第116話 魔落 7
弾かれるような不思議な感覚を味わったあの地点から離れ、歩くこと半刻。
昨夜休んだ横穴のように、野営に適した場所がなかなか見つからない。
大きな岩さえ見当たらない。
このままでは横壁の近くで休むことになってしまう。
それは避けたいところだが、いつまでもこうして歩いている訳にもいかないだろう。
俺はともかく、セレスティーヌ様の体力が持つとは思えないからな。
この地下大空洞に入って3日目。
その前は、テポレン山越えを敢行していたセレスティーヌ様。
余裕なんてあるはずはない。
それなのに。
「どうしました?」
隣を歩くセレスティーヌ様の様子を見ると、こちらに微笑んで問いかけてくれる。
「いえ……」
笑顔でいてほしい、なんて言ってしまったから無理をさせているのかもしれない。
気を遣ったつもりが、逆に気遣ってもらっているなんてな。
情けない話だ。
しかし、彼女は本当に凄い。
大貴族のお嬢様で、こんな華奢な身体なのに、ここまで頑張って。
胸の内には不安もいっぱいあるだろう。
身体もかなり辛いはずだ。
それなのに、一切弱音を吐かないんだから。
ホント、強い女性だ。
「何を考えているのですか?」
「セレスティーヌ様のことを考えていました」
「えっ?」
歩む足を止め、こちらを凝視するセレスティーヌ様。
と思えば、顔を背けてしまう。
「それは、その……、どのようなことをお考えになっていたのでしょう?」
顔をこちらに向けることなく、消え入りそうな声で聞いてくる。
「すみません。悪い意味じゃないです」
「と、いいますと?」
「こんな過酷な環境で頑張っているセレスティーヌ様は大したものだなと。感心しておりました」
「っ!?」
さらに顔を背け。
こちらに背を向けるセレスティーヌ様。
「あっ、ありがとう、ございます」
俺の耳だから拾えたものの、聞き取れないくらいの声量。
「いえ」
俺に背を向け立ち止まっているセレスティーヌ様。
何というか……。
気まずい。
「……」
「……」
「コーキ様、もう大丈夫です。行きましょう」
立ち止まること数分。
そう言って歩き出すセレスティーヌ様。
顔を背けたままだが、足取りは軽い。
「もう少し探して良い場所がなければ、壁に沿って休みましょうか」
「はい。でも、私はまだ歩けますので、ゆっくり休める場所を探しませんか」
確かに、まだ余力はあるみたいだが……。
「では、もう四半刻だけ探しましょうか」
「はい」
元気な返事だ。
この大空洞。
ずっと同じような薄明かりに照らされているため昼夜の区別がつかない。
俺の懐中時計がなければ、時間など全く分からなかっただろう。
そういうわけだから、その気さえあれば休まずに探索を続けることもできるんだよな。
つまり、セレスティーヌ様に休んでもらって俺だけ探索することも可能だということ。
とはいえ、彼女を1人にするわけにはいかないからな。
やはり、一緒に休むしか術がない。
四半刻の間に、野営地を見つけることができればいいんだが。
などと考えている間に四半刻は過ぎ去り。
適切な場所は見つからないまま。
「今日はもう休みましょうか」
「……そうですね」
「では、この壁際で」
「はい」
横穴というほどではないが、1メートルほど軽く窪んだ横壁があったので、今夜はここで休むことに決定。
「では、夕食の準備をしますので、休んでいてください」
「いえ、私も手伝います」
「……」
「今夜は携帯食ではなく初めてのお肉を食べるのですから、手伝わせてください」
今日の昼までは何とか携帯食で済ますことができたので、まだ魔物肉は口に入れていない。
切り分けた肉の塊を魔法で凍らせ、ショルダーバッグに入れたままだ。
今回はその肉を焼くだけなんだが……。
「駄目でしょうか?」
「……分かりました。お願いします」
貴族のお嬢様が料理なんてしたことはないだろうが、これくらいなら問題ないか。
それに、気分転換にもなる、かもしれないな。
「では、今から解凍しますので、そのあと!?」
何だ!
この気配は?
「コーキ様!」
「セレスティーヌ様、お静かに!」
まだ距離はあるが、確実にこちらに近づいて来る。
この気配は?
……。
尋常ではない。
この大空洞内で出くわしたどの魔物とも違う。
強烈な圧力を伴ったこの気配。
ただ、これに近い気配をどこかで感じたような気もするが。
「魔物ですか?」
囁くように訊ねてくる。
「ええ」
「……」
俺の緊張感が伝ったのか、セレスティーヌ様の顔もこわばっている。
「少し様子を見ます」
状況によっては、やり過ごすという手もある。
ただ、こちらも身を隠せているわけじゃない。
魔物に見つかる可能性も高い。
「……はい」
魔力を眼に集め、視力を強化する。
この辺りは大きな岩もないので、かなりの距離まで視認が可能だ。
……。
よし、見えてきたぞ。
ゆっくりと4足で歩いている巨体の魔物。
1頭だけだ。
薄明りの中ではあるが、その身体は赤黒く見える。
そして頭が2つ。
いや、3つだ!
ダブルヘッドならぬ、トリプルヘッドか。
そんな魔物の話は聞いたこともないが……。
頭以外はダブルヘッドに似通っている。
気配もそう、ダブルヘッドに近いんだ。
とすると、こいつはダブルヘッドの亜種なのか?
しかし、この圧力。
ダブルヘッドの比じゃないぞ。
そんな強力な魔物が一歩ずつ近づいて来る。
その距離は、もう50メートルもない。
「コーキ様、これは!?」
セレスティーヌ様の目にも入ったか。
そして、その圧力も感じているようだ。
距離は30メートル。
「あっ!」
小さな悲鳴を上げるセレスティーヌ様。
それも、仕方がない。
あの魔物が、こちらに目を向けたのだから。
大空洞内の中央を歩いていた魔物、トリプルヘッドが壁に向かって歩き始める。
俺たちに向かってだ。
これは戦うしかないな。
「セレスティーヌ様、ここから動かないでください」
「コーキ様!」
「ええ、行ってきます」
「……」
セレスティーヌ様に、そんな悲壮な顔は似合わない。
「大丈夫ですよ」
「……はい」
「大丈夫だと言ったでしょ、貴女の笑顔があれば」
「……そうでしたね、はい」
ぎこちない笑顔。
それでも、笑顔は笑顔だ。
でもまた、無理やり笑顔を作らせてしまったな。
「では、待っていてください」
「無事に! どうか無事に戻ってきてください!」
「もちろんですよ」
さて。
戦うとしましょうか。
お嬢様の笑顔のために!





