注意事項①の申し送り
「俺、何度も言ったよな?止めろって」
月一で出ている雑誌を捲る音。
それをかき消す程に大きな—―床に頭を打ち付ける音が響いた。
土下座すれば何でも許されると思っているのだろうか。
いや、絶対に許さないよ?
「春だよ?入社式とか入学式とかさ、色々行事があるんだよ?分かるか?」
パラパラと捲るとゲームの特集記事の中綴じを発見し、思わず舌打ち。
中綴じとか、地味に面倒なんだよ。
手で千切るとビリビリになるし、はさみとかカッターとか持ってくるのも面倒だ。
とか考えていると横からはさみがスッと差し出される。
さんきゅー、と言ってそれを握り、『ジャキンッ』と音をさせると小さな悲鳴が発せられた。
中綴じに刃を入れ、『ジャキンッジャキンッ』と音を鳴らす度に足下からそれが聴こえる。
これ、切れ味抜群だわ……え?100均?すげーな。100円ショップ・ジ・ダイスー。
「お前がしでかした事で1番被害を被ったの誰だと思ってるのかな?学生?サラリーマン?警察?総理大臣?違うよな?」
綺麗に切れた中綴じを開くとそこには新作のゲーム情報があり、はさみを持つ手に力が籠った。
足下でぶんぶんと頷きながら床に頭をぶつけている黒い物体は答える。
「わ、若様ですぅううっビャフゥッ!!」
「わかってんじゃねぇか髭!」
くぐもった叫び声が発せられ、その黒い物体は再び強く頭を床に擦り付けようとした。
しかし、それは叶う事無く縮こまった状態で数m離れた壁に大きなクレーターを作る事になる。
尻から壁に埋まり、上半身と足が9の字に出ている。
だらりと垂れ下がっている黒く長い髪……いや、髭だ。
全身がもじゃもじゃとした毛で覆われたそいつを蹴った足を組み直し、雑誌を放った。
「若様、蹴り飛ばすのは良いのですが、抜け毛が御御足に」
「またか……もうあいつの毛、刈り取ろう。アイデンティティを無くせば少しは学習するだろ」
若様、と呼ばれた少年……阿久沢真央は横からはさみを差し出して来たメイド服姿の少女に言った。
腰まで流れる濡れ鴉のような髪に白磁を思わせる肌。
人形の様な少女は表情もその通り、人形のごとく変わらず真央の言葉に同意する。
少女は雑誌を受け取り、ラックに丁寧に入れるとすぐに、真央のズボンから1本の黒い毛を摘み取り、ゴミ箱に捨てた。
真央は手に持った刃先の丸いはさみを、さも鋭い鎌を持っている様に鳴らす。
いわずもがな。
真央はとてつもなく怒っている。
立ち上がってはさみを凶器に変えて。
何を怒っているって、そりゃあ、
「電車の遅延」
『ジャキン』
「人の混雑」
『ジャキン』
「遅刻」
『ジャキン』
びくついている髭もじゃは今にも失禁しそうだ。
って、こいつには尿意という生理現象はなかったな。
この髭もじゃな物体……たしか、名前は黒髭男爵とかいうふざけた名前だった。
先日、T都の正木市という隣町で悪行を働いた張本人。
後からやって来た防衛戦隊にコテンパンにされ、ストレートだった自慢のもじゃった黒髭がチリチリパーマのかかったもじゃもじゃのチリ毛になって決め台詞『覚えてろよ』を発動。
逃げ帰って来た彼が与えた影響は交通機関の遅延、それに伴う通勤通学の妨げ、女性へのセクハラだけである。
生死のかかった問題は何一つ起きず、怪我人は逃げる時に子供が1人、転んで擦りむいただけ。
それだけだったのだが、真央には大きな影響を及ぼした。
悪い方に。
「何より許せないのはなぁ」
「ひぃっ!」
「新作ゲームの入荷日に店が臨時休業しやがったことだぁ!」
「ゲヒャアアアア!?」
身動きの取れない髭男爵は伸ばされた腕から辛うじて反射的に顔をそらし、顔への直撃を回避する。
しかし、100均のはさみが一閃された後、パラッと黒髭男爵のアイデンティティが床に落ちた。
「ああああああ!自慢の髭ぇええええ!」と絶叫したかったが、真央のまるで悪の親玉の様なオーラに言葉にできなかった。
「俺が今日という日をどれだけ待ち望んだか分かってるのか?予約してから買うまでのあのドキドキ……『遅延』という2文字に阻まれた絶望感」
「申し訳ありませんです!反省しております!もうしません!だから髭だけはぁ!」
「何か雑音がするな。こいつは何かしゃべったか?クリス」
「若様のお耳に入らないのでしたら私も分かりません」
メイドの少女、クリスはさっぱり分かりませんと言ってどこ吹く風。
「だいたい、セクハラだけで帰ってくるとかただの痴漢じゃねぇか。それにあの時間は『ブランチ』じゃなくてまだ『ブレックファースト』タイムだコラァ!」
「ギャヒィイイイ!」
またもや直撃は避けたが、髭は散る。
右手に光るはさみが走る後ろで掃除機をセットするクリス。
