第145話 魂の重さ
「コーキ様、どうかされましたか?」
「……いえ」
そうだ。
今回は魔落に下りていないのだから。
そんなはずはない。
でも、魔落が原因じゃないなら。
……。
ずっと心の奥に隠していた懸念が噴き出してくる。
「ゴホッ……」
セレス様……。
俺が今できることは……。
前回、治癒魔法は効果がなかった。
なら、回復薬は!
前回は魔落で使い果たし残っていなかったが、今回はまだ残っているぞ。
これは俺の魔法より効果があるはず。
とはいえ、この薬……。
セレス様はさっき飲んだばかり。
……。
それでも、飲んで悪いことなどない、な。
「セレスティーヌ様、一応回復薬を飲んでおきましょうか」
「はい? 先ほどいただきましたが?」
「少し量が不足していたかもしれません。ですので、どうぞ」
「そうですか……分かりました」
若干怪訝そうな表情は見せたものの、素直に口に入れてくれた。
「咳はどうですか?」
「ええ、大丈夫みたいです」
「そうですか、それは良かった」
これで治まるなら、ありがたい。
いや、そもそも今回の咳が前回と同種のものとは限らないんだ……。
念のため、念のためだ。
「コーキ様、それでは、行きましょうか」
「はい」
足取りも軽く歩き出すセレス様。
ほら、大丈夫だ。
きっと……。
そのまま歩くこと数分。
「コホッ!」
また咳が出始めた。
「コホッ、ゴホッ!」
明らかに数が増えている。
顔色も良くは見えない。
「セレスティーヌ様?」
「ゴホッ……大丈夫です」
「……」
「このまま下りましょう、ゴホッ!」
この咳の様子。
どうしても前回と同じに見えてしまう……。
20日以上の時間差があるはずなのに。
どうして同じ咳が……。
「ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ!」
「セレスティーヌ様、少し休みましょう」
そして、少しだけ残っている回復薬を飲んでもらおう。
「いえ、大丈夫です」
「しかし」
「ゴホッ、ゴホっ……。えっ?」
咳を止めようと口に当てた手に……。
ほんの僅かに朱が残る。
「血……」
あの光景が脳裏に浮かんでくる。
まずい。
これは、まずい!
ここで前回と同じことが起こったら、どうなるんだ!?
時間遡行は?
……。
駄目だ。
手に入っていない。
まだ、クエスト5を完了していないんだ。
じゃあ、もしここでセレス様が倒れたら?
……。
もう、戻ることができない!
そんなこと!
「ゴホッ、ゴホッ! ……コーキ様、やっぱり、少し休んでも?」
「セレス様!」
どうする?
どうすればいい?
「今、セレスって呼びました? えっ、どうして? ゴホッ!」
どうすればいいんだ!
「どうして、セレスと? ゴホッ、ゴホッ!」
考えるより、まずは回復薬だ。
「それより、回復薬の残りを飲んでください」
強引に回復薬を手渡す。
それを咳込みながら流し込むセレス様。
「ありがとうございます。少し楽になりました。でも、どうして……」
「よかった……」
これで治まってくれたら……。
もう自分でも信じていない希望に縋りつく。
でも、そうじゃなければ……。
やめてくれ!
時間遡行がまだなんだ。
だから。
「行きましょうか」
少しでも先に進まないと。
前回と同じ場所まで下れば、クエスト5の救出完了とみなされて時間遡行が手に入るかもしれない。
「……はい」
なのに、1分も経たないうちに。
「ゴホッ、ゴホッ!」
咳が!!
そして……。
セレス様が蹲ってしまった。
「セレス様?」
「ゴホッ、ゴホッ!」
「セレス様!」
「ゴホッ、ゴホゴホッ!」
その手が赤に染まる。
「くるしい……」
まずい!
まずい!
まだ手に入ってないんだ。
けど、前回転送された地点まではもうすぐ。
それなら。
「セレス様、失礼します」
セレス様を背中に背負い。
「えっ? コホッ」
駆ける。
「コーキ様? ゴホッ!」
駆ける!
「ゴホ、ゴホッ」
首にかかる熱い息。
「……ゴホッ、ゴホッ!」
首元が濡れる。
……駆ける。
「はあ、はあ……」
苦しそうな息遣い。
休ませてあげたいけど、ごめん、セレス。
「うぅ……ゴホッ」
駆ける!
「ゴホッ、ゴホ、ゴホッ!」
「……」
まだか?
ステータスは?
まだ手に入らないのか?
「ゴホッ、ゴホッ……。ゴホゴホッ!」
くっ!
「セレス様、もう少しで……」
言葉が詰まる。
もう少しで何だというんだ!
このセレス様にとっては……。
俺は今のセレスを……。
……。
でも、駆けるしかない。
「ゴホ、ゴホッ! く、くるし……」
ステータス!
まだなのか?
「はあ、はあ……ゴホッ!」
まだか?
まだなのかよ!
「コーキ……ゴホッ……」
あの場所は……。
ああ、すぐそこだ。
「ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ!」
そこに見える。
「ゴホッ……」
セレス、もうすぐだ。
「コー……」
「……」
!?
「……えっ?」
背中に感じる重さが変わった。
軽い?
「セレス様?」
「……」
背中に問いかけるが、返事はない。
「セレス?」
「……」
「セレス、セレス!」
足がとまる。
とまってしまう……。
「セレス……」
背中からゆっくりとセレスを下ろし、両腕で抱きかかえる。
「……」
「……」
「そんな……」
またなのか……。
なんで……。
「……」
「セレス……」
口元を、頬を赤く染め、瞳を閉じたまま……。
……。
……。
……。
また俺を置いて、いってしまった。





