第15話 リセット
……もう。
…………。
今にも途切れそうな意識の中。
『リセット』
ねんじ……た…………。
「はっ!?」
「はあ、はあ」
呼吸ができる!
「はあ、はあ」
寒くない!
「はあ、はあ、はあ」
い、生きてる!
「はあ、はあ」
よかった!
生きてる!!
……。
……。
……。
正気に戻るまで、どれくらいかかっただろう?
10分とも1時間とも思えてしまう。
もし他人が見ていたら奇妙な光景だったはずだ。
両手、両膝を地面についた男が、荒い息を吐きながらずっと身動きもしないでいたのだから。
しかし、今はこういうことを考えることができる程には回復している。
……。
とんでもない経験だ。
でも、こうやって戻って来ることができた。
そう、ここは。
周りには誰もいない。
ここはあの路地裏。
「……ここに戻ってきたのか」
リセットのおかげだ。
だから、セーブしていたこの場所に戻って来ることができた。
よかった。
……。
結局、セーブに助けられたのか。
セーブとリセットはなるべく使わないとエラそうなことを考えていたのに。
情けないことだ。
でも、今回は命が懸かっていた。
仕方ないことだった、か。
……。
あの時、背後から…。
何が起こったか分からないまま力が抜けてしまったけど、おそらく首を斬られたんだよな。
「ぐっ」
思い出すと、喉が詰まるような感覚がよみがえる。
「はあ、はあ」
死にかけた。
もう死ぬ直前だった。
セーブしていなかったら、確実に死んでいたんだ。
あの、息のできない苦しさ。
凍えるような寒さ。
暗闇に落ちる恐怖。
死の恐怖。
「はあ、はあ、はあ」
考えるだけで、息が苦しくなってくる。
だめだ、足に力が入らない。
まだ動ける気がしない。
もうしばらく、ここで……。
路地裏で少し休んだのち、大通りに出る。
ある程度、正常な状態に戻ったと思っていたんだが。
「だめだな」
ステータス上は身体に異状がなくとも、心が拒絶してしまう。
大通りを歩いていると夕連亭のことが頭に浮かび、足がすくむ。
「あぁ……情けない」
けど、まだ歩く気になれない。
ゆっくり休みたい。
戻るか。
いちど家に戻って、ゆっくり考えよう。
「異世界間移動」
……。
えっ?
発動しない?
どうして??
……ああ、そうか。
そうだった。
リセットで戻ったこの時点では、日本からこちらに来たばかり。
初日の朝という状況なんだった。
ということは、あと12時間近くもこちらで過ごさなければいけない。
……。
今は何もする気が起きない。
かといって、あの路地裏に12時間も留まっていることもできない。
足は重いけど、宿に入ろう。
夕連亭以外の宿に。
「功己、いつまで寝てる気? 今日は大学行かないの?」
開いたドアから軽くない湿気を帯びた初夏の空気が流れ込んでくる。
だるいな……。
「……今日は休む」
「どうしたの? 体調でも悪いの?」
「ちょっとね」
「熱でもあるの?」
「ないよ、疲れただけ。寝れば治るからさ。母さんは気にせず仕事に行って」
「そう……。まあ、ゆっくり休みなさい」
ドアを閉めて母さんが出て行く。
「……」
寝てばかりだ。
異世界間移動が使えなかったあの後、最初に見つけた宿に入って部屋のベッドで横になると、すぐに眠ってしまった。12時間はあっという間に過ぎ、異世界間移動で自室に戻り、そのまま風呂にも入らずまた睡眠。
母さんに起こされるまでずっと眠っていた。
こんなに眠れるものなんだな。
でも、まだ眠い。
「……」
とにかく身体に力が入らないんだ。
身体が重い。
こんなに寝ているのに。
「……」
死にかけたんだから当然なのか?
心と身体が活動を拒否しているとか。
休息を欲しているとか。
そういうことなんだろうな。
もう少し寝よう。
トントン。
何だ?
トントン。
ああ、ノックか。
「功己、晩御飯よ。体調悪くてもご飯は食べなさい」
母さんが夕食を部屋まで運んでくれた。
「ありがとう。食べるから置いといて」
「あんた、まだ顔色悪いわね。大丈夫なの?」
「朝よりは良くなってるし、熱もないんだから心配要らないよ」
「そう。でもご飯は食べなさいよ」
「わかった」
もう19時か。
随分寝たな。
それでも眠気が取れないなんて。
とりあえず、夕食を食べて風呂に入ろう。
そうすればスッキリするはずだ。
翌日も大学を休み自室で過ごす。
昨日よりはましだが、身体にあまり力が入らない。
もう充分休んだし栄養も摂った。
あの体験に対する恐怖も幾分薄れてきたと思う。
それでもこの状態。
さすがにこれは、どうなんだ?
死を経験しかけたのだから、これで普通なのか?