機種はもちろん変わらない吸引力のダイションだ。
「雑誌に『好評発売中』って書いてあるのに予約済みで購入ができないとかふざけんなぁ!」
「ギョアアアア!」
「既プレイ陣が怖くてネットが見られねぇんだよチクショー!」
「グヒョアアア!」
カットされていく髭が床にバラけた。
切られたもじゃもじゃの髭の間から見える目玉は潤み、はさみを凝視している。
すでに黒髭男爵にとってはさみは『リーサルウェポン』となっていた。
彼はもうダイスーには入店できないだろう。したこともないが。
あらかた髭が刈られ、床一面に毛が広がり、クリスがダイションを起動させた。
床の掃除が開始され、真央はソファに腰を下ろし、はさみを投げつける。
顔の真横に刺さったそれに黒髭男爵がびくっと震えた。
「どうせあの『馬鹿』が命令したんだろうが」
溜息まじりに頬杖をつく。
真央の言う『馬鹿』。
その存在は悪をモットウとしている黒髭男爵にとっては崇高なボス。
悪の組織の総帥であり、世界の覇者となる存在。
異星のトップであり、地球を征服しようとしている張本人
そして……
「あの糞親父」
真央の父親である。
『地球を我が手に!』
をスローガンに地球外から侵略行為を始めた悪の総帥。
彼には息子が3人居る。
末っ子はまだ幼いが次男は『父上の様に立派な独裁者に!』を目標としている立派?な悪だ。
一日一悪という不吉な座右の銘を掲げ、日々悪い事をしている。
残りの長男。
真央は世界征服を目指している彼らを生暖かい目で見ていた。
『世界征服するぜひゃっほう!』とか言っている父親や弟、部下達と違い、真央は地球侵略など心底どうでも良かった。
末っ子を生んだ後『ちょっと旅行してくる』とぬかし、蒸発した母に似てしまったせいもあるが、侵略とか征服とか……
やろうと思えばやれます。
所要期間?1日です。
どうしようもなく真央にとっては馬鹿な父親だが腐っても総帥。
母はどうしようもなく自由奔放な女性だが、本人曰く『これでも異世界で最強の魔女やってた!』らしい。
そのサラブレッドである真央は母の血を濃く次ぎ、兄弟で唯一魔法が使える上に総帥である父を完膚なきまでに叩きのめした事がある……親子喧嘩で。
しかも自称最強である母にすら『やば!マジチート!さすが私の息子!』といわしめた。
ちなみに『チート』という言葉を知ったのは地球にやって来てから。
地球には真央の知らない物が多くあり、興味はあった。
地球欲しいなー、なんつって。
とか言った事があり、悪の総帥が地球侵略宣言をしたのもそのすぐ後だった気がするが、まぁ無関係だろうと真央は初めて手に入れたゲームのコントローラーを握っていた。
真央の力なら地球侵略など、鬼畜な隠しボスを倒す事より簡単だ。
ある意味反則的であるし、悪の組織内でも裏では部下達に『1番怒らせてはいけないラスボス』と言われている。
それでも真央が地球に害を与えないのはこの星の文化が好きだから。
ぶっちゃけて言えば、ゲーム大好きな『ゲーマー』となっていたから。
故郷は娯楽が少なく、こんな面白く、バラエティ豊かなものとは出会った事は無い。
真央は感動した。
こんな素晴らしい文化があるとは……地球、恐るべし!
周りが『地球侵略!征服!征服!』と騒いでいる中。
1人、『打倒ラスボス!攻略!攻略!』と違う方向にテンションを上げていた。
たまに末っ子の弟が膝の上で彼のコントローラーさばきを見学しているが、基本ぼっちプレイ。
最近ようやくクリスがゲームの素晴らしさに目覚め、ぼっちプレイから2人プレイへランクアップしたばかり。
そんな真央が次に購入しようとしていたソフトはネットで対戦できるというソフト。
ぼっちでも世界とつながる!と予約ボタンを即押した。
それなのに……
「あの糞馬鹿親父……今度はどうやって吊るしてやろうか」
「若様、とても素敵な悪人面になっております。ぞくぞくします……が、そろそろお時間では?」
「ん?ああ」
時計は8時を指している。
余裕をもってお仕置き時間をもうけたからちょうどいい時間だ。
クリスが用意した上着に腕を通し、鞄を持つ。
その一挙一動を黒髭男爵は冷や汗を流して見ていた。
「次にこんなことがあったらその髭白く染めるからな」
そう言って部屋を出て行った真央に黒髭男爵の絶叫が聴こえてきた。
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悪の組織 注意項目①
新作ゲームの発売日は侵略行為禁止。
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