膨らませた顔、傷ついた顔。
泣きそうな顔、怒った顔、優しい顔。
失望した顔、決意に満ちた顔、儚い笑顔。
そして……。
満開の花を思わせる可憐な笑顔。
俺にいろいろな表情を見せてくれたセレス。
あのセレスは、もういない。
なのに……。
あの笑顔と同じ笑顔。
そう見えてしまう。
思ってしまう。
俺は……。
「コーキさん?」
「……分かりました。セレス様のお気持ち、喜んでいただきます」
「はい!」
本当に眩しい笑顔を見せてくれる。
この笑顔を守れて良かった。
「……」
失くしたものは確かに存在する。
あれは、二度と戻って来ないだろう。
けれど、これで充分。
充分なんだ。
今はそう思うよ。
「……では、まいりましょうか」
「はい、下山しましょう」
共に足を踏み出す。
1度目も2度目もかなわなかった下山。
この地点を越えることができなかった。
そこを今。
セレス様と俺はついに越えることができた。
「セレス様! よくご無事で! 本当に良かったぁ!!」
「シア、心配を掛けましたね」
「わたしのことなんて、そんな……」
「シア……」
テポレン山を下った先、常夜の森との狭間にあるあの場所。
シア、アル、ヴァーン、ギリオンたちが待っていてくれた。
日暮れがすぐそこまで迫っているのに、この時間まで待っていてくれたんだ。
火魔法による合図でセレス様救出を伝えていたとはいえ、ありがたいことだよ。
「セレス様!」
「シア!」
ようやく再会を果たすことができたセレス様とシア。
お互いに感無量といった感じで見つめあっている。
傍らには、これもまた嬉しそうなアル。
見ているこちらも嬉しくなってくる。
その思いは、ヴァーンとギリオンも同じようだ。
「良かったなぁ、シア」
「……」
「ギリオンもそう思うだろ」
「いーや、良いも悪いもねえな。んなの当然だかんよ。コーキが迎えに行ったんだぜ」
「そういうことじゃねえだろうが。お前、あれを見て何も思わねえのか」
「……けっ」
ギリオンは相変わらず。
素直じゃないな。
「ところで、その犬は?」
「ああ、ちょっと……まっ、色々あって飼うことになったんだ」
「色々って、この短時間にか?」
「それは……また今度な」
「話したくないなら、別にいいけどよ」
悪い。
簡単に説明できるようなものじゃないんだ。
「で、名前は?」
「ノワールだ。ノワール、ヴァーンとギリオンに挨拶を」
「ワン!」
「おっ、賢いやつだなぁ」
「おう、なかなか可愛いぜ」
ふたりもノワールを気に入ってくれたようだ。
「それで、どうだった、コーキ。彼女はすぐに見つかったのか?」
「ああ……そんなに時間はかからなかったかな」
この時間の流れの中では、そういうことになる。
「もう戻ってんだから、聞くまでもねえだろ。っとに、おめえは分かってねえな」
「こっちは、分かってて確認してんだ!」
「はぁ! バカじゃねえか。んな意味ねえことをよ」
「意味あるんだよ。まっ、単細胞ギリオンには、分かんねえだろうけど」
「んだと!」
相変わらずじゃれ合ってるよ、このふたりは。
セレス様たちとは対照的な光景に、違う意味で頬が緩むよな。
あっちは。
「セレスティーヌ様、本当に無事で良かったです」
「アルも、心配してくれてありがとう」
「そんな、当然ですよ」
「ふふ、そんなことありません。嬉しいですよ」
「セレスティーヌ様」
こっちは。
「てめえ、やんのか!」
「おう、上等だ!」
ホント、バカな2人だ。
見ていて飽きないやつらだよ。
とはいえ、今は止めた方がいいだろう。
後ろにいる冒険者2人のことも紹介してもらわないといけないしな。
と思っていたら。
「ヴァーン、ギリオン、それくらいにして俺たちのこと紹介してくれよ」
「そうよ、あんたたち。いつまでバカやってんのよ」
その2人が止めてくれた。
「……ああ、そうだったな。コーキ、こっちの2人はサージとブリギッテ、ダブルヘッドの解体を手伝ってもらってたんだ」
「サージだ、よろしくな」
「ブリギッテよ」
「サージさん、ブリギッテさん、コーキです。今回はありがとうございました」
「いや、まあ、なんだ。下心もあったしな」
「そうよ。気にしないでいいわ」
「はあ……」
下心ってなんだ?
「コーキ、こいつらダブルヘッドの素材を狙ってんだよ」
ああ、そういうことか。
「なっ、失礼ね。私はそこまでは言ってないわよ」
「じゃあ、要らねえのか?」
「……」
「要らねえんだな」
「それは……要るけど」
「ほら、狙ってんじゃねえか」
「狙ってないけど欲しいだけよ。あんた、分かるでしょ」
「それ、狙ってるっていうんだぜ」
「……」
素材のことは俺にはよく分からない。
分配については、ヴァーンに任せればいいかな。
「ヴァーン、サージさんとブリギッテさんにも渡してくれ。詳しいことは任せるよ」
「……いいのか?」
「もちろん。ヴァーンとギリオン、シアとアルの取り分も任せるわ」
「おい、全部俺が決めるのかよ?」
「頼む、さすがに今日は疲れたからさ」
「ほんとに俺でいいんだな」
「ああ」
「……分かった」
「ヴァーンさん、俺はどこをもらえるのかな?」
「ヴァーン様、私は?」
「お前らなぁ……」
こっちはヴァーンに任せればいい。
で、今はそれより……。
懐から取り出した懐中時計を眺めてみる。
そろそろ2時間だぞ。
「……」
魔落(神域)で過ごした時間を除けば、今まさにこの時。
時間遡行であの崖下に戻ってから2時間が経過しようとしている。
セレス様が越えることができなかった時間だ。
場所としては、麓のあの地点。
時間としては、崖下からのこの2時間。
2度とも越えられなかった壁だ。
「……」
トトメリウス様の力を疑っているわけじゃない。
大丈夫だと思っている。
それでも、やはり気になってしまう。
本当にここを越えることができるのか?
切り抜けることができるのか?
セレス様が無事に?
その不安が今。
「……」
今、まさに今。
越えた!
セレス様は、無事だ!
あぁ……。
よかった。
本当によかった。
「……」
これでもう大丈夫。
俺はセレス様を救うことができたんだ!





