45話
別荘に着くと、僕たちは明日の荷物を確認し、早々に寝床にもぐりこんだ。目覚ましを3個も並べて。
「起きられるかな、自信がないよ。」
「何で?」
「飲みすぎたよ。」
「あのくらいでか?」
だからあんたみたいに強くないっていうの。彼もだけど吾郎さんもかなりの飲兵衛だな。そう思いながら布団にくるまっていると、あっというまに眠りに落ちた。
案の定、次の日の朝、頭が少しがんがんした。
「二日酔い?」
僕の冴えない顔色を見て、悟が聞いた。彼は今起きたばっかりの僕と違って、もうすでに身支度を整え、すっきりした顔でコーヒーを沸かしていた。
「大丈夫か?」
コーヒーの入ったカップをキッチンのカウンター越しに僕に渡しながら、彼が聞いた。
「うん、何とか。」
「すぐに吾郎さんが来るぞ。早く用意しろよ。」
「うん。」
コーヒーを流し込み、顔を洗いにバスルームに行く。歯を磨き顔を洗ってタオルで顔を拭いていると、そらきた。玄関のドアをどんどんと叩く音がする。着替えながら様子を伺っていると、やっぱり吾郎さんだ。まだ約束した時間より早い。せっかちなのは吾郎さん似か?血族でもないのに、せっかちなのは吾郎さん似、口が悪く、面倒見が良いのは文さん似。笑いが込み上げてきてくすくす笑っていると、
「おい、吾郎さん来てるぞ。早くしろよ。」
と叱責が飛んだ。
「ごめん、すぐ出るよ。」
外には吾郎さんのピックアップが停まっていた。
「おはようございます。」
声をかけると、
「おお、おはよう。大丈夫か?昨日はずいぶん飲ませてしまったが。」
吾郎さんが僕の顔を覗き込んだ。
「大丈夫だなあ?隆博。」
背後からやって来た悟が僕の手にザックを押し付けた。
「ああ、ごめん。」
ちょっと酒が残っているみたいだ。荷物を忘れるなんて。
「じゃあ、行こうか。」
悟のエクストレイルに吾郎さんが乗り込んで言った。彼が助手席に座り、僕は後部座席に座った。
まだ、夜明け前で道は暗く、明かりのない別荘地の細い下り坂を吾郎さんは馴れたハンドルさばきでどんどん下っていった。
「やっぱり道凍っとるわ。」
「もう3月の半ばなのに?」
僕が聞くと、
「この辺では3月はまだ冬だよ。」
悟が答える。
細い道をどんどん下り県道に出る。車がぼちぼち走っている。県道を15分くらい走ると、前方に古い大きな、今にも崩れ落ちそうなトンネルが見えてきた。
「あれが釜トンネルだよ。」
なるほど。トンネルの数メートル先に車を何台か止めることが出来るスペースがある。ちらほらと僕らみたいなトレッキング客が荷物を出したり、装備を身につけたりしている。そのスペースに吾郎さんは車を止めた。ここまでの道は綺麗に除雪されていて、路肩には50センチほどの雪が積もっている。こんなに雪があるのかと感心して見ていると、
「この辺の雪で感心してどうするんだ。奥はもっとあるよ。」
彼が言いながら僕のザックにスノーシューをくくりつける。事前に装備の使い方などを聞いていた僕が
「まだいいの?」
と聞くと、
「トンネルの中を出て、しらぬだの池までは整地されているから雪はないよ。スノーシューをつけるのはその先でいい。」
吾郎さんが付け加えた。
「トンネル内は所々凍ってるからな、気いつけて。」
僕らが準備を済ませたことを確認すると吾郎さんは帰って行った。
「さ、行こうか。」
嬉しそうに悟が笑顔を見せた。こういうところに来るとホントに嬉しそうな顔をする。
東の方向から太陽が昇り始める。うっすらとした日の出の光が、岩を穿って掘ったトンネルの表面を映し始める。
僕はザックを担いで思わずその重さにびっくりした。出遅れた僕を振り返って、
「ちょっと荷物が重いか?」
と聞いた。
「いや、大丈夫だ。」
