痕跡(アクセル視点)
「アクセル様、こちらです!」
イースタンの王城のあちこちから火が出た大事件から三日後、俺は運命の女神の神殿にいた。王城の中に建てられたきらびやかな神殿ではない。王城の外、城下町の庶民に奉仕するために建てられたものだ。
火事の後始末も終わらないなか、わざわざここに足を運んだのには理由がある。
逃げた人質を探すため、城周辺を調査していた近衛から報告があったからだ。
『王家の回廊が使われた形跡がある』と。
わざわざ回廊と隠語で語られるこの通路は、いわゆる秘密の抜け道だ。王城に万が一のことがあった時、王族を逃がすために使われる。この通路の存在は回廊を使う王族本人と、彼らを守護する近衛のごく一部の者だけに知らされる。
火事のあと、回廊の確認に出た近衛が、異変を発見したのだという。
「これを見てください」
神殿の裏手に回ると、近衛は古びた井戸を示した。
もう何年も使っていないのか、井戸は苔むし、半分崩れかけている。
「ここが回廊の出口です」
王族として入口と出口の場所を把握していても、実際に使ったことはない。覗き込んでみると、鉄格子の蓋の奥に梯子が取り付けられているのが見えた。
「鉄格子の淵を見てください。周りはコケや草が生え放題なのに、ここだけ途切れています。内側にも、最近ついたらしい傷がありました。誰かがここを開け閉めしたんです」
「……鍵はかかっているようだが?」
関係者以外開けられないようにするためだろう。蝶番の反対側には、頑丈そうな鍵が隠れるようにして取り付けられていた。
「確かに今は閉じられています。しかし、金具の内側を見たところ、やはりこちらにも最近動かされた痕跡がありました」
「鍵も開け閉めされた、か。……鍵は厳重に保管されていたはずだよな」
「それなんですが、鍵の開け閉めというと、ひとつ心当たりがありませんか」
「何のことだ」
「人質と犯罪者の脱走です。鍵を厳重に管理していたにも関わらず、塔も地下牢も、すべての鍵が開け放たれていました。仮に、鍵を自在に操る者がいたとするなら、ここの鍵だって開け閉めできたんじゃないでしょうか」
「鍵開けの魔法か」
そんな術、聞いたこともない。
もしあったとしたら、悪魔の仕業か神の奇跡だ。
「王子! そこにおられますか?!」
井戸の向こうから、声が響いてきた。
中を覗くと、井戸の底に近衛のひとりが松明を手にこちらを見上げている。王城からここまで回廊を通ってきた者だ。
「どうだった?」
「やはり、何者かがごく最近ここを通ったようです。床に足跡と、壁のコケに手をついたような跡が残っていました。足跡の重なり具合を考えると、おそらく人数はふたりですね」
「ご苦労、一旦上がってきてくれ」
他の近衛と協力して井戸の鉄格子をあけ、回廊と通ってきた近衛を井戸からひっぱり出す。出てきた近衛は、井戸を振り返って首をかしげた。
「まだ何か?」
「いえ……今報告した通路を通った痕跡なのですが、どれも妙に小さかったんですよね。靴は多分これくらいで……手の位置も、これくらい」
近衛は自分の手のひらのサイズを示したあと、自分の腰程度の高さを示す。
「まるで女子供のようだな」
「逃げた人質の中には女性も何人か含まれていました。通ったのはそのうちの誰かではないでしょうか」
「……女か」
「まさか女性だけで、こんな暗い道を通ったとは思えないのですが」
女、と聞いてひとり思い浮かぶ者がいた。
元婚約者のコレット・サウスティだ。
火事が起きる直前、彼女だけがひとり先に監禁部屋から抜け出していたことが、確認されている。
人質の中で、火事が起きる前から行動できたのは彼女だけだ。
しかし。
深窓の姫君が城中の鍵をあけて、倉庫に火をつけて回った?
その上王家の回廊を使って脱出した?
大胆な行動が、小柄な少女の印象とかみあわない。
あのうすぼんやりとした、ひな鳥のような少女のどこに、そんな力があったというのか。
「そういえば、ここの神殿の神官はどうした? 神殿側の出口の管理は彼らの担当だろう」
元の手はずでは、脱出してきた王族を神殿勤めの神官が保護することになっていた。
彼らなら、井戸から出てきた何者かを目撃しているかもしれない。
それを聞いて、近衛のひとりが首を振った。
「この神殿に、神官はいません」
「なに? 王家から重要な任を受けた者たちだぞ」
「彼らは女神の使徒でもありますからね。王子が異教の姫を娶ると聞き、神殿を放棄してしまったようです」
「チッ……」
思わず、舌打ちがついてでた。
異国と手を組むと聞いたとたん、これか。
今までさんざん王家の庇護下にあったくせに、民をおいて真っ先に逃亡するとは。
「所詮、邪神の徒ですわ」
鈴を転がすような声が響いた。
振り向くと、黒髪の少女がこちらに歩いてくる。
「エメル」
「イースタン王家の回廊を使った不届き者、私が見つけてみせましょう」
少女は真っ赤な唇を吊り上げて、笑った。
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