第112話 魔落 3
砂と石ばかりで植物などは全く見られない地面を踏みしめ慎重に探索を続ける。
が、今のところ、これといった成果はなし。
そんな先が見えない探索ではあるが、目先の探索自体は困難という程でもない。
やはり、何といっても視界が確保できているのが大きいかな。
ありがたいことに、謎の薄明りがこの横穴空間内にも存在している。
おかげで、足元に過剰な注意を払わないで済む。
これは未知なる場所を探索するにあたって、大きなメリットだ。
閉塞感を感じないというのも、探索中の気分を軽くしてくれる一因だろう。
この横穴、高さは20メートル程度、横幅は50メートル以上という巨大な空間だ。
さらに、先はどこまで続いているのか見当もつかないほど。
閉塞感を感じないどころか、開放感を感じてしまいそうになるくらいだな。
そして、もうひとつ。
まだ魔物に遭遇していないんだよ。
これも本当に助かっている。
地中には、どんな魔物が存在しているか分からない。
ここが魔落だとしたら、強力な魔物が存在している可能性も高い。
そんな魔物とこんな地中でやり合うのは、ただでさえ骨が折れるだろうに。
セレスティーヌ様を護っての戦闘となると、これはもう簡単なわけがない。
可能なら、魔物と戦うことなく地中を抜け出したいくらいだ。
とはいえ、魔物と遭遇することなく探索ができているという現状は、単に運が良いだけなのだろうな。
そんな探索を続けること半刻。
ここまでは砂地や石が多かった地面だが、岩が多く見られるようになってきた。
中には大型トラック並みの大きさの岩も存在している。
そのため、視界が遮られることも……。
ん!
「止まってください」
「はい。あの、何でしょう?」
「前方で物音がします」
「私には聞こえませんが」
それは仕方ない。
強化した耳で、やっと拾える音量だから。
「間違いないです。耳が良いもので」
点在している巨岩の向こう。
ここからは岩が邪魔で見えないのだが、それでも確かに音は聞こえる。
そして、この気配は……。
「その音は?」
「ええ、魔物かもしれません」
「!?」
一瞬にして、セレスティーヌ様の顔に緊張が走る。
「まだ確定したわけではありませんが」
この地下大空洞に巣食う魔物の可能性が高いんじゃないだろうか。
「どうしましょう!?」
「ひとまず、そこの岩陰に隠れましょう」
自家用車程の大きさのある岩の後ろに隠れ、前方を窺う。
……。
本来なら、気配を探ればはっきりと察知できるはずなんだが……。
どういうわけか、曖昧にしか察知できない。
もちろん、何らかの生物がいることは分かっている。
ただ、それが魔物なのかどうなのか?
「本当に魔物でしょうか?」
「……おそらく」
少しずつこちらに近づいてきている。
まだはっきりとは掴めないが、やはり、これは魔物か。
岩陰から顔を出し前方に目をやってみる。
視界が確保できているとはいえ、所詮は薄明り。
数十メートル先を視認するのは難しい。
さらには、複数の岩で遮られた視界では……。
分からないな。
「魔物だった場合は、どうしましょう?」
不安そうにこちらの様子を窺っているセレスティーヌ様。
「やり過ごすか、戦うか。それとも逃げるか。もう少し様子を見てからですね」
「戦うのですか?」
どことも知れぬこんな地下洞窟の中で、セレスティーヌ様が頼れるのは俺ひとりだけ。
そんな俺が魔物と戦うとなると不安になるのも当然だ。
護衛の騎士たちも魔物から彼女を護るために、1人また1人と彼女のもとから離れて行ったのだから。
もちろん、俺はやられるつもりはないけどな。
ここが魔落であったとしてもだ。
「そうですね。その可能性もあります」
「……」
ああ、そうか。
セレスティーヌ様の前では、未だ魔物と戦っていなかったな。
それなら、俺の戦闘能力を信用できないのも当然か。
セレスティーヌ様の不安な表情にも納得だ。