テント泊なので20キロくらいはあるかもしれない。
「しらぬだの池まで行こう。そこで重かったら俺が少し持つよ。」
冬期通行止めで硬く締まったゲート脇を抜け、トンネルに続くロック・シェードに入ると、半円形となったトンネルの入り口が現れる。
トンネルの内部に入る。電灯はついているが、所々切れている箇所があって、トンネル内はうっすらと暗闇に包まれている。暗い湿ったトンネル。上からぽちゃん、ぽちゃんと音を立てて水が落ちてくる。雪はないが、やっぱり所々凍っているみたいで、足をすくわれそうで怖い。幅員の狭くなったトンネルは大きく右へ曲がり、そして左へ大きくカーブする。その傾斜のきつさに驚いた。息が上がる。荷物の重さが肩に食い込んでくる。かなりしんどい。
「大丈夫か。」
彼が声をかけるのに
「うん。」
何とか返事を返す。荷物を担いでいるせいか結構暑い。
「かなり勾配がきついね。」
と返すと、
「クランク状に屈折して続くので、実際の距離より長く感じるかもしれん。」
汗もかかずに彼は答えた。
「凍っているけど、アイゼンをつけるまでもないだろう。でも転ばないように気をつけて。」
「ああ。」
一面に凍っていた場合のために、軽アイゼンをザックの上部に入れて出発したが、このくらいなら必要ないと彼は言った。それでもアイゼンをつけてあがってくる人たちもいるみたいで、カツーン、カツーンとアイゼンが路面を打つ音が後方から聞こえてくる。
僕がしんどそうにしているのを見て、彼は歩調を少し緩めた。歩きながら、トンネルの内部を見回す。岩を穿って掘った名残として、むき出しの岩肌部分がいくらか残っている。トンネルの上部の岩肌には水がたまっているらしく、水漏れの音が続き、所々大きなツララがぶら下がっている。
「もうすぐだから。」
前方から彼が声をかけた。
トンネルの出口を出ると、上洞門に出る。かなり長い洞門内の舗装道を歩くと、やっと洞門を抜けた。そこを抜けると舗装された県道に真っ白な雪が積もっていた。日は昇っていて、朝日に照らされ一面の雪がきらきらと光っていた。暑さと急勾配のせいで息が上がった僕はそこで一息ついた。
そして前方を眺めると真っ白な雪を被った荒々しい感じのする山がそびえ立っていた。
「すごい。」
声を上げると
「聖岳だよ。」
と、ペットボトルから水を飲みながら悟が答える。
「へえ。」
「このトンネルを抜けてこの聖岳を見ると、大郷高地へ来たんだなあという実感がわくよ。」
彼が答えた。そこで聖岳を眺めながら僕らはひと息いれることにした。
この先は左へとカーブして緩やかな林道を30分程歩く。大きく張り出した屋根を右へと回り込み、笹とシラカバ林の平地を過ぎる。すると下り加減のスロープの先から三方連邦がゆっくりとその壮大な姿を現す。誰もがその雄大で美しい山々の姿を目にすると、息を呑み、感嘆の声を上げる。すばらしい絶景だそうだ。
ひと息入れた後、又歩き始める。呼吸も落ち着き少し余裕の出てきた僕は、歩きながら彼に聞いてみる。
「夏はどんな感じ?」
「夏は夏でいいよ。緑が本当に綺麗で、目が痛いくらいだ。」
彼の叔父さんがこの場所が好きで、毎シーズン何回か訪れている。つまりそれに彼も同行しているから、冬以外にも春、夏、秋と訪れていることになる。そのどのシーズンもそれぞれに素晴らしいと語った。
「これから先に、まだいい景色を見ることの出来るスポットがある。」
「そうか。」
左へ右へと緩やかに大きくカーブして続く林道からはさっきの聖岳がいろんな角度をとって僕らの前にその姿を現す。
その聖岳を眺めながら歩いていくと、笹とシラカバ林で覆われた平地が見えてくる。その先を抜けて少し下りになっているスロープを歩いていくと、その例の三方連邦が見えてきた。