それとも、異常なのか?
分かるわけない、な。
……。
「はぁ」
せっかく異世界に行けるようになったのに、あんなことになるなんて…。
完全に油断していた。
どこかで甘く見ていたんだろう。
オルドウでは、ずっと穏やかな時間を過ごしていたから。
情けない。
30年も準備していたというのに。
でも、まだあの世界に足を踏み入れる気分にはなれない。
本当に情けないな。
……。
今のオルドウでは、あの日の時間が、俺の初日の時間が流れているのか。
あの日はヨマリさんを案内して、ウィルさんと出会って……。
そうだ、ウィルさんだ!
ウィルさんが殺されていたんだ!
今は何時?
15時。
昨日こちらに戻って来たのが午前3時。
それから36時間が経過。時間経過は半分で済むからオルドウでは18時間。
あっちは……夕方か。
ウィルさんが殺されたのはあの日の午前2時頃だろうから、まだ間に合う。
なら、何とかしないと。
異世界に、オルドウに行って。
ベッドから降り、立ち上がるが、まだ完全には力が入らない。
でも、それどころじゃない。
着替えを済ませ、準備を整え。
異世界間移動を。
……。
口に出せない。
「はあ、はあ」
息が苦しい気がする。
「はあ……」
ちょっと、待て。
少し落ち着こう。
……。
数分ほど横になると、楽になってきた。
しかし、これは……。
まいったな。
けど、まだまだ時間には余裕がある。
オルドウに戻って夕連亭に行くまでにかかる時間なんて僅かなもの。
少なく見積もっても15時間程度の猶予はあるはずだ。
それなら、しばらくは大丈夫。
とはいえ、この症状。
異世界間移動を使おうとすると苦しくなる。
おそらくは心的外傷によるもの。
となると……。
程度はまったく違うが、前回の40年の人生で自動車事故を経験した時もこんな感じだったな。
あの時は、交差点で右折する際に信号を無視して突っ込んできた対向車に衝突されたんだった。身体は軽傷で済んだけれど、その後しばらくは運転が辛かった記憶がある。特に右折する時は、対向車が気になって身体がすくみそうになったものだ。
結局、何度も運転をすることでそんな状態を脱することができた。成功体験が事故の記憶を上書きしたのだろう。
だから、今回も異世界に何度か渡っている内に症状は治まってくるはず。
……。
けれど、今はまだ辛いものがある。
明日になれば……。
ピンポン、ピンポン。
チャイムの音に目が覚める。
今は17時。
また眠ってしまったようだ。
ピンポーン。
階下に降り、玄関のドアを開ける。
「功己!」
「幸奈?」
どうしたんだ?
「昨日来なかったでしょ」
「あっ!」
そうだった。
昨日は幸奈と珈紅茶館に行った日だ。
夕方に会う約束してたんだよな。
リセットで戻っていたので、すっかり忘れていた。
「あって、功己忘れてたでしょ」
「……申し訳ない」
「申し訳ないじゃないよ、ホント。功己は携帯電話も持ってないし、家に電話しても出ないし」
「悪かった。申し訳ない」
丁寧に頭を下げる。
眠っていたので電話の音に気付かなかったんだ。
「うーーん」
「本当に申し訳ない」
「もう~、しかたないわねぇ」
「わるい」
「もういいわ。でも、貸しにしとくわよ」
「もちろんだ」
「功己……どうかした?」
「えっ」
「顔色が良くないみたいだから」
「……大丈夫。何でもない。今回は俺が忘れてただけだ。悪かったよ」
「そう? でも、そんなに謝られると調子狂うなぁ」
「……」
「まっ、昨日はわたしも家の用事が入ったから丁度良かったんだけどさ。ということで、ケーキセットで許してあげる」
それでいいのか。
「分かった、今度ご馳走する」
「うん……ホントに調子悪くない?」
「ああ、少し疲れてるだけだ」
「そうなの? 大丈夫?」
「心配要らないから」
「もしかして、昨日も体調悪かったの?」
「まあ…」
「え~、それなら言ってくれればよかったのに」
「どちらにしても、連絡もせず約束を破ったのは俺だから」
「体調悪かったなら仕方ないよ。ごめん、ケーキセット無しでいい」
「いや、それはご馳走する」
「ホントいいから、その代わり体調良くなったら今度こそ、お茶に付き合ってね」
「それはもちろん」
「うんうん、じゃあ、今日はゆっくり休んで。わたしは帰るね」
「忙しいのか?」
前の時間の流れの中で珈紅茶館に一緒にいる時に、家族からの電話で慌てて家に戻っていたよな。その関係か。
「そうでもないんだけど、ちょっと家で用があってね」
やっぱり、家の関係か。
「そうか。じゃあ、気をつけてな」
「功己こそ、ゆっくり休みなよ」
「分かった」





