第11話 長谷川家の秘密
「ヒッキーっていうのは、10年前に電車に轢かれて死んだ事になってる友香の父親だ。武上、調べてきてくれたんだろ」
和彦が武上を見る。武上は困惑した表情だ。
「確かに10年前にそういう事故はあった。酔っ払った男が線路内に侵入し、電車に撥ねられ死亡。死体の状況は酷くて判別不能だったが、持ち物から身元を割り出した。妻が遺体を確認し、間違いなく夫だと証言している」
「名前は?」
「死亡したのは中山耕造、当時35歳。妻は中山円香、当時32歳だ」
寿々菜は握っている友香の腕が一瞬ピクリと震えたのを感じた。友香の母親の名前は長谷川円香。「長谷川」は再婚した今の夫の苗字だ。
当然武上はそこまで調べているはずだ。だからさっき和彦が友香の名前を言った時、微妙な反応をしたのだろう。
「だが和彦はこの中山耕造が例のホームレスだと言うのか?」
「そうだ」
「じゃあ10年前に死んだのは誰なんだ?」
「ジローだよ」
「ジロー?」
武上は、どこかで聞いたことのある名前だな、と言いかけて「長老」がその名前を口にしていたのを思い出した。ヒッキーの家に飾ってあった写真立ての中の男ではないか!
「確かに、10年くらい前に姿を消したと長老が言っていたな」
「そうだ。ジローは10年前に電車に轢かれて死んでたんだ」
「しかし妻が、死んだのは中山耕造だと言っている」
「電車に轢かれたんじゃ顔は分からないだろ。持ち物だけで夫だと思い込んだ可能性はある。だが可能性はもう1つ、ある」
「・・・妻が嘘をついたって可能性か」
「そうだ」
和彦は人差し指を立てた。
「1つ。ヒッキーの家にはジローの写真があった。おそらくジローが死ぬ直前にヒッキーが―――中山耕造が撮ったものだ」
次に、人差し指はそのままに中指を立てる。
「2つ。ヒッキーの元には瀬田文子と思われる女が通っていた」
「瀬田文子?」
「長谷川家の家政婦だ。おそらく円香に頼まれて中山耕造の身の回りの世話をしてたんだろうな。それなら今日、瀬田文子がここに来たのも慌てて逃げたのも頷ける。雇い主に頼まれて今まで世話してきた男が殺されたんだからな。まあ、瀬田文子がヒッキーの正体まで聞かされていたとは思いがたいが、とにかくそういう理由でヒッキーの身の回りはいつも綺麗だった訳だ」
「・・・あ」
突然寿々菜が声を上げた。
「どうした?」
「いえ・・・昼間に来来軒でご飯を食べている時に和彦さんと武上さんの会話を聞いていて違和感を感じたんです」
「そういう事は早く言えって」
「すみません。今思えば、きっと武上さんが亡くなったホームレスは『どこにでもいそうなごく普通の日本人だった』って言ったのに違和感を感じたんだと思います。ホームレスなのに『どこにでもいそうなごく普通の日本人』って変ですよね」
「まあな。なんだ、じゃあ寿々菜はあん時からヒッキーが普通のホームレスじゃないって気づいてたのか」
「気づいてたって訳じゃありませんけど・・・すみません」
寿々菜は謝ったが、それは和彦に対してというより友香に対してだった。自分達の会話は間違いなく友香を傷つけている。
友香、ごめんね。
しかし、もはや寿々菜が「止めよう」と言って止めれるレベルの話ではなくなっている。
「長老が4,5年前まで別の女が来てたと言っていたな」
武上が続ける。
「ああ。それはおそらく中山円香自身だ」
「どうして途中から瀬田文子になったんだ?」
「簡単な理由だ。中山円香は再婚して金持ちになった。だから元夫の世話を家政婦に任せた」
和彦が薬指を立てる。
「3つ。同じ結婚指輪の片方が長谷川家に、もう片方はヒッキーの指にあった。つまり、」
「つまり?」
「以上3つのことから、中山耕造は計画的にジローを殺し、自らホームレスになった。妻の中山円香、いや今は長谷川円香か、彼女はいつその事を知ったのかは分からないが、とにかく夫は死んでいないことを知っていて、10年間世話をし続けていた」
「どうして計画的に殺したと分かる?」
