私のお部屋
「姫様のお部屋は、お発ちになった時のまま残してございます」
侍女のひとりが、ドアをあけてくれた。
イースタンへと旅立った半年前まで、十七年間ずっと寝起きしていた部屋が私を迎えてくれる。
そこは、記憶よりずっとがらんとしていた。
私がいない間に、侍女が手を加えたわけじゃない。
私がこの部屋を出るときに、ほとんどのモノを持ち出したからだ。
お気に入りのドレスに、アクセサリー。
いいにおいのするサシェ。
手になじんだペン。
書き心地のいい紙。
辞書、参考書、おきにいりの物語。
大事なものは全部、嫁入りの馬車の荷台に詰め込んだ。
私が嫁ぐのは、近所の親戚の家じゃない。
遠く離れた異国の王室だ。
一度王宮に入れば、死ぬまで離れられない可能性が高い。
それでも、自分の結婚には意味があるから、と自分に言い聞かせて、何か月もかけて嫁入りの準備を進めた。
こんな風に帰ってくるなんて、夢にも思わずに。
「……」
声が、出なかった。
ずっと、帰りたいと思ってたのに。
このふかふかのベッドで眠りたいって、ずっと思ってたのに。
部屋を見た瞬間、突然体全部が重くなって、歩くことすらままならない。
ただ、立ち尽くすことしかできなかった。
「コレット……?」
後ろからついてきていたオスカーの声が、なんだか遠くに聞こえる。
ふわ、と暖かなものが足に触れた。
見下ろすと、子ユキヒョウが背中を足にこすりつけている。
そういう猫っぽいスキンシップは嫌いじゃないけど。
「ごめん、ふたりとも。ちょっとひとりにして」
気を遣われているのはわかってるけど、向けられた意識が煩わしかった。
イースタンを出てから、今この瞬間まで、私はずっと誰かと一緒にいた。
当然だ。
守られるべき王女が、危険な城外でひとり歩きするなんて、ありえない。
私もそれがわかるから、護衛にも従者にも、さがれなんて言わなかった。
でも、今なら。
騎士たちに守られた実家の自室なら、許されるはず。
今はただただ、向けられる意識から解放されて、ひとりになりたい。
「部屋で、休みたいだけだから」
「……わかった」
すっ、とオスカーが身を引いた。
世話係の侍女たちもそろって部屋から出ていく。
ディーもドアからするりと体を滑らせるようにして、姿を消した。
「は……」
気が抜けた瞬間、膝から力が抜けた。
重力に引っ張られるまま、絨毯の上に座り込む。
半年前、部屋を出た時の私は希望に満ちていた。
イースタンの王子と結婚することで、両国の架け橋になれるのだと、夢を見ていた。
でも、今はもう何もない。
思い描いていた未来は、隣国の王女エメルの手に引き裂かれてしまった。
大事にしていた宝飾品は、横取りされた。
持参金も、今頃はエメルの懐の中だろう。
外交の足しになればと持って行った資料はどうなっただろうか。
捨てられたか燃やされたか。
どれも無用の長物として処分されるに違いない。
私のしたことは。
私の努力は。
「全部……無駄……」
何もかも、あの結婚式の日に踏みにじられて消えてしまった。
目の前が暗くなる。
あ、と思った時には遅かった。
目に熱いものがこみあげてきて、みるみるうちにあふれてこぼれだす。
ダメだ。
ここはしょせんファンタジー世界のお部屋だ。
下手に騒いだら、外に漏れてしまう。
こんな声使用人たちに聞かせられない。
押し殺そうとして、顔を押さえた瞬間。
ふわりと柔らかい何かが頬に触れた。
「へ……」
目をあけた私のすぐそばにあったのは、ふわふわの白銀の毛並みだった。