と……。
もうすぐそこにいるぞ。
「あの岩の後ろにいます。もう現れますよ」
さすがに、ここまで来れば、かなりのことが分かってきた。
近寄って来る気配は1つのみ。
そして、これは魔物で間違いないな。
1頭の魔物ということなら、その強弱は別として、対処は容易だ。
俺が相手をすれば、セレスティーヌ様が襲われる心配もないだろうから。
「魔物のようです」
果たして、前方の岩の後ろから現れたのは。
「あれは……ゴブリンでしょうか?」
足音の主である魔物は、俺たちの隠れる岩陰の斜め前方。
距離にして15メートルほど離れた辺りを歩いている。
ここまで来れば、薄明りの中でも十分視認可能だ。
片手に棍棒のような物を持って歩いているその姿は、日本での知識からも想像のつく魔物だった。
「そのように見えますね」
この世界に来るようになり魔物ともそれなりに遭遇しているのだが、未だファンタジー小説やゲームに登場するような有名な魔物と相対した経験はない。
それが、こんな場でゴブリンと遭遇するとはな。
「でも、ゴブリンにしては……」
怪訝そうな表情を浮かべているセレスティーヌ様。
確かにこのゴブリン、魔物図鑑から得た知識とはかなり異なっているようだ。
……。
目の前に現れた魔物がゴブリンということで、少し気持ちが緩みそうになったが。
これは油断できないな。
このゴブリンから滲み出る圧力はとてもじゃないが、弱いなどと思えるものではない。
明らかに大きな力を、その身に秘めている。
とはいえだ。
「あいつは我々に気づいていないようです。なので、ここに隠れてやり過ごすことも可能でしょうが……。戦ってみようと思います」
「えっ?」
セレスティーヌ様にも、あのゴブリンが普通ではないと分かるのだろう。
戦うと告げた俺に、抗議するかのように疑問の声をあげてきた。
その気持ちも分かる。
が、ここは戦っておきたい。
「とりあえず、この洞窟内の魔物の強さを知りたいので。単独行動している魔物と遭遇したのはついていますよ」
「……」
無言でこちらを見つめてくる。
戦って勝てるのかと尋ねるような視線。
「負けるつもりはありませんので」
「……分かりました。ご武運、お祈りいたしております」
「ありがとうございます。では、行きます!」
セレスティーヌ様と共に隠れていた岩陰から出た俺は、ゴブリンが歩を進めるその正面に身をさらす。
ゴブリンが通り過ぎた後に背後から奇襲をかけるという手もあるが、相手の力を知ることが目的の今回は真正面から戦いたい。
「グギ?」
俺に気づいたゴブリンが首をかしげている。
ゴブリンの体表は単純な緑色ではなく、黒みを帯びているように見えるな。
その黒い体表から漏れ出る圧力は、やはり並じゃない。
とっ、危ない。
ニヤッと嫌な笑いを浮かべたと思った次の瞬間、黒ゴブリンが棍棒を片手に突進してきた。
横に跳んで躱すことができたが、想像以上の速さだぞ。
図鑑に載っていたゴブリンとは大違いだ。
「グ!?」
俺が棍棒を避けたことに驚きの表情を浮かべるゴブリン。
だが、それもほんの僅かな間のこと。
すぐさま次の攻撃を仕掛けてくる。
横薙ぎに振るわれる棍棒!
上段から叩きつけるように振り下ろされる棍棒!
驚くべき鋭さを持った突き!
どれもが強力な一撃だ。
とはいえ、俺が防げない程ではない。
それらを全て防ぎきると、今度は今までの棍棒攻撃を複合させたような技を繰り出してきた。
そこに蹴りも加えてくる。
正直、魔物とは思えない身体の使い方だ。
本当に驚いてしまう。
それでも、まだ俺には届かない。
黒ゴブリンのあらゆる攻撃を体捌きで躱し、剣でいなし、全てを防ぐことに成功。
一連の攻防の後、しばしの空白が訪れる。
戦闘の当初とは異なり、ゴブリンの顔にはもうこちらを侮っているような色はない。
警戒しながら俺の動きを凝視している。