「だから1つ目だよ。写真だ。10年前、中山耕造はホームレスのジローを居酒屋に誘い、そこで写真を撮った。どうしてそんなことをしたのか?これから自分が殺す男へのせめてもの償いだったんだろうな。だからジローの写真を写真立てに入れて、遺影代わりに飾っていた」
「なるほどな」
武上は腕を組んで唸った。
「中山耕造はジローを酔わせた後、自分の物を持たせた。もう着ない服だから、とでも言って自分の服も着させたんだろう。それから酔いつぶれたジローを線路の上に放置して電車に轢かせて殺し、さも自分が死亡したようにみせかけた・・・ってことか」
「ああ。死体はぐちゃぐちゃだし、妻が『死んだのは夫だ』と言っているし、事故以来中山耕造は姿を消している。誰も、死んだのが中山耕造じゃないんじゃないか、とは疑わない」
「確かに当時警察も疑うことなく事故で処理している。・・・保険会社もな」
中山耕造の死後、妻の元には多額の保険金が下りたことも武上は確認済みだ。そこまで和彦に指示されたわけではないが「10年前の事故を調べろ」と言われれば当然そこまで行き着く。
再び3人の視線が友香に集まった。それを感じた友香はようやく重い口を開いた。
「私が小さな頃、うちは貧乏でした。今思えば借金もしてたと思います。でも父が亡くなってからは何故か普通の生活ができるようになって、子供心に不思議だな、って思ったのを覚えています」
「お父さんが生きていたと知ったのはいつですか?」
武上が訊ねる。
「・・・父が亡くなって1,2年後だったと思います」
「お母さんが、お父さんのところへ行くのを見て知ったんですか?」
「はい」
「お母さんとそのことを話しましたか?」
「・・・いえ、話していません」
「どうして?」
「なんだか聞いちゃいけないような気がして・・・気づいていない振りをしていました」
武上は黙って視線を和彦に移した。和彦もそれに気づき、小さく肩をすぼめる。そして和彦は唐突に友香に質問を投げかけた。
「母親が再婚した時、どう思った?」
「え?」
「家族の為にホームレスになって生きている夫を差し置いて、金持ちの男と結婚した母親をどう思った?」
友香が和彦を睨む。しかしそこにはどこか弱さがあった。
「それは・・・私はお父さんがホームレスになった理由を知らなかったから、何とも思いませんでした」
「お前は、父親が死んだ1,2年後そいつが何故かホームレスとして生きていることを知った。母親がこっそり世話をしていることも知った。だけどその後母親は再婚して金持ちになり、元夫の世話を家政婦に任せた。それについてはどう思う?」
「そんなこと聞かれても・・・私は何も・・・」
「和彦、もういいだろ」
いつになくキツイ和彦を武上が制する。
「長谷川さん、10年前の事件についてあなたのお母さんに話をうかがう必要があります。お母さんは今どこに?」
「出かけていますけど、もうすぐ帰ってくると思います」
「出かけている?どこへ?」
「甲子園です」
「兵庫ですか」
まずいな、と武上は思った。長谷川円香は新聞を読んで、もしくは瀬田文子から連絡を受けて、中山耕造の死を知っている可能性がある。武上は口には出さなかったが、10年前の事件の首謀者が長谷川円香だという可能性もあると考えていた。借金に困り、夫にホームレスを殺させて自分はそのホームレスを夫だと証言し、保険金を受け取る。十分考えられる話だ。もしそうなら、長谷川円香は10年前の事件が発覚するのを恐れて既に逃亡しているかもしれない。
「ちょっと失礼します」
武上は携帯片手にその場を離れると、まだ本庁に残っているであろう三山に電話をかけた。もちろん、長谷川円香の身柄を確保するためだ。
「あ、三山さん?お疲れ様です、武上です」
『武上!お前急にどこに行ったんだ!』
「すみません、ちょっと気になる事があって。昨日起きた事件なんですが、」
『いいからさっさと戻って来い!』
三山が興奮気味にそう言う。いつもは穏やかな三山が珍しい。武上がそう思ったと同時に三山の口から思わぬ言葉が飛び出してきた。
『今、長谷川円香という女が、10年前にホームレスを殺したと言って出頭してきた』




